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無神論教の信者って事?
科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
活動に差が無いってことは、聖書に説得力を感じるのも科学論文に説得力を感じるのも、脳の認識的には大差ないってことでしょう。観測される世界、例えば生命、の起源に神を用いた説明を試みるか、化学的進化を用いた説明を試みるかも、脳の活動に大差ないかもしれませんね。
ホント、こんな記事を読むと科学と宗教の間に壁なんてあるのかと思ってしまう。
>科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。>説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。>そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
そうですよ。ただ、その説明は「何千年もの積み重ね」られてきたもので、相互に「事実と事実の結びつき」を確認されてきたものです。「多くの人間が考え抜いた結果、今のところは一番正しい事実に近いであろう」説明です。そして、人類はまだ「科学」以上に使い勝手の良い道具を手に入れてはいません。
そんな哲学レベルの話しではありませんよ。ヒトの認識というもっと即物的な、大脳生理レベルでの話。ヒトが何かを信じるに足ると認識するとき、それが科学なのか宗教なのかを区別しているのかと言うことです。
例えば雪の結晶が6角形なのは広く知られていることですが、実際に顕微鏡を覗いて雪の結晶を見た人の数は、雪の結晶が6角形だと知っている人の数よりずっと少ない。大多数の人は写真を見たりすることで『6角形である』ことに十分な説得力を感じるから、自身で検証することなくそれを受け入れる。では顕微鏡を覗いたことの無い大多数の人たちは、雪が6角形だと言うことを知っているのか、6角形だと信じているのか、どっちでしょう。
自身で検証することなく説得力を基準に信じるに足るかどうか判断するなら、そこに科学と宗教の壁はあるのでしょうか。トピの元記事を読む限りでは、あまり区別されていないようではありますが。昔から「科学も宗教である」と言われていたことが大脳生理のレベルで検証された、と言うことだろうとわたしは捉えてます。
「科学も宗教である」が検証されたのでしょうか?
検証されたのは、「科学知識も宗教知識も同じ仕組み (脳構造) で処理される」と言うことだと思います。
科学的プログラムと宗教的プログラム、どちらも同じモデルのハードウェアで実行している、みたいな話でないかな。
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ソースを見ろ -- ある4桁UID
ん? (スコア:0)
無神論教の信者って事?
Re: (スコア:3, おもしろおかしい)
Re: (スコア:2, 興味深い)
科学って成り立たないと思うのですよ。
それは宗教に対する盲信と、ほとんど同じようにも思えます。
実際、科学に反する物の不在を証明することはできないですよね。
悪魔の証明になっちゃうから。
# 今まで生きてきて、科学で証明できない事象には出会ったことないですけどね。
Re: (スコア:0)
科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。
説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。
そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
活動に差が無いってことは、聖書に説得力を感じるのも科学論文に説得力を感じるのも、脳の認識的には大差ないってことでしょう。
観測される世界、例えば生命、の起源に神を用いた説明を試みるか、化学的進化を用いた説明を試みるかも、脳の活動に大差ないかもしれませんね。
ホント、こんな記事を読むと科学と宗教の間に壁なんてあるのかと思ってしまう。
相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1, すばらしい洞察)
>科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。
>説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。
>そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
そうですよ。ただ、その説明は「何千年もの積み重ね」られてきたもので、相互に「事実と事実の結びつき」を確認されてきたものです。
「多くの人間が考え抜いた結果、今のところは一番正しい事実に近いであろう」説明です。
そして、人類はまだ「科学」以上に使い勝手の良い道具を手に入れてはいません。
Re: (スコア:0)
そんな哲学レベルの話しではありませんよ。ヒトの認識というもっと即物的な、大脳生理レベルでの話。
ヒトが何かを信じるに足ると認識するとき、それが科学なのか宗教なのかを区別しているのかと言うことです。
例えば雪の結晶が6角形なのは広く知られていることですが、実際に顕微鏡を覗いて雪の結晶を見た人の数は、雪の結晶が6角形だと知っている人の数よりずっと少ない。
大多数の人は写真を見たりすることで『6角形である』ことに十分な説得力を感じるから、自身で検証することなくそれを受け入れる。
では顕微鏡を覗いたことの無い大多数の人たちは、雪が6角形だと言うことを知っているのか、6角形だと信じているのか、どっちでしょう。
自身で検証することなく説得力を基準に信じるに足るかどうか判断するなら、そこに科学と宗教の壁はあるのでしょうか。
トピの元記事を読む限りでは、あまり区別されていないようではありますが。
昔から「科学も宗教である」と言われていたことが大脳生理のレベルで検証された、と言うことだろうとわたしは捉えてます。
Re:相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1)
「科学も宗教である」が検証されたのでしょうか?
検証されたのは、「科学知識も宗教知識も同じ仕組み (脳構造) で処理される」と言うことだと思います。
科学的プログラムと宗教的プログラム、どちらも同じモデルのハードウェアで実行している、みたいな話でないかな。
の