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科学とは、提示されたものの見方について「良し」「悪し」「正しい」「正しくない」の判断をせずに、ただ「そういうものの見方があるのだ」ということを了解しておくだけのことだと考えています。もちろん科学的な手続きとか約束事としての正しさはあるでしょうが、それをふまえて提示される結論については「正しい」とも「正しくない」とも判断できないでしょう。それは科学的手法の発展によっていつでも反証される可能性があるわけですから。
「信じる」ということは、あるものの見方について「正しい」とか「良い」とかという判断を下して、自分の価値観と切り離せなくしてしまうことだと思います。それは、反証の可能性をつねに認めた態度とは異なります。
なので、何であれ「信じて」しまったらそれは科学とは言えないんじゃないでしょうかね。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
科学とは「判断しない」こと (スコア:4, すばらしい洞察)
科学とは、提示されたものの見方について「良し」「悪し」「正しい」「正しくない」の判断をせずに、ただ「そういうものの見方があるのだ」ということを了解しておくだけのことだと考えています。もちろん科学的な手続きとか約束事としての正しさはあるでしょうが、それをふまえて提示される結論については「正しい」とも「正しくない」とも判断できないでしょう。それは科学的手法の発展によっていつでも反証される可能性があるわけですから。
「信じる」ということは、あるものの見方について「正しい」とか「良い」とかという判断を下して、自分の価値観と切り離せなくしてしまうことだと思います。それは、反証の可能性をつねに認めた態度とは異なります。
なので、何であれ「信じて」しまったらそれは科学とは言えないんじゃないでしょうかね。
はてな支店 [hatena.ne.jp]
Re: (スコア:0)
その仮定の上にさらに仮定の理論を構築して前進しているような分野では、
前提となっている仮定を自己補強しながら「確信」する以外に前に進めないんじゃないですかね。
つまり自分の行き着く先は「正しい」と先駆的了解しているし、信じているんではなかろうかと。
# ある数学者は数学的世界は実在すると信じているし、それが自分では可視なものであると
# すると聞いたことがあります。これも確信したが故の所為ですよね
Re: (スコア:1)
でも、それ以外の部分は、「今のところ誰からも否定されてない」の領域。 この中には、信じるどころか、極端なところでは「とうてい信じられないが、渋々ながら納得せざるを得ない」なんかを含んでいたり。先端物理にかかわってない人から見た相対性理論やら量子力学やら、パラドックスの例 [wikipedia.org]にもちょこっと出てくるような「信じがたい変な数学の定理シリーズ」やら。
なのでまあ、どっちかというと、「信じなくても良いよ」が科学の本質かと思ってます。
Re:科学とは「判断しない」こと (スコア:0)
科学論文の全てを自分で確かめたのか?あらゆる数学公式を厳密に確かめたのか?
百億の実験をして確かめたが、次の実験でおかしなデータが得られない保証は?
なるほどそうだ納得した、という判断の根っこにあるのはなに?
強く強く信じる、確信する、なんなら、一例を確かめて、さらに確信を深めるってだけだろ。
強力な確信の体系を、何かこの世の真理そのものと思って
それにそぐわないあらゆることをトンデモとアホの様に批判する奴が増えてきたなぁ