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経済物理学というのは(新古典派)経済学とはだいぶ異なる学問分野で、互いに互いをあてにならないと見なしている傾向にあります。(新古典派)経済学は各プレイヤーのインセンティブ構造を仮定して、その結果として生じる均衡状態の性質を用いて現実を説明する演繹法を用いた理論体系です。もちろんその体系の妥当性をデータを用いて検証することも行われていますが、前者の理論的洞察が(新古典派)経済学の核にあるでしょう。他方、経済物理学は主として多量のデータを用いて現実を説明する事に主眼が置かれている物理学の一分やであり、どのような確率過程や分布
> そして、想定しなかった状況の変化の結果として生じた指標の変化が、想定していた状況の変化の結果と異なるものであったとしても、それは理論の妥当性を損ねるものであるとも考えません。
それを自覚していない経済学者(モドキ)が多いから、(新古典派)経済学が使えないお遊びになる原因なんだよね。
ですね。「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。「でもモデルの中では間違ってなかった」というのは、工学あるいは実用上言い逃れにならない。単に「使えない」ってだけ。
まあ、その程度のことすら自覚していない経済学者なんかいないはず。そこまでバカの集団じゃありません。でも、自覚と同時に、そう言い逃れする厚顔無恥さも持ち合わせている人種なんでしょう。
> 「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。モデルというのは現実の全ての要素を含めるものではなく、焦点を当てた部分の関係を整理するために用いるものです。従って、良くできたモデルであっても、現実の現象に影響を与える要素の多くは含まれていないのが普通です。
モデルで想定していなかった事象によってモデルに基づく予想が外れるというのは、例えば政府の公共支出の規模とGDPの関係を説明するモデルに基づき、政府の補正予算によって公共支出が増えるので、GDPが増加すると予測をしたときに、海外で金融機
竹中平蔵氏は一般向けのニュース解説や実務家として大臣まで勤められるなど、一人の人物として大変な努力をした方なのだろうと思います。しかし、経済学者として執筆した学術論文を一度も見たことがありませんし、論文博士号取得に関するスキャンダルなどを見るに、狭い意味での経済学者には含まれないと考えています。
著書は大臣日記をざっと読んだことがあるだけなのですが、一人当たり経済成長率と経済成長率を区別しないで論じるというごく初歩的な誤りが見られました。他人の研究を一般の人向けにわかりやすく解説するのも学者の仕事の一つだとは思いますが、明確な誤りは有害でしかないので、その後の版で改訂されている事を期待しています。
慶応大学に限らずですが、教員が全員優秀である大学は見たことがありません。しかし、一般の方は個々の大学教員の学者としての能力を判断できないため、ブランドのある大学の教員の言説はたとえそれがどんなものであっても流布しやすいものです。ブランドのある大学の人事はより慎重であって欲しいものです。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
経済学者という名の山師ですかね (スコア:0)
1ヶ月近くあれば、別な要因で下がった可能性も捨てきれないでしょう。
(特に中国では)
株価などは、人為的に変動しやすいから、もし、正確な変動予測というものが
あったとしても、その通りにはならないでしょう。
本当に
経済学者、地震の予知、占い師の言うことには、眉に唾付けて、
話半分で聞かないといけないね。
Re: (スコア:5, 参考になる)
経済物理学というのは(新古典派)経済学とはだいぶ異なる学問分野で、互いに互いをあてにならないと見なしている傾向にあります。
(新古典派)経済学は各プレイヤーのインセンティブ構造を仮定して、その結果として生じる均衡状態の性質を用いて現実を説明する演繹法を用いた理論体系です。
もちろんその体系の妥当性をデータを用いて検証することも行われていますが、前者の理論的洞察が(新古典派)経済学の核にあるでしょう。
他方、経済物理学は主として多量のデータを用いて現実を説明する事に主眼が置かれている物理学の一分やであり、どのような確率過程や分布
Re: (スコア:0)
> そして、想定しなかった状況の変化の結果として生じた指標の変化が、想定していた状況の変化の結果と異なるものであったとしても、それは理論の妥当性を損ねるものであるとも考えません。
それを自覚していない経済学者(モドキ)が多いから、(新古典派)経済学が使えないお遊びになる原因なんだよね。
Re: (スコア:1)
ですね。
「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。
「でもモデルの中では間違ってなかった」というのは、工学あるいは実用上言い逃れにならない。単に「使えない」ってだけ。
まあ、その程度のことすら自覚していない経済学者なんかいないはず。そこまでバカの集団じゃありません。
でも、自覚と同時に、そう言い逃れする厚顔無恥さも持ち合わせている人種なんでしょう。
Re: (スコア:1)
> 「想定しなかった状況の変化」ってのは、モデル化が適切でなかった、と理解すべき。
モデルというのは現実の全ての要素を含めるものではなく、焦点を当てた部分の関係を整理するために用いるものです。
従って、良くできたモデルであっても、現実の現象に影響を与える要素の多くは含まれていないのが普通です。
モデルで想定していなかった事象によってモデルに基づく予想が外れるというのは、例えば政府の公共支出の規模とGDPの関係を説明するモデルに基づき、政府の補正予算によって公共支出が増えるので、GDPが増加すると予測をしたときに、海外で金融機
Re: (スコア:0)
竹中平蔵はすべての失政を「構造改革が足りなかったからだ」と片付けて毛の走狗のような振る舞いを見せていますが、どうお考えですか。
竹中平蔵が名門慶応義塾大学の教授におさまっていることについての感想もお聞かせいただければ幸いです。
Re:経済学者という名の山師ですかね (スコア:1)
竹中平蔵氏は一般向けのニュース解説や実務家として大臣まで勤められるなど、一人の人物として大変な努力をした方なのだろうと思います。
しかし、経済学者として執筆した学術論文を一度も見たことがありませんし、論文博士号取得に関するスキャンダルなどを見るに、狭い意味での経済学者には含まれないと考えています。
著書は大臣日記をざっと読んだことがあるだけなのですが、一人当たり経済成長率と経済成長率を区別しないで論じるというごく初歩的な誤りが見られました。
他人の研究を一般の人向けにわかりやすく解説するのも学者の仕事の一つだとは思いますが、明確な誤りは有害でしかないので、その後の版で改訂されている事を期待しています。
慶応大学に限らずですが、教員が全員優秀である大学は見たことがありません。
しかし、一般の方は個々の大学教員の学者としての能力を判断できないため、ブランドのある大学の教員の言説はたとえそれがどんなものであっても流布しやすいものです。
ブランドのある大学の人事はより慎重であって欲しいものです。