アカウント名:
パスワード:
小学 2 年で最初に乗算を習うときには、「x 個の物を一組にして、それが y 組あるとき、全部の個数は x×y」という内容のことを (変数を使わずに) 習います。乗算が交換法則 (x×y = y×x) を満たすことは小学 3 年で習います。
という状況を理解していれば、小学 2 年の段階で
8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、ぜんぶで何本いるでしょうか。
という問題に対して「8×6」と立式するのがなぜ誤りとされるのかわかるでしょう。
「問題文にその順で書いてある」なんてのは「8×6」を正解とする理由になりません。その理由があ
で、そういう「教える側の事情」にまで、回答する側の子供が配慮しなくちゃならん状況ってどうよ?ってのが、この話の問題点なのではないかと(^^;
そもそも、「3-10」は式以前に答えからして誤りでは?
むしろ小学校のテストで、授業の内容の理解度以外の何を見ろと。
「式以前に答えが誤り」というのは、考える順序が間違っています。少なくとも小学校の算数では、式が先、答えが後です。習った内容に照らせば、 8×6 も 3−10 も式が誤っているので、答えが合っていようが間違っていようがバツという理屈は筋が通っています。
ただし、 #2072994 [srad.jp] の人みたいに、「8 人に 6 本ずつ」を「各人に 6 本ずつ渡す操作を 8 回行った」と捉えるのは少数派だとは思いますが、児童がそういう理解のもとで 8×6 と書いたのならマルにするべきだとは思います。
ひどい間違え方をしました……。
ただし、 #2072994 [science.srad.jp] の人みたいに、「8 人に 6 本ずつ」を「各人に 6 本ずつ渡す操作を 8 回行った」と捉えるのは少数派だとは思いますが、児童がそういう理解のもとで 8×6 と書いたのならマルにするべきだとは思います。
は、いろいろと意味不明でした。下のように訂正します。
ただし、 #2072994 [science.srad.jp]
>ただし、 #2072994 [slashdot.jp] の人みたいに、「8 人に 6 本ずつ」を「各人に 1 本ずつ、計 8 本渡す操作を 6 回行った」>と捉えるのは少数派だとは思いますが、児童がそういう理解のもとで 8×6 と書いたのならマルにするべきだとは思います。
結局あの答案用紙からだけでは、児童がどういう理解で8x6と書いたのかどうかを、読み取ることはできないですよね。もしかしたら、塾や親から交換法則を既に習っていて、それを理解した上で8x6と書いている可能性もありますし。それなのに、例えば
>「問題文にその順で書いてある」なんてのは「8×6」を正解とする理由になりません。
というような態度で、バツを付けるのはやはりおかしいでしょう。児童の思考過程を勝手に教師が決めつけていることになります。児童が掛け算をどう理解しているのかを知りたいのなら、それが分かるように工夫した設問にするべきでしょう。
もしかしたら、塾や親から交換法則を既に習っていて、 それを理解した上で8x6と書いている可能性もありますし。
答えが変わらないからどちらで書いても良いはずだ、という理解なら、小学校の算数ではバツにされるんじゃないかな。
児童の思考過程を勝手に教師が決めつけていることになります。
僕は教えたことがないのでわかりませんが、ここで「8×6」と書く児童は何か誤解している可能性が高いという経験則があるんじゃないのかなあ。ほとんどの小学校教師は一般人とは比べものにならないくらい多数の児童に教えてきているし、教え方のマニュアルなんかも用意されているわけで、教師が言っていることを「決めつけだ
>答えが変わらないからどちらで書いても良いはずだ、という理解なら、小学校の算数ではバツにされるんじゃないかな。
これは、掛け算の順番にこだわる人に多い主張ですが、私にはさっぱり理解できません。手段と目的を取り違えていませんか?
乗算を教える目的は、乗算の概念を理解して、活用できるようにすることですよね。その導入として、「ひとまとまりの数」と「いくつ分」というような意味付けを行うことは、意味があると私も思います。しかしそれはあくまでも教えるための便宜的な手段ですよね。ある程度乗算に慣れたら、こういった意味付けから離れて、(順序を気にせず)自由に
しかしそのローカルルールを、より普遍的法則(乗算の可換性)に優先させて、 8x6にバツを付けるのはおかしいと思うわけです。
小学校のテストのマルかバツかなんてものは、指導の一方法でしかないわけで、外野がどういう状況でバツを付けるのはおかしいとか言っても詮無きことだと思います。あなたがおかしいと思うことでも、教師は教育のために有益だと思ってやっているのでしょう。
例えば、思考過程を明らかにしたいのであれば、式を日本語で説明させる 設問を加えてはどうですかね。小2にはちょっと荷が重いかもしれませんが、、。
それは小学 2 年の算数の範囲を超えていると思います。あなたはあの設問をまったく評価しないで「もっと工夫しろ」と言うかもしれないけど、これまで散々試されてきた結果、工夫できるぎりぎりがあれくらいしかないってオチなんじゃないかと思いますよ。
> これまで散々試されてきた結果、工夫できるぎりぎりがあれくらいしかないってオチなんじゃないかと思いますよ。その工夫が、誰を対象に行われたものかが気になります。掛け算に順序があるという方便が掛け算を理解できない子向けの工夫だった場合、その方便に理解力が普通の子も巻き込んでしまうことで多くの子供に誤った認識を持たせてしまう可能性があるのでは無いかと。
念のためですが、理解できない子供は放置しておいてもよいという主張では無いです。ただ、理解できてない子も含めて子供たちにあたかも理解したような答案を書かせるのを目的として「単位のサンドイッチ」というようなパターン化したテクニックを教え込むのはどうかと思ってるだけです。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
歴史は繰り返す (スコア:2)
小学 2 年で最初に乗算を習うときには、「x 個の物を一組にして、それが y 組あるとき、全部の個数は x×y」という内容のことを (変数を使わずに) 習います。乗算が交換法則 (x×y = y×x) を満たすことは小学 3 年で習います。
という状況を理解していれば、小学 2 年の段階で
という問題に対して「8×6」と立式するのがなぜ誤りとされるのかわかるでしょう。
「問題文にその順で書いてある」なんてのは「8×6」を正解とする理由になりません。その理由があ
Re: (スコア:1)
で、そういう「教える側の事情」にまで、回答する側の子供が配慮しなくちゃならん状況ってどうよ?
ってのが、この話の問題点なのではないかと(^^;
そもそも、「3-10」は式以前に答えからして誤りでは?
通知の設定いじったから、ACだとコメントされても気づかない事が多いよ。あしからずw
Re: (スコア:2)
むしろ小学校のテストで、授業の内容の理解度以外の何を見ろと。
「式以前に答えが誤り」というのは、考える順序が間違っています。少なくとも小学校の算数では、式が先、答えが後です。習った内容に照らせば、 8×6 も 3−10 も式が誤っているので、答えが合っていようが間違っていようがバツという理屈は筋が通っています。
ただし、 #2072994 [srad.jp] の人みたいに、「8 人に 6 本ずつ」を「各人に 6 本ずつ渡す操作を 8 回行った」と捉えるのは少数派だとは思いますが、児童がそういう理解のもとで 8×6 と書いたのならマルにするべきだとは思います。
Re: (スコア:2)
ひどい間違え方をしました……。
は、いろいろと意味不明でした。下のように訂正します。
Re: (スコア:1)
>ただし、 #2072994 [slashdot.jp] の人みたいに、「8 人に 6 本ずつ」を「各人に 1 本ずつ、計 8 本渡す操作を 6 回行った」
>と捉えるのは少数派だとは思いますが、児童がそういう理解のもとで 8×6 と書いたのならマルにするべきだとは思います。
結局あの答案用紙からだけでは、児童がどういう理解で8x6と書いたのかどうかを、
読み取ることはできないですよね。もしかしたら、塾や親から交換法則を既に習っていて、
それを理解した上で8x6と書いている可能性もありますし。
それなのに、例えば
>「問題文にその順で書いてある」なんてのは「8×6」を正解とする理由になりません。
というような態度で、バツを付けるのはやはりおかしいでしょう。
児童の思考過程を勝手に教師が決めつけていることになります。
児童が掛け算をどう理解しているのかを知りたいのなら、それが分かるように
工夫した設問にするべきでしょう。
Re: (スコア:2)
答えが変わらないからどちらで書いても良いはずだ、という理解なら、小学校の算数ではバツにされるんじゃないかな。
僕は教えたことがないのでわかりませんが、ここで「8×6」と書く児童は何か誤解している可能性が高いという経験則があるんじゃないのかなあ。ほとんどの小学校教師は一般人とは比べものにならないくらい多数の児童に教えてきているし、教え方のマニュアルなんかも用意されているわけで、教師が言っていることを「決めつけだ
Re: (スコア:2)
>答えが変わらないからどちらで書いても良いはずだ、という理解なら、小学校の算数ではバツにされるんじゃないかな。
これは、掛け算の順番にこだわる人に多い主張ですが、私にはさっぱり理解できません。
手段と目的を取り違えていませんか?
乗算を教える目的は、乗算の概念を理解して、活用できるようにすることですよね。
その導入として、「ひとまとまりの数」と「いくつ分」というような意味付けを行うこと
は、意味があると私も思います。しかしそれはあくまでも教えるための便宜的な手段
ですよね。
ある程度乗算に慣れたら、こういった意味付けから離れて、(順序を気にせず)自由に
Re: (スコア:2)
小学校のテストのマルかバツかなんてものは、指導の一方法でしかないわけで、外野がどういう状況でバツを付けるのはおかしいとか言っても詮無きことだと思います。あなたがおかしいと思うことでも、教師は教育のために有益だと思ってやっているのでしょう。
それは小学 2 年の算数の範囲を超えていると思います。あなたはあの設問をまったく評価しないで「もっと工夫しろ」と言うかもしれないけど、これまで散々試されてきた結果、工夫できるぎりぎりがあれくらいしかないってオチなんじゃないかと思いますよ。
Re:歴史は繰り返す (スコア:0)
> これまで散々試されてきた結果、工夫できるぎりぎりがあれくらいしかないってオチなんじゃないかと思いますよ。
その工夫が、誰を対象に行われたものかが気になります。
掛け算に順序があるという方便が掛け算を理解できない子向けの工夫だった場合、その方便に理解力が普通の子も巻き込んでしまうことで多くの子供に誤った認識を持たせてしまう可能性があるのでは無いかと。
念のためですが、理解できない子供は放置しておいてもよいという主張では無いです。ただ、理解できてない子も含めて子供たちにあたかも理解したような答案を書かせるのを目的として「単位のサンドイッチ」というようなパターン化したテクニックを教え込むのはどうかと思ってるだけです。