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科学はこうして堕落する」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward on 2013年10月23日 8時44分 (#2482097)

    大学が教授の資格に年間の論文数を規定してるんだから内容など推して知るべき。
    そこにあるのは、科学ではなく、就職活動なんですから。

    • by Anonymous Coward

      かなり古いが、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』あたりを読めば、アメリカの論文主義がよく分かる。現在の地位を守るのも大変だ。と、自己啓蒙活動レポートを書きながら投稿してみる。こんなの書く暇あったら、本当はデバックでもしていたいのだがなあ。レポートと論文の違いはあれど、今の地位を守るために書かなければならない書類は多い。

    • by Anonymous Coward

      職業研究者が誕生した時点で、学術界が「きれいな」研究者だけの世界ではなくなってるよね。
      また、研究グループや研究機関のレベルでも、他所の集団とは金の奪い合い。企業なんかは当然として。
      そして、論文出版数はそのためのポイントだから、内容よりも数を優先する人たちが出てくるのは自然な流れ。
      論理的な文章構力に長けているだけの研究者が、分野へ強い影響を与える研究した研究者よりも多くの研究費を獲得しているなんてよくある光景だな。

    • by Anonymous Coward

      言い訳をこめてコメントすると,同じ領域・同じ分野の研究者間では論文の量より質が重視されていると思う。思いたい。

      問題は採用や評価をする大学当局や教授会,研究所,文科省!は研究の中身まで精読・追試することはできない。
      したがって,どうしても,論文数,権威あるとされる媒体での発表,研究ではなく実務の実績(要するに職歴)で評価されがちになる。

      いい研究をすることで同業者の間で名前は知られても,就職が残念な研究者は文理問わず多い。

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