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60年代にピークというのは興味深いですが、いろいろパターンが試されて、人気の無いのが淘汰されているからコードのバリエーションが減って可能性はあると思います。
その論法だと、古代以来、音楽は単調になりつづけてることになります。
実際には、人気があるパターンが出てきたら、それをみんながまねるようになって単調になり、そうすると飽きてくるので新しいパターンが模索される、そのなかから新たな「人気があるパターン」が生まれる、という繰り返しなのではないと思います。
ロックやポップスは歴史が浅く、まだ一巡していないのだ、という可能性はありますね確かに。
でもどうなのかなあ?人間が心地よく聞こえるコード進行には限りがあるようだし、ロックやポップスといったジャンルのお約束と合わせるとバリエーションは意外に少ないのかな、という気もしますよ。最適化が進むとどれも似たようなものになるという。
長い歴史を持つクラシックでは偉大な作曲家の時代が終わり、今は偉大な演奏家の時代なのだみたいな話もあるようで。不協和音全開の現代音楽なんてのも、きつい制約のくびきから逃れようという試みのようにも見えますけど、少なくとも普通の人が聞く音楽にはなりえてないですね。
クラシックの作曲のピークは終わっているという一部意見と、このネタ元の研究なんかとあわせて考えると、音楽というのは宿命的に似たものに収束していくのかもしれないなあとか。
無論、これはコンピュータ屋の勝手な妄想で、新しいものを生み出そうと努力してる音楽家の人たちは今でもいっぱいいるでしょうし、それを否定するつもりはさらさらありませんが。
> 長い歴史を持つクラシックでは偉大な作曲家の時代が終わり、今は偉大な演奏家の時代なのだ
すでに偉大な演奏家はほとんど死に絶えて、金太郎飴な演奏家が多いんですけど。ここ世界もかなり興行主やレコードレーベルの意向が左右しているようなんで、演奏以外の要素で売っている点は似たようなもの。
ところで、「演奏の時代」といえば、作曲当時の楽器(の復元版)と作曲当時の演奏スタイル(と思しきもの)で演奏するスタイルがここ数十年広まり、初めはバロック以前の音楽への適用が主体だったのですが、最近では19世紀中ごろの音楽にも応用されているようです。
音色や強弱のつけ方など、19世紀のロマンティックな様式の時代の習慣で演奏されるものとは明らかに異なるので聴くほうにとっては新鮮なのが流行る理由でしょう。これもまた、現代音楽が一般聴衆にとっては詰まらない(というか聴くに堪えない)が、それでも耳に新しいものを聴きたいという要求に沿った試みのひとつという気がします。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
自然淘汰 (スコア:0)
60年代にピークというのは興味深いですが、いろいろパターンが試されて、人気の無いのが淘汰されているからコードのバリエーションが減って可能性はあると思います。
Re:自然淘汰 (スコア:0)
その論法だと、古代以来、音楽は単調になりつづけてることになります。
実際には、人気があるパターンが出てきたら、それをみんながまねるようになって単調になり、
そうすると飽きてくるので新しいパターンが模索される、そのなかから新たな「人気があるパターン」が生まれる、
という繰り返しなのではないと思います。
Re:自然淘汰 (スコア:2)
ロックやポップスは歴史が浅く、まだ一巡していないのだ、という可能性はありますね確かに。
でもどうなのかなあ?
人間が心地よく聞こえるコード進行には限りがあるようだし、ロックやポップスといった
ジャンルのお約束と合わせるとバリエーションは意外に少ないのかな、という気もしますよ。
最適化が進むとどれも似たようなものになるという。
長い歴史を持つクラシックでは偉大な作曲家の時代が終わり、今は偉大な演奏家の時代なのだ
みたいな話もあるようで。不協和音全開の現代音楽なんてのも、きつい制約のくびきから逃れよう
という試みのようにも見えますけど、少なくとも普通の人が聞く音楽にはなりえてないですね。
クラシックの作曲のピークは終わっているという一部意見と、このネタ元の研究なんかと
あわせて考えると、音楽というのは宿命的に似たものに収束していくのかもしれないなあとか。
無論、これはコンピュータ屋の勝手な妄想で、新しいものを生み出そうと努力してる音楽家の
人たちは今でもいっぱいいるでしょうし、それを否定するつもりはさらさらありませんが。
Re:自然淘汰 (スコア:1)
> 長い歴史を持つクラシックでは偉大な作曲家の時代が終わり、今は偉大な演奏家の時代なのだ
すでに偉大な演奏家はほとんど死に絶えて、金太郎飴な演奏家が多いんですけど。
ここ世界もかなり興行主やレコードレーベルの意向が左右しているようなんで、
演奏以外の要素で売っている点は似たようなもの。
ところで、「演奏の時代」といえば、作曲当時の楽器(の復元版)と作曲当時の演奏スタイル(と思しきもの)で
演奏するスタイルがここ数十年広まり、初めはバロック以前の音楽への適用が主体だったのですが、最近では
19世紀中ごろの音楽にも応用されているようです。
音色や強弱のつけ方など、19世紀のロマンティックな様式の時代の習慣で演奏されるものとは明らかに異なるので
聴くほうにとっては新鮮なのが流行る理由でしょう。これもまた、現代音楽が一般聴衆にとっては詰まらない(というか
聴くに堪えない)が、それでも耳に新しいものを聴きたいという要求に沿った試みのひとつという気がします。