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そもそも科学技術は信じることを要求しない。その仕組みに対して理解を放棄しようとも波動関数は役に立つし、「こんな鉄の塊が飛ぶわけない」と考えていても飛行機は飛ぶ。
一方、全ての宗教は信じることを要求する。「信じなければ救われないぞ」と脅しをかける。
私は科学のほうでいいや。
別にどっちかを選ばなくちゃだめってもんでもないだろう。科学に反する態度を要求する宗教もあるけれど、広く見れば守備範囲が違うわけだから。
救われない心ってのは、飛行機が飛んでもGPSが動いても、救えないんだよ。理屈では乗り越えられない壁を越えるには、どこかのレイヤでleap of faithが必要になる。その跳躍をパッケージ化したのが既存の宗教ね。だから「信じなければ救われない」というのはある意味、正しい。
既存の宗教を信じないのは自由だけれど、無宗教であってもどこかのレベルで「理屈抜きで信じていること」「あって当然、起きて当然とみなしていること」があるはず。あなたが正常な日常生活を送れているならね。そのことを自覚しなくても生きては行けるけど、自覚してた方が視野が広く持てるんじゃないかと思うよ。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
「○○を信じる」という脳内プロセスは同じかもしんないが…… (スコア:1, すばらしい洞察)
そもそも科学技術は信じることを要求しない。
その仕組みに対して理解を放棄しようとも波動関数は役に立つし、
「こんな鉄の塊が飛ぶわけない」と考えていても飛行機は飛ぶ。
一方、全ての宗教は信じることを要求する。
「信じなければ救われないぞ」と脅しをかける。
私は科学のほうでいいや。
Re:「○○を信じる」という脳内プロセスは同じかもしんないが…… (スコア:0)
別にどっちかを選ばなくちゃだめってもんでもないだろう。
科学に反する態度を要求する宗教もあるけれど、広く見れば守備範囲が違うわけだから。
救われない心ってのは、飛行機が飛んでもGPSが動いても、救えないんだよ。
理屈では乗り越えられない壁を越えるには、どこかのレイヤでleap of faithが必要になる。
その跳躍をパッケージ化したのが既存の宗教ね。
だから「信じなければ救われない」というのはある意味、正しい。
既存の宗教を信じないのは自由だけれど、無宗教であってもどこかのレベルで
「理屈抜きで信じていること」「あって当然、起きて当然とみなしていること」があるはず。
あなたが正常な日常生活を送れているならね。
そのことを自覚しなくても生きては行けるけど、自覚してた方が視野が広く持てるんじゃないかと思うよ。