アカウント名:
パスワード:
無駄な公共事業に金と労力をぶち込むよりも、税金を下げるほうが経済にいい影響を与えるということを理解してないな。宇宙開発は無駄とは思わんが、公共事業には無駄なものがある [masako-hiroba.info]ので、そういうのは削っていくべき。
実は何のリソースも消費されていない。現実には見た目のコストに比べ、実際に使われるリソースがはるかに少ない、という話です。 要するに内貨は実資源ではない、とだけ覚えておけば良いです。国がいくらでも発行できるわけですからね。 仮に、上の条件をすべて満たした完全に無駄な公共事業(ただし取り壊し・土地の占有等のマイナス価値はないものとする)と、貴方の税金の引き下げプランを比較した場合、国民全体の豊かさとしては全く同じになります。両者とも国民に対して使われる労働および資源・生産される財は同じだからです。ただし、その場合前者の方が次のような点で経済に対する悪い影響があるのは事実です。
自由主義者は前者を理由に、感情的な国民は後者を理由に批判するでしょう。どちらも正当な批判です。 現実には、事前に完全に無駄だとわかっている公共事業など存在しないですし、無駄との批判はコストだけを見て他に転換可能との前提で行われる事がほとんどです。私が言っているのは、その結果過度に批判されているという事にすぎません。(過度の批判の理由は他に、税金への忌避感による感情的批判が多くを占めます。) また「無駄な公共事業がある」という話で、国としての公共事業の総量を変えないというならこの議論の範疇外です。 しかし、無駄というのは結果論やいくつかあるうちの一つの立場にすぎません。 前者は、事前に分からないのでは今後無駄の判定の仕様がない。あるいは、事前に予測不能な一定の確率で無駄が発生するなら、開始前ではどの事業も無駄ではない。例えば、ババ抜きでカードを引く事が無駄にならないのと同じです。引いた後、さっき引いたのは無駄だったという人はいないでしょう。 後者では、日本は民主主義国ですから、誰かが無駄だと主張する事と国家により決まった事が異なるなら後者の方がより正しいはずです。結果無駄が出るなら、現在のこの国の能力がその程度のものだという事です。 これが無駄だったから反省しようとか、これが無駄ではないかと指摘して議論するのは妥当な行為です。しかし、相手と議論する気もなく、この事業は無駄だからやめてしまえ、と自分の立場の表明で終わらせることは無意味な行為に過ぎません。
> 要するに内貨は実資源ではない、とだけ覚えておけば良いです。国がいくらでも発行できるわけですからね。
ではなぜ税金をただにして、政府の費用を全て国債や銀行券の増刷で賄わないのか?経済の基本も知らないド素人の妄想には付き合ってられんよw
> ではなぜ税金をただにして、政府の費用を全て国債や銀行券の増刷で賄わないのか?BOJに言ってやれ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
本当に愚かな批判 (スコア:2)
こういった批判では、その事業が多額の「資金」を使い、そのお金を使えば別のことができるから望ましくない、のような主張がされます。
家庭のようなミクロの単位ではそれは成り立ちます。しかし、国家単位で見た場合多くの点でそれは誤っています。
国家にとっては資金換算できても実際には買えないもの、売れないものがあります。その代表は労働力・土地・水などです。
国家単位の議論をする場合には、単純な価格換算ではなく、部門別のリソースをみて議論すべきです。
航空宇宙学科を出た技術者は同じだけ給与
↑本当に愚かな批判 (スコア:0)
無駄な公共事業に金と労力をぶち込むよりも、税金を下げるほうが経済にいい影響を与えるということを理解してないな。
宇宙開発は無駄とは思わんが、公共事業には無駄なものがある [masako-hiroba.info]ので、そういうのは削っていくべき。
Re:↑本当に愚かな批判 (スコア:2)
実は何のリソースも消費されていない。現実には見た目のコストに比べ、実際に使われるリソースがはるかに少ない、という話です。
要するに内貨は実資源ではない、とだけ覚えておけば良いです。国がいくらでも発行できるわけですからね。
仮に、上の条件をすべて満たした完全に無駄な公共事業(ただし取り壊し・土地の占有等のマイナス価値はないものとする)と、貴方の税金の引き下げプランを比較した場合、国民全体の豊かさとしては全く同じになります。
両者とも国民に対して使われる労働および資源・生産される財は同じだからです。
ただし、その場合前者の方が次のような点で経済に対する悪い影響があるのは事実です。
自由主義者は前者を理由に、感情的な国民は後者を理由に批判するでしょう。どちらも正当な批判です。
現実には、事前に完全に無駄だとわかっている公共事業など存在しないですし、無駄との批判はコストだけを見て他に転換可能との前提で行われる事がほとんどです。
私が言っているのは、その結果過度に批判されているという事にすぎません。(過度の批判の理由は他に、税金への忌避感による感情的批判が多くを占めます。)
また「無駄な公共事業がある」という話で、国としての公共事業の総量を変えないというならこの議論の範疇外です。
しかし、無駄というのは結果論やいくつかあるうちの一つの立場にすぎません。
前者は、事前に分からないのでは今後無駄の判定の仕様がない。あるいは、事前に予測不能な一定の確率で無駄が発生するなら、開始前ではどの事業も無駄ではない。例えば、ババ抜きでカードを引く事が無駄にならないのと同じです。引いた後、さっき引いたのは無駄だったという人はいないでしょう。
後者では、日本は民主主義国ですから、誰かが無駄だと主張する事と国家により決まった事が異なるなら後者の方がより正しいはずです。結果無駄が出るなら、現在のこの国の能力がその程度のものだという事です。
これが無駄だったから反省しようとか、これが無駄ではないかと指摘して議論するのは妥当な行為です。しかし、相手と議論する気もなく、この事業は無駄だからやめてしまえ、と自分の立場の表明で終わらせることは無意味な行為に過ぎません。
Re: (スコア:0)
> 要するに内貨は実資源ではない、とだけ覚えておけば良いです。国がいくらでも発行できるわけです
からね。
ではなぜ税金をただにして、政府の費用を全て国債や銀行券の増刷で賄わないのか?
経済の基本も知らないド素人の妄想には付き合ってられんよw
Re:↑本当に愚かな批判 (スコア:2)
そうした場合、通貨量がどこまでも増大します。インフレになりますし、政府や貨幣の信頼をなくします。貿易ができなくなるでしょうし、それ以前に発行した通貨を使うものはいなくなるでしょう。
現にインフレになっていないように見えるのは、国債を買う人や機関がまた国債を買っているからです。綱渡りですし、その分は民間に投資されないわけです。実際には多少実勢よりインフレになっているはずです。
また他の機能もあります。
一つは、既にお金を持っている人から金を取り上げて再分配する事です。同じことはインフレでも可能ですが、税の方が細かい制御できます。
二つは、景気の循環の調節です。まぁここの話より難しい事です。
三つは、そのままでは市場で取引されない外部不経済を内部化する等経済政策の一手段としてです。補助金でも行えます。環境税などはまさにこの例です。少し例外的ですね。
何より、国債や通貨発行で資金を調達しようが、税で調達しようが、あるいは労働力と流通の完全管理により経済を回そうが、国が同じ分の事業や政策を行う場合国民全体の負担や豊かさが変わりません。
それは、国内に同じだけの資源や労働力があって、そのうちの同じ量を政府が使って、同じ分を国民に与える訳ですから変わるわけがないですよね。
あなたは税金をなくせば自分の生活が豊かになる、などと考えているかもしれませんが、結局はインフレなり強制労働なりで同じ分だけ負担する事になるわけです。
国債を大量に発行している今もそうです。国債だから負担していない、という事ではなく、インフレという形で私たちは負担しているわけです。国債は利息がある分もっと性質が悪いです。
まぁ、国債を持っている人たちがまた国債に投資してくれているおかげで実際にはインフレには見舞われずにいますが、ある日彼らが恐慌を来したらどうなるでしょうかね。インフレなりバブルなりが起きるでしょう。だから消費税を上げるわけですね。
ただあなたの反論ももっともです。理由は国がいくらでも発行できるからではなく、内貨をどう扱おうが労働力や資源や外貨が増える事も減る事もないからでした。失礼しました。
Re: (スコア:0)
> ではなぜ税金をただにして、政府の費用を全て国債や銀行券の増刷で賄わないのか?
BOJに言ってやれ。