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宇宙の力とかいうから胡散臭さが増えるんだけど、要するに、量子力学の確率波はやっぱり過去にも影響するんだと、(ニールセン教授が言ってるんでしょ)んでLHCがヒッグス粒子を作るかもしれないと、んでも未来の世界(universe、宇宙って訳してもいいけどさ)は、ヒッグスを作らないほうへ収束するんだと、だからLHCができそうになると些細なことがおきていつまでたっても動かないんだと。でこれをニールスボーア研究所のニールセン教授と京大の二宮教授が言ってると。”宇宙の力”って書き方が悪いよ、どっちもマトモな学者わけだし。(説はぶっ飛んでるけど一応科学の体を成してるから「この理論は常識に反するからありえねえ。」ってのは無しなわけでしょ、「この理論は実験に反してるから無し。」でいかなきゃいけない話でしょ。
論文 -
http://www.pref.okayama.jp/kikaku/kouryoushi/system/system.htm#2 [okayama.jp]
たとえ彼が元物理学会会長だったとしても、こんな電波な紹介文を書いてる時点で十分うさんくさい肩書きと主張は分離して考えるべきだよ、常に。
>この論文は、旧約聖書の創世記にある「神は混沌からまず光を生み出された」という>記述を裏付けるものとしても注目された。
この部分は確かに電波っぽい。ですが、
>この宇宙が生まれた直後の混沌状態から最初に発生したゲージ場が可換ゲージ場、>つまり電磁場であったことを理論的に証明した
に関しては、いま恐らくは正しいと考えられ実際に有用であるゲージ場、標準模型といったような素粒子分野の研究を宇宙論に応用する上で、それなりに価値を持つものじゃないですかね。
デンパといっても、たとえばそもそも、LHCが探そうとしているヒッグス粒子にしても、その導入は見方によっては場当たり的な、外野からはデムパっぽい印象もあるかもです。
「先生、質量の項を加えると繰り込めませんが?」「そりゃ大変だ。じゃあなんだかよくわからないけどヒッグス場が全宇宙を満たしてることにしたらどうよ?」「何だかよくわからないけどいまくいきそうです!」
みたな感じで。神の意思が宇宙を満たしてるとか、そういうのと紙一重に思えるかもしれない。しかし、神の意思との最大の違いは、ヒッグス場の導入でもって何もかもうまくいき、きっちり計算できるようになり、新たな知見が開かれる点です。そして恐ろしいことに、どうやらヒッグス場から予見される現象らしきものも観測できそうだ、となる。
じゃあ観測できればヒッグス場やら力を介在するヒッグス粒子は実在するのかってと、その辺は難しい。そもそも実在とは何だという話になりますから。
たとえば、すごく基本的な事柄である電子のスピンということひとつとっても、実在を問うと微妙。電子のスピンは日常的に、磁石みたいな形で実体験を通して観測できますけど、電子はそもそも大きさがないはずですよね。大きさがない電子が回転してるってのはどいうことなんだ? と。常識的には、わかんないですよね。まさにデンパです。
しかし電子がスピンしていると考えればつじつまが合い、うまく説明できるし計算も合う。なんで実在かどうかはおいておいて、電子はスピンしていることにしよう、と。さらに踏み込んで、計算が合うのだから実在しているんだろう、という考え方もある。いずれにしても、電子がぐるぐる回ってるところを見た人はいないわけで、角運動量というような間接的な形で観測される抽象的な存在でもあるんです。
核子のアイソスピンなんていうのは、もっと抽象的で、そもそも実在しているのかどうか、実在しているとしてどういうモノなのかちゃんと説明できる人はいないでしょう。しかし、アイソスピンでもっていろいろうまく説明できる。
ですから、標準模型のような突っ込んだ理論が語るさまざまな事柄が、常識的な意味で実在してると考えると、ものすごくデムパっぽい話になってきたりもするわけです。うまくいろいろな現象が説明でき計算が驚くほどの精度で合うので、おそらくは実在の何かをかすっているだろうけれども、実在とか真実というのは人間の手の届かないところにあるのかもしれないし、そうであったとしても不思議はない。
ならば宇宙論なんか意味があるのかと思うかもしれないですけど、人間の知見でもってどこまで宇宙を解明できるのかを見極めることは大きなチャレンジであり、人間はなぜ存在しているのかといったような哲学的な部分においても、とても重要なことだと思います。
要するに、世の中にはデムパと紙一重な研究もあるが、しかしデムパとは限らない。時として非常に有用であったり、また真実の何がしかをかすっていたりもするわけです。デムパと決めつめるのはせめて元論文に当たってからにしてほうがいいかもしれませんね。
ようするに、頭ごなしに自分の常識と外れているからこの説はダメ、っていうのは科学じゃなくて、自分の実験結果とはずれいているからこの説はダメ(かも)、っていうのが科学なわけですよね?
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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン
この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら(ry (スコア:2, おもしろおかしい)
universeを宇宙って訳すから胡散臭いんじゃないか? (スコア:1)
宇宙の力とかいうから胡散臭さが増えるんだけど、
要するに、
量子力学の確率波はやっぱり過去にも影響するんだと、(ニールセン教授が言ってるんでしょ)
んでLHCがヒッグス粒子を作るかもしれないと、
んでも未来の世界(universe、宇宙って訳してもいいけどさ)は、
ヒッグスを作らないほうへ収束するんだと、
だからLHCができそうになると些細なことがおきていつまでたっても動かないんだと。
でこれをニールスボーア研究所のニールセン教授と京大の二宮教授が言ってると。
”宇宙の力”って書き方が悪いよ、どっちもマトモな学者わけだし。(説はぶっ飛んでるけど一応科学の体を成してるから「この理論は常識に反するからありえねえ。」ってのは無しなわけでしょ、「この理論は実験に反してるから無し。」でいかなきゃいけない話でしょ。
論文 -
Re:universeを宇宙って訳すから胡散臭いんじゃないか? (スコア:0)
http://www.pref.okayama.jp/kikaku/kouryoushi/system/system.htm#2 [okayama.jp]
たとえ彼が元物理学会会長だったとしても、こんな電波な紹介文を書いてる時点で十分うさんくさい
肩書きと主張は分離して考えるべきだよ、常に。
何が電波かをみきわめるのは難しい (スコア:2, 興味深い)
>この論文は、旧約聖書の創世記にある「神は混沌からまず光を生み出された」という
>記述を裏付けるものとしても注目された。
この部分は確かに電波っぽい。ですが、
>この宇宙が生まれた直後の混沌状態から最初に発生したゲージ場が可換ゲージ場、
>つまり電磁場であったことを理論的に証明した
に関しては、いま恐らくは正しいと考えられ実際に有用であるゲージ場、標準模型といったような
素粒子分野の研究を宇宙論に応用する上で、それなりに価値を持つものじゃないですかね。
デンパといっても、たとえばそもそも、LHCが探そうとしているヒッグス粒子にしても、
その導入は見方によっては場当たり的な、外野からはデムパっぽい印象もあるかもです。
「先生、質量の項を加えると繰り込めませんが?」
「そりゃ大変だ。じゃあなんだかよくわからないけどヒッグス場が全宇宙を満たしてることにしたらどうよ?」
「何だかよくわからないけどいまくいきそうです!」
みたな感じで。神の意思が宇宙を満たしてるとか、そういうのと紙一重に思えるかもしれない。
しかし、神の意思との最大の違いは、ヒッグス場の導入でもって何もかもうまくいき、きっちり
計算できるようになり、新たな知見が開かれる点です。
そして恐ろしいことに、どうやらヒッグス場から予見される現象らしきものも観測できそうだ、
となる。
じゃあ観測できればヒッグス場やら力を介在するヒッグス粒子は実在するのかってと、
その辺は難しい。そもそも実在とは何だという話になりますから。
たとえば、すごく基本的な事柄である電子のスピンということひとつとっても、実在を問うと微妙。
電子のスピンは日常的に、磁石みたいな形で実体験を通して観測できますけど、
電子はそもそも大きさがないはずですよね。
大きさがない電子が回転してるってのはどいうことなんだ? と。
常識的には、わかんないですよね。まさにデンパです。
しかし電子がスピンしていると考えればつじつまが合い、うまく説明できるし計算も合う。
なんで実在かどうかはおいておいて、電子はスピンしていることにしよう、と。
さらに踏み込んで、計算が合うのだから実在しているんだろう、という考え方もある。
いずれにしても、電子がぐるぐる回ってるところを見た人はいないわけで、角運動量という
ような間接的な形で観測される抽象的な存在でもあるんです。
核子のアイソスピンなんていうのは、もっと抽象的で、そもそも実在しているのかどうか、
実在しているとしてどういうモノなのかちゃんと説明できる人はいないでしょう。
しかし、アイソスピンでもっていろいろうまく説明できる。
ですから、標準模型のような突っ込んだ理論が語るさまざまな事柄が、常識的な意味で
実在してると考えると、ものすごくデムパっぽい話になってきたりもするわけです。
うまくいろいろな現象が説明でき計算が驚くほどの精度で合うので、おそらくは実在の
何かをかすっているだろうけれども、実在とか真実というのは人間の手の届かないところに
あるのかもしれないし、そうであったとしても不思議はない。
ならば宇宙論なんか意味があるのかと思うかもしれないですけど、人間の知見でもってどこまで
宇宙を解明できるのかを見極めることは大きなチャレンジであり、人間はなぜ存在しているのか
といったような哲学的な部分においても、とても重要なことだと思います。
要するに、世の中にはデムパと紙一重な研究もあるが、しかしデムパとは限らない。時として非常に
有用であったり、また真実の何がしかをかすっていたりもするわけです。デムパと決めつめるのは
せめて元論文に当たってからにしてほうがいいかもしれませんね。
Re:何が電波かをみきわめるのは難しい (スコア:1)
ようするに、
頭ごなしに自分の常識と外れているからこの説はダメ、っていうのは科学じゃなくて、
自分の実験結果とはずれいているからこの説はダメ(かも)、っていうのが科学なわけですよね?