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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
現在形? (スコア:1)
(もしかしたら)ネタみたいなのにマジレスすることになってしまうのかもしれませんが、英語よりよっぽど日本語の方が差が大きいと思うのですが…
日本語の場合、恒常的な状態を表すの(現在形?)と過去形とは違う一方、現在形(?)と未来形に区別はありませんが、日常の会話では、現在として現在進行形を使うのが普通ですよね?(します→しています(or etc.))
逆に、現在形(?)(「する」「します」等)を使うと、時制は無い(恒常状態を表す)、あるいは未来と考える方が普通だと思うのですが、どうなのでしょう…
しかも、未来は、予測として「でしょう(or etc.)」を使いますしねぇ…
例えば「今する」「今します」、「毎日する」「毎日します」って、日本語では現在形(?)じゃないですよねぇ…?
時制 [wikipedia.org]
すいません一部訂正 (スコア:1)
(半ば寝ぼけていて書いてしまったような内容に…)
>英語よりよっぽど日本語の方が差が大きいと思うのですが…
これは英語は助詞 will を付けて表現するが、動詞に変化はない、という意図です。
で、全体としては日常会話としては、現代日本語では、未来と現在と過去を大抵分けて使ってるから、時制はあるでしょう、という意味合いです。
動作で無く、例えば存在を表すような場合も、大抵分けて(動詞、及び助詞で過去、現在、未来、or 恒常を分けて)使うと思うので(それは英語と大差ないと思いますし)。
ただ、ここでのネタだと、ちょっとした未来にも英語は未来形を使うから、未来は遠くに感じるんだ、という意味なんだろうと思うのですが、う~~~ん(笑)
Re:すいません一部訂正 (スコア:5, 参考になる)
一般言語学の議論であるならば、使い分けをしているかどうかが重要なのではなく
文法として確立しているかどうかが重要なのだと思います。
言語の骨格である文法に反映しているのだから、その言語にとって重要な意味のはずだという考え方ですね。
そして、「ている」は「未来を表す文法形式」とは言い難いです。
「私はコメント欄に書き込みをしている」が現在で
「私はコメント欄に書き込みをする」は未来
という使い分けがあるのは確かですが
「ている」の有無が現在と未来の区別に「常に」対応しているわけではなく
「私のコメントは品位を欠く」と
「私のコメントは品位を欠いている」
では「ている」があってもなくても意味がほとんど変わりません。
文法という基準で見れば、日本語は未来の表し方が一貫してないということになると思います。
ちなみに、文法という基準に固執する意味あるの?という反論はあり得ますね。これは難し過ぎる問題なのでノーコメントで。