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考えてみたらいい、瀬戸内海は昔から工場排水で栄養塩が豊富だったのか?そうじゃないだろう。
工場ができる前は山から栄養塩がきちんと供給され、山と海が繋がって一つの生態系になっていた。落ち葉が分解され、それを食べるもの、さらにそれを食べる生き物の生態系が海まで含めて存在したわけだ。その繋がりやバランスを考えないまま、現状の栄養塩不足を単純にとらえて「海に栄養が足りない!海に供給しなきゃ!」ということで下水処理場の運用方法を調整して戻すというのは、あまりに近視眼的でおかしい。不足する原因は山から川にかけての生態系が壊滅しているからだよ。里山は荒れ、山は針葉樹林ばかり植わっているから十分な落ち葉もないし。
環境省なんだから、きちんと農林水産省や経済産業省と連携して山から海まで一つながりで対応してほしい。もし説明不足で、単にこれが対策の一つに過ぎないというのであれば、そう説明すればいいだけだが。そうでないと、また赤潮やら青潮まで戻るよ。
平安時代から江戸時代にかけて、瀬戸内海沿岸の山々は、「はげ山」で、土壌流出が激しかったことがここに書いてあります。
塩田で得られた濃厚な塩水を塩屋の釜で煮詰めて結晶塩を得ますが、この時の燃料として瀬戸内海の島々や沿岸の山々の照葉樹が切り倒され、使われました。照葉樹(しょうようじゅ)林は瀬戸内海の元々の植生で、原生植生(一次林)と呼ばれています。一次林が塩田用に切り倒されたために、瀬戸内海沿岸の山々は、平安時代から江戸時代にかけてはげ山となりました。はげ山に露出した花崗岩(かこうがん)は風や雨で風化して「マサ土」と呼ばれる砂質土壌に変化し、マサ土は海岸に流出して、瀬戸内海沿岸に白い砂浜を形成したのです。(消えた塩田―製塩業がつくった白砂青松(はくしゃせいしょう)― [zaidan.info]より)
元コメの「工場ができる前は山から栄養塩がきちんと供給され、山と海が繋がって一つの生態系になっていた」とか、「落ち葉が分解され、それを食べるもの、さらにそれを食べる生き物の生態系が海まで含めて存在したわけだ」は、当たっていないと思いました。
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Stay hungry, Stay foolish. -- Steven Paul Jobs
原因をおろそかにして短期的な解決を図る愚策 (スコア:0)
考えてみたらいい、瀬戸内海は昔から工場排水で栄養塩が豊富だったのか?
そうじゃないだろう。
工場ができる前は山から栄養塩がきちんと供給され、山と海が繋がって一つの生態系になっていた。
落ち葉が分解され、それを食べるもの、さらにそれを食べる生き物の生態系が海まで含めて存在したわけだ。
その繋がりやバランスを考えないまま、現状の栄養塩不足を単純にとらえて「海に栄養が足りない!海に供給しなきゃ!」ということで下水処理場の運用方法を調整して戻すというのは、あまりに近視眼的でおかしい。
不足する原因は山から川にかけての生態系が壊滅しているからだよ。
里山は荒れ、山は針葉樹林ばかり植わっているから十分な落ち葉もないし。
環境省なんだから、きちんと農林水産省や経済産業省と連携して山から海まで一つながりで対応してほしい。
もし説明不足で、単にこれが対策の一つに過ぎないというのであれば、そう説明すればいいだけだが。
そうでないと、また赤潮やら青潮まで戻るよ。
昔、瀬戸内海沿岸は「はげ山」でした (スコア:1)
平安時代から江戸時代にかけて、瀬戸内海沿岸の山々は、「はげ山」で、土壌流出が激しかったことがここに書いてあります。
元コメの「工場ができる前は山から栄養塩がきちんと供給され、山と海が繋がって一つの生態系になっていた」とか、「落ち葉が分解され、それを食べるもの、さらにそれを食べる生き物の生態系が海まで含めて存在したわけだ」は、当たっていないと思いました。