アカウント名:
パスワード:
進化論が正しくて創造論が間違ってるって証拠がないんだよねー
つか、創造論は「神様のやることは分からん」ってだけの話なんだから、どうして創造論を信じる人がいるのかが不思議。
「そのうち救うから」と言っておきながら2000年も人類をほったらかしにしてきた神様とやらの宗教をなんで信じられるんだろう?なんで「空飛ぶスパゲッティモンスター」ではダメなんだろう?
倫理観を育てるためには、上位自我の拠り所として宗教が必要、というのなら分からんでもないけど、それは大人になったら卒業すべき類のお話だと思うけどなあ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
なんだかなあ (スコア:0)
進化論が正しくて創造論が間違ってるって証拠がないんだよねー
Re:なんだかなあ (スコア:0)
つか、創造論は「神様のやることは分からん」ってだけの話なんだから、
どうして創造論を信じる人がいるのかが不思議。
「そのうち救うから」と言っておきながら2000年も人類をほったらかしにしてきた神様とやらの宗教をなんで信じられるんだろう?
なんで「空飛ぶスパゲッティモンスター」ではダメなんだろう?
倫理観を育てるためには、上位自我の拠り所として宗教が必要、というのなら分からんでもないけど、
それは大人になったら卒業すべき類のお話だと思うけどなあ。
Re: (スコア:0)
人類は群れる動物の一種です。自分自身がリーダーになったり、自分が属する群れのリーダーに従ったりすることには、一種の快感を伴います。リーダーは強力かつ無謬であるほど安心して従えるので望ましいでしょう。だから人は、一方で王になりたい(リーダーシップを発揮したい)と望みながら、同時に神(神の意思でも自然の摂理でも宇宙の法則でもなんでもいいから盤石な何か)を求める性向を持つのではないでしょうか。
だからたぶん、大人になっても、その性向をなだめるために絶対者を信じないと落ち着かない人もいるのでしょう。そのためにすがれるものなら、なんにだってすがるでしょう。ただし、どうせならリーダーは憧れと賞賛の対象となるカッコイイ存在でもあってもらいたいとすれば、創造説に比べて「空飛ぶスパゲッティモンスター」が不人気なのも不思議ではないように思えます。