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前から気になっているのだが、コリオリ力は統一理論に含まれますか?コリオリ力のことを「見かけの力」と言いますが、それじゃあ重力や電磁気力は見かけじゃないんですか?人間の目から見るとそう見えるってだけでみんな「見かけの力」じゃないと言いきれるんですか?地球が自転している事がわからなければ偏西風を観測することができてもその原因を説明することは出来ませんよね?もし、コリオリ力を含めて重力や電磁気力についてまとめて理解できるとしたら、それは自分たちがどこに立っているか、自分たちが何者であるかを知ることじゃないでしょうか?そもそも論の立てかたが間違ってるんじゃないでしょうか?
>それじゃあ重力や電磁気力は見かけじゃないんですか?
かつて、重力というのは「地面に引きつける力」でした。その後ニュートンが現れて、「地面に引きつける力」というのは見かけのものであり、実際には「物質同士が引き合う力」だということがわかりました。しかしその後今度はアインシュタインが現れて、「物質が引き合う」というのも見かけで、実際には「エネルギーの存在により空間が歪み、内部の物体がそれに応じた力を感じる」というものだとされました。その後、まだ確立してはいませんが、空間の歪み、というものを異なる観点から再定義してみたり(例えば空間の量子化を伴うループ重力子理論など)といったように、様々な再定義(見方の変換)が行われています。
一方、電磁気力も、最初は電荷の間に働く力と、磁石の間に働く力でした。しかしその後、実はそれらは電磁場という統一的な実態を、異なる側面から見たために現れた不完全な存在であることが判明します。さらには、電磁場というもの自体がベクトルポテンシャルという元になる実態の投影でしかない、という事実に行き着き、現在では、電弱力というさらに広い枠組みを持つものの一側面でしかない、ということが明らかとなっています。
そういう意味では、「力」というものに関する捉え方は次々と変化しています。「重力」や「電磁気力」という見方が絶対ではない、より元になる何かがある、という発想の行き着く先が万物理論である、ととらえてもらってかまいません。(ただし、本当にそのように統一できるのかどうかは不明。現時点では単なる信念の問題です)
>地球が自転している事がわからなければ偏西風を観測することができてもその原因を説明することは出来ませんよね?
そう、ある意味その通り。しかしながら、実験室系での実験を通して、「得られた実験結果と現実世界を比較すると、世界が自転してると考えた方が説明できることが多そうだし、そっちの考え方の方が正しいんじゃない?そうすると、コリオリ力ってのは本質じゃなくて、見かけの力だよね」と判断しながら進んできたのが物理学です。理論物理の最先端では、自分の扱っている対象が本当に究極的な存在なのか、それとも別な何かの影でしかないのか、ということは繰り返し問われてきました。物理学者ってのはまあ、すべてを疑い、その裏側に何かあるんじゃないかと常にひっくり返して回ってるような人間ですから。
君はまず回転系の外に出て考えるべきだ。回転系は系じゃなしコリオリの力なんて存在しない。存在しないから「見かけの力」と呼んでるんだよ。
レコードのターンテーブルを回して、そこにビー玉を転がす事を考えてみて。摩擦を無視すればビー玉はまっすぐ転がるよね?んじゃ、ターンテーブルと一緒に回ってる状態で見たらビー玉はどう転がって見える?
結局「コリオリの力」ってのは「自分が回転してるから他が回転しているように見える」というクッダラナイ話なんだぜ?
含む含まれない以前に,コリオリの力や慣性力といったものは本来存在しないものです.
コリオリの力が見かけの力と呼ばれるのは,コリオリの力の存在を全く考えなくても(回転する座標系を使わない限り)物体の運動を説明できてしまうからです.回転する座標系(地球上に固定された座標系とかですね)なんて特殊なものを使おうとするから,つじつま合わせの為に必要になるだけのものです.
一般の慣性力も同じです.慣性系(加速しない座標系)で物事を考えている限りそんな物は考えなくてもすべてつじつまが合うのです.
そうやっても残る(=これらの存在を考えないと運動をつじつまが合うように説明できない)のが4つの基本相互作用です.
> 自分たちが何者であるか金魚鉢の中の金魚
> 論の立てかた金魚視点では正しい観測が出来ないかも
上記2点から、「万物の理論など見つからないものかもしれない」という事なのでは?
# 金魚にとって正しければ充分だと思う
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
そもそも (スコア:0)
前から気になっているのだが、コリオリ力は統一理論に含まれますか?
コリオリ力のことを「見かけの力」と言いますが、それじゃあ重力や電磁気力は見かけじゃないんですか?
人間の目から見るとそう見えるってだけでみんな「見かけの力」じゃないと言いきれるんですか?
地球が自転している事がわからなければ偏西風を観測することができてもその原因を説明することは出来ませんよね?
もし、コリオリ力を含めて重力や電磁気力についてまとめて理解できるとしたら、それは自分たちがどこに立っているか、自分たちが何者であるかを知ることじゃないでしょうか?
そもそも論の立てかたが間違ってるんじゃないでしょうか?
Re:そもそも (スコア:4, 参考になる)
>それじゃあ重力や電磁気力は見かけじゃないんですか?
かつて、重力というのは「地面に引きつける力」でした。
その後ニュートンが現れて、「地面に引きつける力」というのは見かけのものであり、実際には「物質同士が引き合う力」だということがわかりました。
しかしその後今度はアインシュタインが現れて、「物質が引き合う」というのも見かけで、実際には「エネルギーの存在により空間が歪み、内部の物体がそれに応じた力を感じる」というものだとされました。
その後、まだ確立してはいませんが、空間の歪み、というものを異なる観点から再定義してみたり(例えば空間の量子化を伴うループ重力子理論など)といったように、様々な再定義(見方の変換)が行われています。
一方、電磁気力も、最初は電荷の間に働く力と、磁石の間に働く力でした。
しかしその後、実はそれらは電磁場という統一的な実態を、異なる側面から見たために現れた不完全な存在であることが判明します。
さらには、電磁場というもの自体がベクトルポテンシャルという元になる実態の投影でしかない、という事実に行き着き、現在では、電弱力というさらに広い枠組みを持つものの一側面でしかない、ということが明らかとなっています。
そういう意味では、「力」というものに関する捉え方は次々と変化しています。「重力」や「電磁気力」という見方が絶対ではない、より元になる何かがある、という発想の行き着く先が万物理論である、ととらえてもらってかまいません。
(ただし、本当にそのように統一できるのかどうかは不明。現時点では単なる信念の問題です)
>地球が自転している事がわからなければ偏西風を観測することができてもその原因を説明することは出来ませんよね?
そう、ある意味その通り。しかしながら、実験室系での実験を通して、「得られた実験結果と現実世界を比較すると、世界が自転してると考えた方が説明できることが多そうだし、そっちの考え方の方が正しいんじゃない?そうすると、コリオリ力ってのは本質じゃなくて、見かけの力だよね」と判断しながら進んできたのが物理学です。
理論物理の最先端では、自分の扱っている対象が本当に究極的な存在なのか、それとも別な何かの影でしかないのか、ということは繰り返し問われてきました。物理学者ってのはまあ、すべてを疑い、その裏側に何かあるんじゃないかと常にひっくり返して回ってるような人間ですから。
Re:そもそも (スコア:1)
君はまず回転系の外に出て考えるべきだ。
回転系は系じゃなしコリオリの力なんて存在しない。
存在しないから「見かけの力」と呼んでるんだよ。
レコードのターンテーブルを回して、そこにビー玉を転がす事を考えてみて。
摩擦を無視すればビー玉はまっすぐ転がるよね?
んじゃ、ターンテーブルと一緒に回ってる状態で見たらビー玉はどう転がって見える?
結局「コリオリの力」ってのは「自分が回転してるから他が回転しているように見える」というクッダラナイ話なんだぜ?
Re: (スコア:0)
含む含まれない以前に,コリオリの力や慣性力といったものは本来存在しないものです.
コリオリの力が見かけの力と呼ばれるのは,コリオリの力の存在を全く考えなくても(回転する座標系を使わない限り)物体の運動を説明できてしまうからです.回転する座標系(地球上に固定された座標系とかですね)なんて特殊なものを使おうとするから,つじつま合わせの為に必要になるだけのものです.
一般の慣性力も同じです.慣性系(加速しない座標系)で物事を考えている限りそんな物は考えなくてもすべてつじつまが合うのです.
そうやっても残る(=これらの存在を考えないと運動をつじつまが合うように説明できない)のが4つの基本相互作用です.
Re: (スコア:0)
> 自分たちが何者であるか
金魚鉢の中の金魚
> 論の立てかた
金魚視点では正しい観測が出来ないかも
上記2点から、「万物の理論など見つからないものかもしれない」
という事なのでは?
# 金魚にとって正しければ充分だと思う