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倫理とは、大勢の人々を縛るための、縛られる人々自身によって作られた、巨大な足枷です。しかし、その足枷には、人々をどこかに繋ぎとめるための鎖が嵌められていないように、僕には見えるのです。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
倫理という足枷 (スコア:1, 興味深い)
しかし、こういった事例を聞き及ぶたびに、思わずにはいられないことがあります。
医学薬学といった、人間の内側を取り扱う学問にとって、倫理とはかくも巨大な足枷かな、と。
極論すれば、HM氏と同じ症例を100人量産すれば、100倍とまではいかなくとも、いくらかは認知心理学の発展も促進されたでしょう。
当時の医学水準では止むを得なかったとはいえ、当のHM氏自身も、そのようにして「作られた」症例であるのですから。
けれど、そのような行為は
Re:倫理という足枷 (スコア:2, 興味深い)
hokuto さんはは倫理を社会の中で位置づけようとしているように見えます。
であれば、例えばルーマンの社会システム論の枠組みなどが思考のために有用なのではないでしょうか。
社会システム論であれば、足かせの鎖はオートポイエーシス、別の見方をすれば持続可能性、という概念になるでしょう。
それから例えば、倫理は「相手と自分の置換可能性に対する合意」をメディアとして流通させるサブシステムだ、と言えるのではないですかねwww
# 思考を深めるためのポインタは示してみたつもりですよw
# mishimaは本田透先生を熱烈に応援しています
Re: (スコア:0)
アレを最後まで読んだ人って日本に何人くらい居るんだろうなぁ…
大学で課題の一つとして出たけど、レポート出したのは
結局自分と他二人だけだった。
読むなら、気合を入れてかかりましょう。