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> # 明快な微分積分と、
微分積分って当時はそんなに明快なものじゃなかった。
いわゆるイプシロン・デルタ式の論法で整理が一段落着くまで、そのあと何百年かかかった。
ニュートンも微積の不明快さは十分すぎるほど自覚していただけじゃなく、デカルトの方法つまり今で言う解析幾何自体が基礎付けができておらず、明快なのは幾何だけだとニュートン自身が述べた文書があるそうです。そのような考えにそってプリンキピアは多少無理をしてでも幾何で書かれたようですね。ニュートンのそのような考えを記した文書(書簡かな)も今回、公開されてるかもですね。
錬金術についても、おそらくはそう不自然な話ではないのでしょう。ニュートンは非常に熱心なキリスト教徒……当時は異端中の異端のユニタリアンで、晩年は聖書研究に没頭していたことが知られてます。物理にしても錬金術にしても、神のみ心を知りたいという動機にはまったく変わりがなかったんだろうと思われます。
結論がでたかどうかの違いじゃないかな..
研究途中の微分とかきっと「モヤッ」としてたんじゃない、本人も。逆に「こうなるべきだ」みたいな(科学としてアレだけど)な錬金術研究だったら、本人としては非常に明快な研究だった(かもしれない)
結果の問題かな、神様信じる基礎科学の人とかもたくさんいるだろうし
# 悪魔崇拝は神様を信じていないとできません。なんていう意味の言葉もあったっけ。
----そのうち、「ダ・ヴィンチ・コード」みたいなのの題材にされたりするんだろうか。
> 結果の問題かな、神様信じる基礎科学の人とかもたくさんいるだろうし
むしろ、自然科学は、この世界を作った神の意志を理解したいという動機から始まってる。もちろん、エデンの園とかアダムとイブだとかの物語は科学によって否定されるし、それを受け入れられない原理主義者だっているけど、そういった部分は神の存在・不在とは関係ないし。
>この世界を作った神の意志を理解したいという動機から始まってる。
中世イスラム世界の科学なんかはその傾向が強いけど、科学という括りで考えると古代ギリシャ(とかそれ以前の各地のとか)が入ってくるんで、そうは言い切れないんじゃないかなあ。
逆に、近代的な自然科学という意味では、「神の意志を理解したい」という傾向が強かったイスラム科学が除外されちゃうし。
> 逆に、近代的な自然科学という意味では、「神の意志を理解したい」という傾向が強かったイスラム科学が除外されちゃうし。
ケプラーとかコペルニクスとかは、神の意志を理解したいと思っていたと思います。最近だとアインシュタインとか。
>ケプラーとかコペルニクスとかは、神の意志を理解したいと思っていたと思います。
いえ、それはわかるんですが、元コメで言いたかったのは、
・近代的な科学以前まで含めて「科学」とすると、「神の意志を理解したいというところから始まった科学」というのは不適当になる。・逆に、近代的な科学しか含めないと、中世後期のヨーロッパでの科学、およびその源流としてのイスラム科学が排除されてしまい、「この世界を作った神の意志を理解したいという動機」の強い時期が除外される。
ということを踏まえ、
科学の源流は、「この世界を作った神の意志を理解したいという動機から始まってる」のではなく、それはあくまでも中間のある時期に現れた動機(=そもそもの始まりではない)ではないか?
ってのが主張したかった内容です。
わかりました。どちらにせよ、#2067889 [srad.jp]の
といった、基礎科学の人は神様を信じないのが普通で、神様を信じるのは例外、あるいは基礎科学と宗教は相容れない、みたいな考え方は違うよと主張するのが目的だったので、それが言えればいいです。
>基礎科学の人は神様を信じないのが普通で、神様を信じるのは例外、
そもそも、欧米では、無宗教そのものがマイノリティですしwww
おそらく、どの分野でも神様信じてるという人の方が主流でしょう。(内心はどう思ってるかは別にしても)
>最近だとアインシュタインとか。
アインシュタインは微妙じゃね?宗教や神に対して「無知からの迷信」だの「人間の弱さの表れ」とか言っちゃうぐらいだから。#比喩としては神を良く持ち出すけどさ。
といってもまあ、アイシュタインが本当に無神論者だったのかどうかってのは今でもちらほらと研究論文が出るようなものなんで、断言は出来んけど。
># 明快な微分積分と、曖昧模糊とした錬金術が同居できるのは不思議です。それはあくまで道の見えた後世の評価であって、研究している間は同じように(周りからみたら胡散臭い)とても魅力的なテーマだったんじゃないかな。研究者が真っ当な道で成果を挙げるか、胡散臭いテーマに囚われてそこから一生抜け出せなくなるかは紙一重の差かもしれない。たとえば、他のことならマトモすぎるくらいなのに、ある特定の分野に話を振ると頭がおかしいとしか思えない人は、世の中にそう珍しくはないと思う。なかでも研究職は研究の面だけに限らず、特にその傾向が強いような。
#昔聞いた話なんだけど、研究者が「心」とか言い出すと、ついにこの先生もおかしくなったかという兆しで、#大真面目に「愛」だとか言い出すころには、もう学会で相手にされなくなってるケースが多いとか。#もちろんこれは、人間の感情をシステマティックに研究してる心理系の研究者とはまた別の話なので、あしからず。
現代の我々は、金は元素であって化学反応で作り出すことはできないことを知ってますが、当時はそれは分からなかったのではないでしょうか。
錬金術と呼ぶと怪しげな響きですが、化学と呼ぶとまともな学問になります。
現代でも「ペロッ。これは放射性物質!!」とか、化学反応と核反応の区別もついてなさそうな人がたくさんいるようです。
化学者が物質を調べるのに味を見ることをしないのは、たんに危険だから。味で分析ができるわけないだろ、という考えに基づくものではありません。
放射能そのものが味の原因となるというのは考えにくいけど、いま話題にしている放射性物質は化学物質としてももともとそこにあるものではないから、その味を見ている可能性は完全にゼロというわけではないと思うけど定量的な検証が必要でしょう。直感的には、味を感じるほどの量があれば死んでしまいそうな気がする。(気がするだけで、検証したわけではない)。
まあ、ストロンチウムやセシウムは金属だから金属の味がしてもおかしくない、というのはおかしいけどね。ストロンチウムやセシウムやイオン化傾向がとても強いと思われるから、金属状態で存在することはまずないだろうし、つまりは塩(塩化ナトリウム)をなめて金属の味がすると言っているようなものですね。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
もしかして (スコア:1)
# 明快な微分積分と、曖昧模糊とした錬金術が同居できるのは不思議です。
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:もしかして (スコア:3)
> # 明快な微分積分と、
微分積分って当時はそんなに明快なものじゃなかった。
いわゆるイプシロン・デルタ式の論法で整理が
一段落着くまで、そのあと何百年かかかった。
Re:もしかして (スコア:2)
ニュートンも微積の不明快さは十分すぎるほど自覚していただけじゃなく、デカルトの方法
つまり今で言う解析幾何自体が基礎付けができておらず、明快なのは幾何だけだと
ニュートン自身が述べた文書があるそうです。そのような考えにそってプリンキピアは
多少無理をしてでも幾何で書かれたようですね。
ニュートンのそのような考えを記した文書(書簡かな)も今回、公開されてるかもですね。
錬金術についても、おそらくはそう不自然な話ではないのでしょう。ニュートンは非常に熱心な
キリスト教徒……当時は異端中の異端のユニタリアンで、晩年は聖書研究に没頭していた
ことが知られてます。物理にしても錬金術にしても、神のみ心を知りたいという動機には
まったく変わりがなかったんだろうと思われます。
Re:もしかして (スコア:1)
結論がでたかどうかの違いじゃないかな..
研究途中の微分とかきっと「モヤッ」としてたんじゃない、本人も。
逆に「こうなるべきだ」みたいな(科学としてアレだけど)な錬金術研究だったら、本人としては非常に明快な研究だった(かもしれない)
結果の問題かな、神様信じる基礎科学の人とかもたくさんいるだろうし
# 悪魔崇拝は神様を信じていないとできません。なんていう意味の言葉もあったっけ。
----
そのうち、「ダ・ヴィンチ・コード」みたいなのの題材にされたりするんだろうか。
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re: (スコア:0)
> 結果の問題かな、神様信じる基礎科学の人とかもたくさんいるだろうし
むしろ、自然科学は、この世界を作った神の意志を理解したいという動機から始まってる。
もちろん、エデンの園とかアダムとイブだとかの物語は科学によって否定されるし、
それを受け入れられない原理主義者だっているけど、そういった部分は神の存在・不在とは関係ないし。
Re: (スコア:0)
>この世界を作った神の意志を理解したいという動機から始まってる。
中世イスラム世界の科学なんかはその傾向が強いけど、科学という括りで考えると古代ギリシャ(とかそれ以前の各地のとか)が入ってくるんで、そうは言い切れないんじゃないかなあ。
逆に、近代的な自然科学という意味では、「神の意志を理解したい」という傾向が強かったイスラム科学が除外されちゃうし。
Re: (スコア:0)
> 逆に、近代的な自然科学という意味では、「神の意志を理解したい」という傾向が強かったイスラム科学が除外されちゃうし。
ケプラーとかコペルニクスとかは、神の意志を理解したいと思っていたと思います。
最近だとアインシュタインとか。
Re: (スコア:0)
>ケプラーとかコペルニクスとかは、神の意志を理解したいと思っていたと思います。
いえ、それはわかるんですが、元コメで言いたかったのは、
・近代的な科学以前まで含めて「科学」とすると、「神の意志を理解したいというところから始まった科学」というのは不適当になる。
・逆に、近代的な科学しか含めないと、中世後期のヨーロッパでの科学、およびその源流としてのイスラム科学が排除されてしまい、「この世界を作った神の意志を理解したいという動機」の強い時期が除外される。
ということを踏まえ、
科学の源流は、「この世界を作った神の意志を理解したいという動機から始まってる」のではなく、それはあくまでも中間のある時期に現れた動機(=そもそもの始まりではない)ではないか?
ってのが主張したかった内容です。
Re: (スコア:0)
わかりました。どちらにせよ、#2067889 [srad.jp]の
> 結果の問題かな、神様信じる基礎科学の人とかもたくさんいるだろうし
といった、基礎科学の人は神様を信じないのが普通で、神様を信じるのは例外、
あるいは基礎科学と宗教は相容れない、みたいな考え方は違うよと主張するのが
目的だったので、それが言えればいいです。
Re:もしかして (スコア:1)
>基礎科学の人は神様を信じないのが普通で、神様を信じるのは例外、
そもそも、欧米では、無宗教そのものがマイノリティですしwww
おそらく、どの分野でも神様信じてるという人の方が主流でしょう。(内心はどう思ってるかは別にしても)
通知の設定いじったから、ACだとコメントされても気づかない事が多いよ。あしからずw
Re: (スコア:0)
>最近だとアインシュタインとか。
アインシュタインは微妙じゃね?
宗教や神に対して「無知からの迷信」だの「人間の弱さの表れ」とか言っちゃうぐらいだから。
#比喩としては神を良く持ち出すけどさ。
といってもまあ、アイシュタインが本当に無神論者だったのかどうかってのは今でもちらほらと研究論文が出るようなものなんで、断言は出来んけど。
Re: (スコア:0)
># 明快な微分積分と、曖昧模糊とした錬金術が同居できるのは不思議です。
それはあくまで道の見えた後世の評価であって、研究している間は同じように(周りからみたら胡散臭い)とても魅力的なテーマだったんじゃないかな。
研究者が真っ当な道で成果を挙げるか、胡散臭いテーマに囚われてそこから一生抜け出せなくなるかは紙一重の差かもしれない。
たとえば、他のことならマトモすぎるくらいなのに、ある特定の分野に話を振ると頭がおかしいとしか思えない人は、世の中にそう珍しくはないと思う。
なかでも研究職は研究の面だけに限らず、特にその傾向が強いような。
#昔聞いた話なんだけど、研究者が「心」とか言い出すと、ついにこの先生もおかしくなったかという兆しで、
#大真面目に「愛」だとか言い出すころには、もう学会で相手にされなくなってるケースが多いとか。
#もちろんこれは、人間の感情をシステマティックに研究してる心理系の研究者とはまた別の話なので、あしからず。
Re: (スコア:0)
現代の我々は、金は元素であって化学反応で作り出すことはできないことを知ってますが、
当時はそれは分からなかったのではないでしょうか。
錬金術と呼ぶと怪しげな響きですが、化学と呼ぶとまともな学問になります。
Re: (スコア:0)
現代でも「ペロッ。これは放射性物質!!」とか、化学反応と核反応の区別もついてなさそうな人がたくさんいるようです。
Re: (スコア:0)
化学者が物質を調べるのに味を見ることをしないのは、たんに危険だから。
味で分析ができるわけないだろ、という考えに基づくものではありません。
放射能そのものが味の原因となるというのは考えにくいけど、いま話題にしている
放射性物質は化学物質としてももともとそこにあるものではないから、その味を見ている
可能性は完全にゼロというわけではないと思うけど定量的な検証が必要でしょう。
直感的には、味を感じるほどの量があれば死んでしまいそうな気がする。
(気がするだけで、検証したわけではない)。
まあ、ストロンチウムやセシウムは金属だから金属の味がしてもおかしくない、
というのはおかしいけどね。ストロンチウムやセシウムやイオン化傾向がとても
強いと思われるから、金属状態で存在することはまずないだろうし、つまりは
塩(塩化ナトリウム)をなめて金属の味がすると言っているようなものですね。