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「ストップ!ひばりくん!」を嚆矢とする「男の娘」、日本漫画の巨匠手塚がリボンの騎士として育てた「男装の少女」。それらは2000年代以降メジャーなカルチャーが忌避するサブカルにおいて重要なジャンルとして確立している。しかしながら、それらのジャンルはこの数十年で新発明されたのではない。1000年以上前の日本の小説に登場してうる。この日本の変態性のDNAが脈々と受け継がれてきたことを証明するとりかへばや物語 [wikipedia.org]は、数学における代数論の交換法則 [wikipedia.org]を下地にした古典である。
兄と妹(姉と弟)は、体躯的な発達・衣装による装飾・宮廷での仕事、そして、性別を隠した結婚までは、二則演算における加減計算のような交換可能性を示しえたが、妊娠と出産という婚姻に続く経験においては二則演算における乗除計算のように交換不可能性を証明した。
物語的には、それぞれ、元の男性・女性の「群」にもどって出世を遂げた、ということから、将来の群論を示唆していた、といっても過言ではあるのだろう。
…と、こじつけて夏休みの読書感想文書いたら、タレコミの問いは無意味に・・・・#アラビア文化をテーマにおたくな日本アニメ卒論 [tufs.ac.jp]があるくらいだし、#さがせばこんな趣旨の数学科の卒論とか出てきそうな気がしてきた。
大きさのない点やら太さのない線やらのこの世に実在しないものを語っているのだからフィクション以外の何物でもない。
大きさのない点
ところがどっこい, 電荷は大きさのない点でなければ自己力が発生しなかったりする現実が.
# 個人的にはすごい気持ちが悪かったりするけど
釣られたね。それは平行線の公準というフィクションを隠すためのダミーなのさ。
腐な業界で、「A×B」と「B×A」で、世界観が違うほどの論争が成り立つ、っていうのも数学的なんですね。ベクトルの内積(「A・B」「B・A」なら、「どっちが前」でも状態・結果は同じ)じゃなくて、ベクトルの外積(交換不可能な演算、「どっちが差し込んでるのか」ってのが重要な演算)と同じ表記方法なのは偶然?
つまり、BLはすべて数学的なフィクションだ。さあ、だれか本家/.にたれこむんだ。
残念ながら本家ではBLは割り算(slash)なので交換法則が成り立たないのは自明です。
/.というサイト名には万物とカップリングさせるという意味が隠されていたのか!!
もともとカップリングの表記で「×」を使っていて、ジャンルの細分化で前後の位置に重要性が出てきた際に見た目が同じで交換不可なベクトル演算として扱われるようになった
だと思ってた。
二則演算における加減計算のような交換可能性二則演算における乗除計算のように交換不可能性
交換可能なのは加乗算、交換不可能なのは減除算ですね。
とりかえばやに関しては、ライバルイケメン君の兄(実は姉)に対する態度、「男でもいい、ヤっちまおう」→「あれ?女だった、まぁいいヤっちまおう」の方が重要な気もしますが。
男の娘な内侍(姫君)が女東宮の寝所で致してしまったパートとの非対称性については今まで考察したことないですが、こっちの描写は男性読者としてはサプライズがなかったですね。対比するとなかなか興味深いです。
対象性の破れですね。やはり数学は物理を語る言葉だということか。
まずは「数学的フィクション」を定義しろと言いたくなるよな。
ファウンデーションシリーズの心理歴史学って、名前こそこうだけど、全てが数式で記述できるという話だと思う。
ただし自分は「数学的フィクション」としてはお勧めしないなあ。
数式で記述できるといっても、どっちかというと統計力学的で、微妙に数学とは違う感が
そういう統計力学に、高度な微分方程式理論とかを組み込んだのがセルダンの成果で、その定性理論を第2ファウンデーションの人たちは研究していて。その定性理論上のパラメーターをいじくることで、政治をいじくろうと思っているのが第2ファウンデーションの首脳たちという理解なんですが。
#2261127さんに弱弱しく反論すると、「数学的フィクション」って「数学を匂わせる味付けがされているフィクション」と考えたら、「ひょっとしたら僕でもセルダン並のすごい数学理論を発見できるかも」と奮発してくれる中高校生がいるかもしれないじゃないですか。その夢がかなうことはまずない(笑)にせよ、興味とか動機付けとかがあって数学を勉強するなら、受験数学のテストで点が上がる位のご利益くらいはありそうです。
# 他の科目で点数が下がるかもしれないのはこの際無視。(笑)
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:0)
「ストップ!ひばりくん!」を嚆矢とする「男の娘」、日本漫画の巨匠手塚がリボンの騎士として育てた「男装の少女」。それらは2000年代以降メジャーなカルチャーが忌避するサブカルにおいて重要なジャンルとして確立している。しかしながら、それらのジャンルはこの数十年で新発明されたのではない。1000年以上前の日本の小説に登場してうる。この日本の変態性のDNAが脈々と受け継がれてきたことを証明するとりかへばや物語 [wikipedia.org]は、数学における代数論の交換法則 [wikipedia.org]を下地にした古典である。
兄と妹(姉と弟)は、体躯的な発達・衣装による装飾・宮廷での仕事、そして、性別を隠した結婚までは、
二則演算における加減計算のような交換可能性を示しえたが、妊娠と出産という婚姻に続く経験においては
二則演算における乗除計算のように交換不可能性を証明した。
物語的には、それぞれ、元の男性・女性の「群」にもどって出世を遂げた、ということから、
将来の群論を示唆していた、といっても過言ではあるのだろう。
…と、こじつけて夏休みの読書感想文書いたら、タレコミの問いは無意味に・・・・
#アラビア文化をテーマにおたくな日本アニメ卒論 [tufs.ac.jp]があるくらいだし、
#さがせばこんな趣旨の数学科の卒論とか出てきそうな気がしてきた。
ユークリッド原論 (スコア:4, すばらしい洞察)
大きさのない点やら太さのない線やらのこの世に実在しないものを語っているのだからフィクション以外の何物でもない。
Re:ユークリッド原論 (スコア:1)
ところがどっこい, 電荷は大きさのない点でなければ自己力が発生しなかったりする現実が.
# 個人的にはすごい気持ちが悪かったりするけど
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
釣られたね。
それは平行線の公準というフィクションを隠すためのダミーなのさ。
Re:世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:1)
腐な業界で、「A×B」と「B×A」で、世界観が違うほどの論争が成り立つ、っていうのも数学的なんですね。
ベクトルの内積(「A・B」「B・A」なら、「どっちが前」でも状態・結果は同じ)じゃなくて、
ベクトルの外積(交換不可能な演算、「どっちが差し込んでるのか」ってのが重要な演算)と同じ表記方法なのは偶然?
つまり、BLはすべて数学的なフィクションだ。
さあ、だれか本家/.にたれこむんだ。
Re:世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:3, おもしろおかしい)
残念ながら本家ではBLは割り算(slash)なので交換法則が成り立たないのは自明です。
Re: (スコア:0)
/.というサイト名には万物とカップリングさせるという意味が隠されていたのか!!
Re: (スコア:0)
もともとカップリングの表記で「×」を使っていて、
ジャンルの細分化で前後の位置に重要性が出てきた際に見た目が同じで交換不可な
ベクトル演算として扱われるようになった
だと思ってた。
Re:世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:1)
二則演算における加減計算のような交換可能性
二則演算における乗除計算のように交換不可能性
交換可能なのは加乗算、交換不可能なのは減除算ですね。
とりかえばやに関しては、ライバルイケメン君の兄(実は姉)に対する態度、
「男でもいい、ヤっちまおう」→「あれ?女だった、まぁいいヤっちまおう」
の方が重要な気もしますが。
Re:世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:2)
男の娘な内侍(姫君)が女東宮の寝所で致してしまったパートとの非対称性については今まで考察したことないですが、こっちの描写は男性読者としてはサプライズがなかったですね。対比するとなかなか興味深いです。
Re:世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:2)
対象性の破れですね。
やはり数学は物理を語る言葉だということか。
敢えて言おう。カスである!と。
マンガで分かる統計学 (スコア:0)
まずは「数学的フィクション」を定義しろと言いたくなるよな。
Re: (スコア:0)
ファウンデーションシリーズの心理歴史学って、名前こそこうだけど、全てが数式で記述できるという話だと思う。
ただし自分は「数学的フィクション」としてはお勧めしないなあ。
Re: (スコア:0)
数式で記述できるといっても、どっちかというと統計力学的で、微妙に数学とは違う感が
Re:世の中のすべては数学で記述される。「数学的フィクション」とは、すなわち全てだ。 (スコア:1)
そういう統計力学に、高度な微分方程式理論とかを組み込んだのがセルダンの成果で、その定性理論を第2ファウンデーションの人たちは研究していて。その定性理論上のパラメーターをいじくることで、政治をいじくろうと思っているのが第2ファウンデーションの首脳たちという理解なんですが。
#2261127さんに弱弱しく反論すると、「数学的フィクション」って「数学を匂わせる味付けがされているフィクション」と考えたら、「ひょっとしたら僕でもセルダン並のすごい数学理論を発見できるかも」と奮発してくれる中高校生がいるかもしれないじゃないですか。その夢がかなうことはまずない(笑)にせよ、興味とか動機付けとかがあって数学を勉強するなら、受験数学のテストで点が上がる位のご利益くらいはありそうです。
# 他の科目で点数が下がるかもしれないのはこの際無視。(笑)
vyama 「バグ取れワンワン」