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無神論教の信者って事?
科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
活動に差が無いってことは、聖書に説得力を感じるのも科学論文に説得力を感じるのも、脳の認識的には大差ないってことでしょう。観測される世界、例えば生命、の起源に神を用いた説明を試みるか、化学的進化を用いた説明を試みるかも、脳の活動に大差ないかもしれませんね。
ホント、こんな記事を読むと科学と宗教の間に壁なんてあるのかと思ってしまう。
>科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。>説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。>そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
そうですよ。ただ、その説明は「何千年もの積み重ね」られてきたもので、相互に「事実と事実の結びつき」を確認されてきたものです。「多くの人間が考え抜いた結果、今のところは一番正しい事実に近いであろう」説明です。そして、人類はまだ「科学」以上に使い勝手の良い道具を手に入れてはいません。
宗教的価値観による愚行を肯定するわけではないですが、若干宗教を軽んじすぎているように思えます。仏教やキリスト教、イスラム教も長年の間無数の神学者や僧たちが解釈を巡って激しい論争を繰り広げてきています。(ヒンドゥー教は宗教者の知り合いが居ないので解りませんが、おそらく同様なのではないかと)しばしばかつての宗教的価値観による誤りを認める事もあります。
他方、「宗教による権威主義」による害悪は、「科学による権威主義」と同等に害悪をもたらします。かつての理解・解釈に固執するあまり、現実問題に対して適切な対応が出来ないことがあるのは科学も宗教も同様です。また、事実解明を行うための批判的態度が科学的態度であるように、神の教えや教義にいかに忠実であり得るかに対する批判的態度も宗教的態度であり得るでしょう。
宗教家による心のあり方へのメッセージは価値中立的な科学には付与することが不可能な安寧をもたらす事もあります。世界のあり方を理解するために宗教を利用する事は適切なアプローチではないと思いますが、それ以外の問題に対する有益な面を培ってきた事は肯定すべきでしょう。
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ん? (スコア:0)
無神論教の信者って事?
Re: (スコア:3, おもしろおかしい)
Re: (スコア:2, 興味深い)
科学って成り立たないと思うのですよ。
それは宗教に対する盲信と、ほとんど同じようにも思えます。
実際、科学に反する物の不在を証明することはできないですよね。
悪魔の証明になっちゃうから。
# 今まで生きてきて、科学で証明できない事象には出会ったことないですけどね。
Re: (スコア:0)
科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。
説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。
そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
活動に差が無いってことは、聖書に説得力を感じるのも科学論文に説得力を感じるのも、脳の認識的には大差ないってことでしょう。
観測される世界、例えば生命、の起源に神を用いた説明を試みるか、化学的進化を用いた説明を試みるかも、脳の活動に大差ないかもしれませんね。
ホント、こんな記事を読むと科学と宗教の間に壁なんてあるのかと思ってしまう。
相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1, すばらしい洞察)
>科学なんて、観測された事象に対する後付けの説明でしかない。
>説明されている内容が観測結果に一致するとしても、それは直ちに説明が正しいことを証明するものではない。
>そうしてみると、正しいと証明されている説明はとても少ない。単に、もっとも説得力のある説明に過ぎない。
そうですよ。ただ、その説明は「何千年もの積み重ね」られてきたもので、相互に「事実と事実の結びつき」を確認されてきたものです。
「多くの人間が考え抜いた結果、今のところは一番正しい事実に近いであろう」説明です。
そして、人類はまだ「科学」以上に使い勝手の良い道具を手に入れてはいません。
Re:相対化は誤魔化してるだけ (スコア:1)
宗教的価値観による愚行を肯定するわけではないですが、若干宗教を軽んじすぎているように思えます。
仏教やキリスト教、イスラム教も長年の間無数の神学者や僧たちが解釈を巡って激しい論争を繰り広げてきています。(ヒンドゥー教は宗教者の知り合いが居ないので解りませんが、おそらく同様なのではないかと)
しばしばかつての宗教的価値観による誤りを認める事もあります。
他方、「宗教による権威主義」による害悪は、「科学による権威主義」と同等に害悪をもたらします。
かつての理解・解釈に固執するあまり、現実問題に対して適切な対応が出来ないことがあるのは科学も宗教も同様です。
また、事実解明を行うための批判的態度が科学的態度であるように、神の教えや教義にいかに忠実であり得るかに対する批判的態度も宗教的態度であり得るでしょう。
宗教家による心のあり方へのメッセージは価値中立的な科学には付与することが不可能な安寧をもたらす事もあります。
世界のあり方を理解するために宗教を利用する事は適切なアプローチではないと思いますが、それ以外の問題に対する有益な面を培ってきた事は肯定すべきでしょう。