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他人の不幸でメシはうまかった」記事へのコメント

  • 現代社会において、この脳の働きが人類にとっていい方向に働いているだろうか?
    嫉妬を感じるほうは、まだ向上心などとつながっているように思えるものの
    他人の不幸を快楽にするほうは、百害あって一利なし
    すべての争いの原因/フレームのもと/犯罪の元凶ではないだろうか。

    皆が他人の幸せを祈り、アレゲを愛し、人類の共存共栄を願いたいものです

    ## ヤキモチ系AC

    • 不幸の原因にはしばしば失敗が含まれているのでそれを教訓(あれは失敗の元)として学ぶというメカニズムと繋がっているのかもしれません。>他人の不幸は蜜の味

      他人の成功と自身の比較→失敗の認識→嫉妬による苦痛→失敗に繋がる自己の行動に対する「罰」
      他人の失敗と自身の比較→失敗回避の認識→蜜の味な快楽→失敗を回避した自己の行動に対する「報酬」

      必ずしも「失敗」とは言いにくい「純粋な不運」についてもこのメカニズムが働いてしまうことは不具合なんでしょうけども。

      ゲーム関係の研究では、人は物語的な理解が絡むと純粋に確率的でしかないとされるような事象にも因果関係を見出そうとしてしまうという(今回のような罰/報酬に関わる評価の仕組みとは独立の)性質があるようだという観察があります。

      参考:
      "Rules of Play: Game Design Fundamentals", Katie Salen and Eric Zimmerman, Mit Press, 2003

      例えばゲーム/ギャンブルの世界には典型的な確率事象にストーリー性を持たせることで確率的思考から人の思考を引き離して思い入れさせることで、対象をコントロール可能だと誤解させる(純粋確率ではなく因果関係があると誤解させる)ような演出が色々ありますね。古典的なところではレース仕立てにしてみたり、近年の日本パチ**業界では既成のキャラクターとストーリーを引用したり…。

      そういった物語理解のメカニズムの過剰な働きと成功/失敗に関する評価が連動すると「単なる不運」にも失敗と不幸な結果という構造を見出して教訓を学習しようとしてしまうのでしょう。(確率的思考は情報不足を補う仕組みだと考えると、物語的な情報によって情報不足が解消したと錯覚させられると確率的思考をしなくなるというのは、反応として仕方がないかとは思いますが。)

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