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進化論を否定するような宗教原理主義は差別やダブルスタンダードの元だから人種差別のKKKに聖職者が関わっていたり、牛豚は食べられても鯨は守ろうとしたりするわけだ
原理主義が広がるのは、まず何か容認し辛い現実があって、そこから精神的なものだけでも、逃れようとするためですね。
苦しみを一時的に癒すために、麻薬に手を出せば、今度は薬の維持のために、不合理、差別、ダブルスタンダードなんでもあり。
ただ、こういう近代精神からの落伍者の再生産みたいな教育が持続的に成立するものか、気になる処ではではあります。
貧困の再生産というのは、富裕の再生産という強い力の影とも言える部分もあるから、持続してしまうのだけれど。
ルターやカルヴァンのような原理主義者がいたからこそ、腐敗した中世的教会の影響力が抑えられ、ヨーロッパが世界を席巻するほど近代化し、さらにはそのカトリックも自浄作用を発揮するようになった(カテキズムという、聖書とは違う原理によって、だけど)。まあ、ナントの勅令までに流れた血の量はプライスレスだ。
とにかく、自分の都合のいいように教理を捻じ曲げていく神秘主義(腐敗した宗教勢力指導者層)にたいして、最も効果的なのが原理主義であることは歴史が証明している。「隋・唐の仏教解釈は間違っている!キミ、天竺行ったことある?本場ではこれが正しい!!」って言い出した玄奘はエヴァンゲリストの鑑だろう。日本では旧態依然とした仏教界を尻目に、平安仏教を興した最澄(天台宗)・空海(真言宗)がこれにあたる。蓮華経っていう意味では日蓮宗とかだってそうだ。
先見性・先進性を持たない原理主義は弊害のみ大きいことは歴史が証明していますね。
理念と現実のギャップが大きい場合に理念を原理主義的に掲げることは悪いことではないのですけど、現実が理念に接近してきて先進性が失われ、理念の誤りや不備が表面化したあとでも後生大事に理念を守り続けるという悲劇(喜劇?)は枚挙に暇がないでしょう。現代の法制度でもこれはときどき発生する現象です(ex日本国憲法)。
キリストもムハンマドも当時の世間レベルに比べれば相当に先進的であったでしょうけど、当然のことながら現代の我々のことを知っていたわけではないので、教義の一部が我々にとって合理的でなくなるのは当たり前の話です。教義自体を修正する勇気が宗教関係者にあればいいのですが、ほとんどの宗教者には無理でしょう(科学と宗教の最大の違いです)。
宗教は必ずしも人民のアヘンの役割のみ果たすとは限りませんよ。
現実は我々にとってあまりにも複雑すぎるのでどのように手をつけていいかわからないという事態は現代人にはしばしば発生する現象ですが、そのような場合に一面の真理を見せられると思考がそれに染まってしまうという教育的効果が原理主義にはあります。インテリがオウムにやられてしまった理由がそれですが、教育的効果と言ったのは、実は正規の学校教育というのも現実を単純化して原理主義的に教えているのだと言ってもそう間違いではないからです。
ものごとを批判的に捉えるという技術を持たない人は常に世の中に一定割合存在するので原理主義もなくなりませんね。弊害をいかに緩和するか、を考えるほうが建設的だと思います。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
原理主義 (スコア:0)
進化論を否定するような宗教原理主義は差別やダブルスタンダードの元
だから人種差別のKKKに聖職者が関わっていたり、牛豚は食べられても鯨は守ろうとしたりするわけだ
Re:原理主義 (スコア:1)
原理主義が広がるのは、まず何か容認し辛い現実があって、
そこから精神的なものだけでも、逃れようとするためですね。
苦しみを一時的に癒すために、麻薬に手を出せば、今度は
薬の維持のために、不合理、差別、ダブルスタンダードなんでもあり。
ただ、こういう近代精神からの落伍者の再生産みたいな教育が
持続的に成立するものか、気になる処ではではあります。
貧困の再生産というのは、富裕の再生産という強い力の影とも
言える部分もあるから、持続してしまうのだけれど。
Re: (スコア:0)
ルターやカルヴァンのような原理主義者がいたからこそ、腐敗した中世的教会の影響力が抑えられ、ヨーロッパが世界を席巻するほど近代化し、さらにはそのカトリックも自浄作用を発揮するようになった(カテキズムという、聖書とは違う原理によって、だけど)。まあ、ナントの勅令までに流れた血の量はプライスレスだ。
とにかく、自分の都合のいいように教理を捻じ曲げていく神秘主義(腐敗した宗教勢力指導者層)にたいして、最も効果的なのが原理主義であることは歴史が証明している。「隋・唐の仏教解釈は間違っている!キミ、天竺行ったことある?本場ではこれが正しい!!」って言い出した玄奘はエヴァンゲリストの鑑だろう。日本では旧態依然とした仏教界を尻目に、平安仏教を興した最澄(天台宗)・空海(真言宗)がこれにあたる。蓮華経っていう意味では日蓮宗とかだってそうだ。
Re: (スコア:0)
先見性・先進性を持たない原理主義は弊害のみ大きいことは歴史が証明していますね。
理念と現実のギャップが大きい場合に理念を原理主義的に掲げることは悪いことではないのですけど、現実が理念に接近してきて先進性が失われ、理念の誤りや不備が表面化したあとでも後生大事に理念を守り続けるという悲劇(喜劇?)は枚挙に暇がないでしょう。現代の法制度でもこれはときどき発生する現象です(ex日本国憲法)。
キリストもムハンマドも当時の世間レベルに比べれば相当に先進的であったでしょうけど、当然のことながら現代の我々のことを知っていたわけではないので、教義の一部が我々にとって合理的でなくなるのは当たり前の話です。教義自体を修正する勇気が宗教関係者にあればいいのですが、ほとんどの宗教者には無理でしょう(科学と宗教の最大の違いです)。
Re: (スコア:0)
宗教は必ずしも人民のアヘンの役割のみ果たすとは限りませんよ。
現実は我々にとってあまりにも複雑すぎるのでどのように手をつけていいかわからないという事態は現代人にはしばしば発生する現象ですが、そのような場合に一面の真理を見せられると思考がそれに染まってしまうという教育的効果が原理主義にはあります。インテリがオウムにやられてしまった理由がそれですが、教育的効果と言ったのは、実は正規の学校教育というのも現実を単純化して原理主義的に教えているのだと言ってもそう間違いではないからです。
ものごとを批判的に捉えるという技術を持たない人は常に世の中に一定割合存在するので原理主義もなくなりませんね。弊害をいかに緩和するか、を考えるほうが建設的だと思います。