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脳は他者への共感と分析的思考を両立できない 」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward on 2012年11月06日 14時24分 (#2266847)

    共感とは分かること、つまり認識することです。共感がなければ、理解できません。こう言うと言葉遊びになりますので、“神様はサイコロ遊びが大好きです”をグーグルで検索してみてください。言葉の定義がはっきりします。セイ

    • by Anonymous Coward on 2012年11月06日 14時43分 (#2266861)

      分析的思考だけど共感がない例:

      女『車のエンジンがかからないの…』
      男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
      女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
      男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
      女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
      男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
      女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
      男『…ライトは点く?点かない?』
      女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
      男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
      女『何で?』
      男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
      女『もしかしてちょっと怒ってる?』
      男『いや別に怒ってはないけど?』
      女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
      男『だから怒ってないです』
      女『やっぱ怒ってんじゃん』
      男『怒ってないってば』
      女『絶対怒ってる。何カリカリしてるの? 人が大変な時に!』
      男『いや、俺はただライトが付くかどうかを…』
      女『話を逸らさないで! ライトがどうこうじゃなくて今あなたの話をしてるの!』

      分析的思考を放棄して共感した例:

      女『車のエンジンがかからないの…』
      男『あらら?バッテリーかな?』
      女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
      男『トラブルって怖いよね。』
      女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
      男『それは困ったね。』
      女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
      男『相性ってやっぱりあるよね』
      女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
      男『あらら大変だ。じゃあ、送ってあげるよ』
      女『素敵!抱いて!』

      親コメント
    • by miyuri (33181) on 2012年11月06日 16時22分 (#2266948) 日記

      共感しかねるよ、分析的思考をしたからね:)

      親コメント
    • わたしは逆に、日頃からそうかもしれないと気になっていました。

      自分は今身内の介護をしているのですが、、、
      身内・親族の介護を行う上において、相手に対しての「共感(相手の気持ちを思いやる気持ち)」が一番大切だとわたしは考えています。
      介護される人の立場に立ち、辛さや苦悩をできるだけ取り除いてあげたいと考えるのは、人として自然な感情だと思います。そのように思いながら四六時中介護に専念しています。
      しかししばしば介護の手を休め「分析的思考」をしたときに気が付くのは、自分は全く理論立てて行動できていない。ということでそれが往々にしてあります。平たく言えば「先のことを思い描いて将来設計を立てる。」ということについての思考が全く抜け落ちているのです。

      また逆に、「分析的思考」(例えば、論理立てて物事を解決しようとしたり、プログラミングしたり)すると、今度は介護を必要とする人に対して、残酷に、冷徹に処理をしようと振る舞ってしまいます。
      「分析的思考」とはすなわち、共感という分析的思考には不必要な感情を排除した考えだと認識させられます。

      ですので、「介護をする」ならば、利己的な将来設計をすることを諦め、たとえ他人からは非論理的な振る舞いに映るとしても、被介護者の気持ちになって(ある意味信じて)行動をする意識転換が必要になります。
      このように意識転換をすること、考え方を変えることは、理系技術者にとって難しいことだと思います(現にわたしは難しかった)。

      しかし、人間の脳の機能として「共感」と「分析思考」は両立し得ないと分かると、少しは気が楽になりました。
      介護に限らず、たとえば、カルトにのめり込む人、熱狂的に何かを好きになる人などは「分析的思考」が足りないように思いますので、この仮説はある程度正しいのではないかな。と思います。
      親コメント
      • by Anonymous Coward

        今晩は。
        私も介護現場の経験がありますが、
        真に必要なのは共感に耽溺する事では無く、
        要介護者が自身で言語化出来ない支援をヘルパーの職能として分析的に理解し提供する事で、
        それを計画的継続的に実施する事は冷酷でも残酷でも無く自虐は全く不要です。

    • by s02222 (20350) on 2012年11月06日 14時57分 (#2266871)
      それが、脳は割と機能分化してるという話。 漠然とした「認識をする機能」をするパーツがずらっと並んでてその上であらゆる思考を走らせてるんじゃなく、もっと物理的に機能特化したブロックがちらほらあるらしい、と。

      「認識」を使って共感をすることももちろん可能で、「彼の立場はこうで環境がこうでこうなので、自分がその立場であるならこう考えるはず」みたいな思考をすればいい。ただ、それが実は普通に思われているよりもめんどくさいタスクで、でも、社会性を獲得するのには重要なタスクだったので、それを専門に行う部位を脳内に発展させてきた(人類は、なのかそれ以前の社会性のある動物からなのか知らないけど)。

      その部位を使うと、共感するとか、その元になる人の立場に立って考えるとかが、理詰めで考えるより凄く簡単にできる。 その部分に大なり小なりの不備があるのが自閉症。

      みたいなことをなんかで読んだ。
      親コメント
    • by nemui4 (20313) on 2012年11月06日 15時50分 (#2266926) 日記

      できれば多少の改行をいれてくれたら、共感できるかもしれない。

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      それは違います。共感とは感情を共有することです。

ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家

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