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最近は知らんけど、昔は大学で理工系に進む気ならばセンター試験は物理と化学の両方を取るの事実上必須だった。だから理系の人間なら普通は選択科目も物理と化学を両方履修してた。
一部で生物+α(たぶん化学)を必須とする学科もあるけれど、理系としては例外的。生物はむしろは文系の人が選択することが多かったような気がする。化学はその中間くらいか。
だから「物理を選択した人」というのが、「理系を選択した人」のバロメーターにはなってた。#そういう話ではない??
機械や土木・建築なんかは力学必須なので、今でも物理は必須科目だと思う。電気電子なんかも電磁気学の方の物理は必須だろう。物理がなくても何とかなる学科はあるかもしれないが、選択肢が随分と狭くなると思う。特に受験においてはその影響が大きい。だから理系進学を考慮しているなら、物理を履修科目から外すことはあまりないと思う。
>1982 年の指導要領改訂以降はというくらいだから、古い時代は、だいたいそれであってるはず。むしろこれが共通認識でないということは、最近になって変化したと言うことなのか?
うちの公立高校では理科科目は2コ**まで**選択制でした.化学IBと生物IBを選択したのですがセンター試験で物理が必要になって独学しました.さらに物理IIも選択できなかったため独学.化学IBもセンターの範囲を網羅していなかったため,後半は独学でした.
センター試験に必要になる科目と範囲くらいは,カリキュラムに組みこんで欲しかったです.高校出願時点でカリキュラムなんて判断できませんし,選択科目も高3になって志望大学の変更で,「選択科目間違えたー」というのも結構ありうると思う.
学校と生徒,両方が幸せになる制度にするにはどうしたらいいんでしょうね.
昔も一応選択科目ではあったよ。ただし大学進学を考えると、物理と化学が事実上必修になるだけで。多少なりとも希望する進路に大学進学、特に理学部や工学部が含まれる人は、物理と化学を取る必要があることは分かっていたし、センター試験を受ける段階で慌てることは普通はなかった。
もちろん中には大学進学を最初から断念して生物を取る人もいるかもしれないけど、そんな「なんちゃって理系」な人は、ここでいう理系に含める必要は無いと思う。
私の私立高校では物理・化学・地学・生物が一年間必修でした。ちなみに社会科は世界史・日本史・地理・現代社会が必修でしたね。おそらく学校も生徒(少なくとも私)も幸せだったので、授業科目を減らすと誰が幸せなのかちょっと分かりません…。
電気電子でも力学や熱力学、量子力学は必須ですよ。さらに、応用物理学との境界領域を選択すると、普段やっていることは物理学と大差ない状況に…。
大学での化学は高校までの物理です.
ちなみに, 物理は数学です. では化学は何になるかと言えば生物とか医学とか. なお, 数学は全分野で必要です.
大学の生物は高校生から見ると化学大学の化学は高校生から見ると物理大学の物理は高校生から見ると数学大学の数学は高校生から見ると哲学大学の哲学は高校生から見ると妄想
……とかそんなことを言われた覚えがある。
>εδ論法分からない
あれがわからないと、ほとんど何もわかっていないのに等しいのでは?それで、「微分方程式や行列の計算が出来る」と言われても、困りますね。
>あれがわからないと、ほとんど何もわかっていないのに等しいのでは?
アタマ大丈夫?δε論法ぐらいで威張られても困る。
そういう香具師に限って、演算で手をこまねくんですね。わかります。
by ボンクラ電気情報系
εδ論法、大学の微積で最初にやる意味が分かりません。まあ、極限を取りうるパラメータが2つ以上あるとか論理がややこしい命題に対し、その否定を作ろうとするときとか、便利に使っているけどね。
一様収束だって、ノルム導入するまで分かった気にならなかったしなぁ。
だいたい、まともに不等式扱えない、とか、必要条件と十分条件と必要十分条件の区別があいまい、とかの状態で、εδ論法だけやったって意味ないと思う。
「物理は数学です」という言い方で言うと、数学は哲学です、という言い方があったけどな。
現代数学は現実の枠を離れて, 適当な系において成立すれば良いことになっていますから, そういう意味では形而上学的な世界ですよね.
# 逆に形而下の世界には何の影響も及ぼさない可能性があるってのが怖いところですが
なんで高校数学の履修の問題で、現代数学の話が出てくるんだ~?話が飛躍しすぎなんだよ。数学は、数学科や物理学科の人たちが見下している「工科系」でも必須、それだけで理由は十分だろうが。
>なんで高校数学の履修の問題で、現代数学の話が出てくるんだ~?
そりゃ元コメの#2171615 [srad.jp]のところから大学の数学の話になってるからだろ。
数学は新たなアルゴリズムを生み出すのが使命って話も。
「数学は哲学」という命題は真だが、この場合の「哲学」は文学部哲学科で教えられているそれとは全く違う。ましてや「現代思想」とは水と油。
いや、普通に数理論理学は哲学教室でやってるので「全く」までは言い過ぎ。
確かに「全く」は言い過ぎだった(すまぬ)けど、数理論理学を真面目にやっているのはどう考えても数学科か情報系の方だし、「普通に」と言えるのは本当に限られた大学のはず。
数式を使わない物理は哲学だ と言われたものだ
物理以外の、化学や生物や地学なんて、あんなの理工系ではありません。、、、と言いたいのでしょう。
「物理学的な背景、ものの見方を排した」化学や生物や地学なんて、あんなの理工系ではありません。といっても過言ではない。
化学は経験則の塊です。地学にしても生物にしても。
現代的な意味では物理学を基礎とする学問だけが「科学」的と言えます。(数学を基礎とすると言い換えた方が良いかもしれませんが)
この世のあらゆる現象は素粒子が4つの力(電磁力,重力,強い力,弱い力)を介した相互作用で成り立っているので,原理的にはどんな学問も(極端に言えば政治や経済も)「物理現象」と言えるかもしれません.しかし,そこまで現象を細分化してしまうと,却って現象が見えなくなってしまうので,一般に化学は原子が壊れるところまでは考えないし,生物学も糖や蛋白やDNAを最小単位とします.
つまり,「この世の現象は全て物理現象といえるが,物理以外の専門分野はそこまで基本要素に還元する必要が無い」ということなのではないでしょうか.
それを「科学的でない」というのは極論に思えます.
一方,私の定義では,「物理とは物理量を扱う学問」で,物理量とは「基準があり,大きさが基準との比較で決定できる量」です.その意味では,数学を基礎としない学問は少なくとも物理学にはなり得ないと思います.
「客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく」ことが科学であって、分野は問わないと思うけど。
>客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく
それはどちらかというと科学の方法論ではなくてモラルかと思いますが。しかもどちらかというと古典的です。
どうにもこうにも「観測」「観測」と錦の御旗のように言う人が多いですが、おそらく観測・実験したことがあればそれほど単純に言えないと思います。
現実問題として、観測データーを解釈する際にはある理論・モデルの元で考え・解析します。実験的な事実というのは実は正しいわけではないのです。
そのモデル式や、無理矢理当てはめようとするモデルが間違っていれば実験事実はゆがめて理解される。データーとして手元に残る数値は前提としてあるモデルの元で解析された結果ですので解析に使う理論が間違っていれば事実は間違って「観測」されます。
一般的には、観測事実そのものが実はある理論に基づいているのが現実です。ですので理論と実験とは「同時」に構築し直して初めて意味を持ちます。その意味では、あえて極端に言えば、客観的な観測事実には基づいてはいません。客観的な観測事実を知ることはそれほど簡単ではなくて、論理的な記述と観測が「同時」にあることが大切です。
観測-->理論
ではなく、これらは
観測=理論
と等価です。忘れてはいけないことは観測は理論に基づいていることです。
ですので、現場としての研究開発の最前線では、モデルや分類そのものを疑い再構築することが非常に大切で、錦の御旗のように「観測に基づく」といっていると観測データーを「事実」とする段階で、大抵はドツボにはまります。大抵の観測・実験には目的があり、目的となるモデルに当てはめようとするのが人間ですので。
理論屋は理論で冒険しすぎて、実験屋は解析する理論を疑わずにこれは実験事実なのでこのように解釈できると言うだけ。何度も言いますが、観測・実験は、最初からモデル解釈ありきです。
ちょっと極論ですが、最初からモデル・分類分けの色が強さが、学問のレイヤーの違いだの要素の一つだと思います。上イレイヤ(物理->化学->生物・地学)といくほどモデル色(経験色)が強い。これはある種の事実は端的にとらえているかと思います。そしてそういったモデル・分類的な要素はある意味、それは物事の本質を見失いがちですし、理解も薄いです。(逆にそのモデルの範疇では理解は進みますが)。ブレイクスルーは生まれにくいです。たとえば、化学屋の化学と物理屋の化学はデーターの解釈から考え方、注目する点まで多く異なりますので。
無論、物事の解釈において(人間の言葉にダウングレードする段階で)モデル化による単純な考え方は大事です。自然はシンプルであるというのは基本的な哲学の一つですので。ただモデル自体の妥当性はモデルの中にいる限りは検証しにくいですし、発展しにくいです。化学が物理によってからを打ち破り大きく発展したように、他のレイヤーからの理論の輸入はその学問領域の発展に大きな効果をもたらします。
最近はそういった意味で、統一的な理論解釈によって多くの問題が理解され・検証されてます。すくなくとも相対論的量子力学のレベルからは化学は理解され直している最中です。経済だって、非平衡物理の一つとして理解されようとすすめられてます。(統計物理はある意味もっとも確からしい理論であるので)
無論、我々は
"more is different"
を忘れてはいけませんが。
物理学や化学、その他の科学にとって、数学は道具に過ぎないし、実際に道具として利用される数学の領域も、それほど広いわけではないと思います。(主に解析系の領域が利用されていて、数論なんはそれほどでもない)
ですから、「数学を基礎とする」は違和感があります。やはり、「観測と実験を基礎とする」のが科学であって、数学はその意味では科学といっていいか微妙な位置ではないかと。
どれも科学だけど粒度がちがうだけでしょ。
わかりにくく例えれば、物理学はアセンブリ言語、化学はC言語、生物学はC++/CLI言語みたいなものでは。
そういうわけで、別の物理法則を持つ別の宇宙にも、きっと我々のような情報処理をする生物がいるにちがいない。
経験的パラメータにべったりな標準模型さんディスってんの?
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人生unstable -- あるハッカー
理工系離れ (スコア:0)
化学の履修ではダメですか?
Re:理工系離れ (スコア:2, 参考になる)
最近は知らんけど、昔は大学で理工系に進む気ならばセンター試験は物理と化学の
両方を取るの事実上必須だった。だから理系の人間なら普通は選択科目も物理と化学を
両方履修してた。
一部で生物+α(たぶん化学)を必須とする学科もあるけれど、理系としては例外的。
生物はむしろは文系の人が選択することが多かったような気がする。化学はその
中間くらいか。
だから「物理を選択した人」というのが、「理系を選択した人」のバロメーターにはなってた。
#そういう話ではない??
機械や土木・建築なんかは力学必須なので、今でも物理は必須科目だと思う。
電気電子なんかも電磁気学の方の物理は必須だろう。
物理がなくても何とかなる学科はあるかもしれないが、選択肢が随分と狭くなると思う。
特に受験においてはその影響が大きい。だから理系進学を考慮しているなら、
物理を履修科目から外すことはあまりないと思う。
>1982 年の指導要領改訂以降は
というくらいだから、古い時代は、だいたいそれであってるはず。
むしろこれが共通認識でないということは、最近になって変化したと言うことなのか?
Re:理工系離れ (スコア:2)
うちの公立高校では理科科目は2コ**まで**選択制でした.
化学IBと生物IBを選択したのですがセンター試験で物理が必要になって独学しました.
さらに物理IIも選択できなかったため独学.
化学IBもセンターの範囲を網羅していなかったため,後半は独学でした.
センター試験に必要になる科目と範囲くらいは,
カリキュラムに組みこんで欲しかったです.
高校出願時点でカリキュラムなんて判断できませんし,
選択科目も高3になって志望大学の変更で,
「選択科目間違えたー」というのも結構ありうると思う.
学校と生徒,両方が幸せになる制度にするにはどうしたらいいんでしょうね.
Re: (スコア:0)
昔も一応選択科目ではあったよ。
ただし大学進学を考えると、物理と化学が事実上必修になるだけで。多少なりとも希望する進路に
大学進学、特に理学部や工学部が含まれる人は、物理と化学を取る必要があることは分かっていたし、
センター試験を受ける段階で慌てることは普通はなかった。
もちろん中には大学進学を最初から断念して生物を取る人もいるかもしれないけど、
そんな「なんちゃって理系」な人は、ここでいう理系に含める必要は無いと思う。
Re: (スコア:0)
私の私立高校では物理・化学・地学・生物が一年間必修でした。
ちなみに社会科は世界史・日本史・地理・現代社会が必修でしたね。
おそらく学校も生徒(少なくとも私)も幸せだったので、授業科目を減らすと誰が幸せなのかちょっと分かりません…。
Re: (スコア:0)
電気電子でも力学や熱力学、量子力学は必須ですよ。
さらに、応用物理学との境界領域を選択すると、普段やっていることは物理学と大差ない状況に…。
Re:理工系離れ (スコア:1)
大学での化学は高校までの物理です.
ちなみに, 物理は数学です. では化学は何になるかと言えば生物とか医学とか. なお, 数学は全分野で必要です.
Re:理工系離れ (スコア:2, 興味深い)
大学の生物は高校生から見ると化学
大学の化学は高校生から見ると物理
大学の物理は高校生から見ると数学
大学の数学は高校生から見ると哲学
大学の哲学は高校生から見ると妄想
……とかそんなことを言われた覚えがある。
Re:理工系離れ (スコア:1)
Re: (スコア:0)
そうでもないだろ。εδ論法分からないと大学の数学は初日で放棄せざるをえないけど、別にそれで微分方程式や行列の計算できなくなるわけじゃないし。
Re:理工系離れ (スコア:1)
>εδ論法分からない
あれがわからないと、ほとんど何もわかっていないのに等しいのでは?
それで、「微分方程式や行列の計算が出来る」と言われても、困りますね。
Re: (スコア:0)
>あれがわからないと、ほとんど何もわかっていないのに等しいのでは?
アタマ大丈夫?δε論法ぐらいで威張られても困る。
そういう香具師に限って、演算で手をこまねくんですね。わかります。
by ボンクラ電気情報系
Re: (スコア:0)
εδ論法、大学の微積で最初にやる意味が分かりません。
まあ、極限を取りうるパラメータが2つ以上あるとか論理がややこしい命題に対し、
その否定を作ろうとするときとか、便利に使っているけどね。
一様収束だって、ノルム導入するまで分かった気にならなかったしなぁ。
だいたい、まともに不等式扱えない、とか、必要条件と十分条件と必要十分条件の区別があいまい、
とかの状態で、εδ論法だけやったって意味ないと思う。
Re: (スコア:0)
「物理は数学です」という言い方で言うと、数学は哲学です、という言い方があったけどな。
Re:理工系離れ (スコア:1)
現代数学は現実の枠を離れて, 適当な系において成立すれば良いことになっていますから, そういう意味では形而上学的な世界ですよね.
# 逆に形而下の世界には何の影響も及ぼさない可能性があるってのが怖いところですが
Re: (スコア:0)
なんで高校数学の履修の問題で、現代数学の話が出てくるんだ~?話が飛躍しすぎなんだよ。
数学は、数学科や物理学科の人たちが見下している「工科系」でも必須、それだけで理由は十分だろうが。
by ボンクラ電気情報系
Re: (スコア:0)
>なんで高校数学の履修の問題で、現代数学の話が出てくるんだ~?
そりゃ元コメの#2171615 [srad.jp]のところから大学の数学の話になってるからだろ。
Re: (スコア:0)
数学は新たなアルゴリズムを生み出すのが使命って話も。
Re: (スコア:0)
「数学は哲学」という命題は真だが、この場合の「哲学」は文学部哲学科で教えられているそれとは全く違う。
ましてや「現代思想」とは水と油。
Re: (スコア:0)
いや、普通に数理論理学は哲学教室でやってるので「全く」までは言い過ぎ。
Re: (スコア:0)
確かに「全く」は言い過ぎだった(すまぬ)けど、数理論理学を真面目にやっているのはどう考えても数学科か情報系の方だし、「普通に」と言えるのは本当に限られた大学のはず。
Re: (スコア:0)
数式を使わない物理は哲学だ と言われたものだ
Re: (スコア:0)
物理以外の、化学や生物や地学なんて、あんなの理工系ではありません。
、、、と言いたいのでしょう。
Re: (スコア:0)
「物理学的な背景、ものの見方を排した」化学や生物や地学なんて、あんなの理工系ではありません。といっても過言ではない。
Re: (スコア:0)
化学は経験則の塊です。
地学にしても生物にしても。
現代的な意味では物理学を基礎とする学問だけが「科学」的と言えます。
(数学を基礎とすると言い換えた方が良いかもしれませんが)
Re:理工系離れ (スコア:2)
この世のあらゆる現象は素粒子が4つの力(電磁力,重力,強い力,弱い力)を介した
相互作用で成り立っているので,原理的にはどんな学問も(極端に言えば政治や
経済も)「物理現象」と言えるかもしれません.しかし,そこまで現象を細分化してしまうと,
却って現象が見えなくなってしまうので,一般に化学は原子が壊れるところまでは
考えないし,生物学も糖や蛋白やDNAを最小単位とします.
つまり,「この世の現象は全て物理現象といえるが,物理以外の専門分野は
そこまで基本要素に還元する必要が無い」ということなのではないでしょうか.
それを「科学的でない」というのは極論に思えます.
一方,私の定義では,「物理とは物理量を扱う学問」で,物理量とは「基準があり,
大きさが基準との比較で決定できる量」です.その意味では,数学を基礎としない
学問は少なくとも物理学にはなり得ないと思います.
Re:理工系離れ (スコア:1)
「客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく」ことが科学であって、分野は問わないと思うけど。
Re:理工系離れ (スコア:1)
>客観的な観測に基づく論理的な記述を構築していく
それはどちらかというと科学の方法論ではなくてモラルかと思いますが。
しかもどちらかというと古典的です。
どうにもこうにも「観測」「観測」と錦の御旗のように言う人が多いですが、
おそらく観測・実験したことがあればそれほど単純に言えないと思います。
現実問題として、観測データーを解釈する際にはある理論・モデルの元で考え・解析します。
実験的な事実というのは実は正しいわけではないのです。
そのモデル式や、無理矢理当てはめようとするモデルが間違っていれば実験事実はゆがめて理解される。データーとして手元に残る数値は前提としてあるモデルの元で解析された結果ですので解析に使う理論が間違っていれば事実は間違って「観測」されます。
一般的には、観測事実そのものが実はある理論に基づいているのが現実です。ですので理論と実験とは「同時」に構築し直して初めて意味を持ちます。その意味では、あえて極端に言えば、客観的な観測事実には基づいてはいません。客観的な観測事実を知ることはそれほど簡単ではなくて、論理的な記述と観測が「同時」にあることが大切です。
観測-->理論
ではなく、これらは
観測=理論
と等価です。忘れてはいけないことは観測は理論に基づいていることです。
ですので、現場としての研究開発の最前線では、モデルや分類そのものを疑い再構築することが非常に大切で、錦の御旗のように「観測に基づく」といっていると観測データーを「事実」とする段階で、大抵はドツボにはまります。大抵の観測・実験には目的があり、目的となるモデルに当てはめようとするのが人間ですので。
理論屋は理論で冒険しすぎて、実験屋は解析する理論を疑わずにこれは実験事実なのでこのように解釈できると言うだけ。何度も言いますが、観測・実験は、最初からモデル解釈ありきです。
ちょっと極論ですが、最初からモデル・分類分けの色が強さが、学問のレイヤーの違いだの要素の一つだと思います。上イレイヤ(物理->化学->生物・地学)といくほどモデル色(経験色)が強い。これはある種の事実は端的にとらえているかと思います。そしてそういったモデル・分類的な要素はある意味、それは物事の本質を見失いがちですし、理解も薄いです。(逆にそのモデルの範疇では理解は進みますが)。ブレイクスルーは生まれにくいです。たとえば、化学屋の化学と物理屋の化学はデーターの解釈から考え方、注目する点まで多く異なりますので。
無論、物事の解釈において(人間の言葉にダウングレードする段階で)モデル化による単純な考え方は大事です。自然はシンプルであるというのは基本的な哲学の一つですので。ただモデル自体の妥当性はモデルの中にいる限りは検証しにくいですし、発展しにくいです。化学が物理によってからを打ち破り大きく発展したように、他のレイヤーからの理論の輸入はその学問領域の発展に大きな効果をもたらします。
最近はそういった意味で、統一的な理論解釈によって多くの問題が理解され・検証されてます。すくなくとも相対論的量子力学のレベルからは化学は理解され直している最中です。経済だって、非平衡物理の一つとして理解されようとすすめられてます。(統計物理はある意味もっとも確からしい理論であるので)
無論、我々は
"more is different"
を忘れてはいけませんが。
Re:理工系離れ (スコア:1)
物理学や化学、その他の科学にとって、数学は道具に過ぎないし、
実際に道具として利用される数学の領域も、それほど広いわけではないと思います。
(主に解析系の領域が利用されていて、数論なんはそれほどでもない)
ですから、「数学を基礎とする」は違和感があります。
やはり、「観測と実験を基礎とする」のが科学であって、
数学はその意味では科学といっていいか微妙な位置ではないかと。
Re:理工系離れ (スコア:1)
どれも科学だけど粒度がちがうだけでしょ。
わかりにくく例えれば、物理学はアセンブリ言語、化学はC言語、生物学はC++/CLI言語みたいなものでは。
そういうわけで、別の物理法則を持つ別の宇宙にも、きっと我々のような情報処理をする生物がいるにちがいない。
Re: (スコア:0)
経験的パラメータにべったりな標準模型さんディスってんの?