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生物系の下っ端&若輩研究者です。私が今回の調査中間報告を聞いて特に違和感を覚えたのは、悪意がなければ、あたかも研究不正がなかったとするような調査委員会の物言いでした。私は故意にしろ過失にしろ、結果として起こしてしまった改竄や剽窃は、科学の不正行為であることに変わりないと考えていますし、それが科学コミュニティーのルールにおける世界の常識ではないかと考えています。ローカルな一施設の倫理規定に基付いた処罰対象になり得るかという判断よりも先に、国を代表する研究機関として、世界に通じる研究者の倫理感のあるべき姿をしっかりと示して欲しかった。今回
性善説に立ちすぎるところに問題がある。競争あるところに悪意あり。
悪意で壊れるようなものであれば、壊れてしまえばいいよ。それはもともと壊れる運命にあるのだから。捏造する連中もいるのだと思って、常に猜疑心を持っていればよい。猜疑心を忘れて他人の良心に頼る姿勢は、科学的では無いよね。科学者に基本は、猜疑心だよ。
派手にやりすぎる連中は、どのみちばれる。重要な発見なら多くの人が追試を試みる。追試して結果が出ないことを怒っても仕方がない。結果が出ないという追試者の結果を評価すれば済む話。新しい発見に対する要請が強すぎる体質にも問題がある。
近年の科学不正の急増をみるに、性善説に依拠した現在の査読システムが限界にきているかもしれないという点においては、あなたと同じ考えです。編集者と数名のエキスパートレフリーでは、論文に不正があるか検知するのは、リソース的に無理なので性善説の立場を取らざる得ないというのが現状なのかもしれません。科学者の基本は猜疑心であることもよくわかります。でもそれはこれまで私にとってどちらかというと、過去の研究のパラダイムに縛られないという意味での批判精神でした。それに加えて、発表された論文には何かしらウソが含まれている可能性があり、すべて疑いの目で見て真実を見抜かなければならないとすると、もはや一人の研究者の猜疑心程度では太刀打ちできない状況にきているのかなと・・・。今回、STAP細胞の論文に不自然な点があることを最初に指摘した「PubPeer」のような、ネットの集合知を利用した査読システムが今後ますます重要になってくるのかもしれません。個人的には、ジャーナルのpeer reviewによる論文の評価・検証過程もできればオープンにして欲しいと思っています。論文にウソが蔓延し、無駄な検証に時間が費やされることは、科学の発展そのものを停滞させることを意味しています。科学全体としても論文の真贋をより効率的に見極める新たなフレームワークが必要とされる時代が、今まさにきていると言えるのかもしれませんね。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
悪意の有無は研究不正の判断基準になり得るのか? (スコア:4, 興味深い)
生物系の下っ端&若輩研究者です。
私が今回の調査中間報告を聞いて特に違和感を覚えたのは、
悪意がなければ、あたかも研究不正がなかったとするような調査委員会の物言いでした。
私は故意にしろ過失にしろ、結果として起こしてしまった改竄や剽窃は、
科学の不正行為であることに変わりないと考えていますし、
それが科学コミュニティーのルールにおける世界の常識ではないかと考えています。
ローカルな一施設の倫理規定に基付いた処罰対象になり得るかという判断よりも先に、
国を代表する研究機関として、世界に通じる研究者の倫理感のあるべき姿をしっかりと示して欲しかった。
今回
Re: (スコア:0)
性善説に立ちすぎるところに問題がある。競争あるところに悪意あり。
悪意で壊れるようなものであれば、壊れてしまえばいいよ。それはもともと壊れる運命にあるのだから。
捏造する連中もいるのだと思って、常に猜疑心を持っていればよい。猜疑心を忘れて他人の良心に
頼る姿勢は、科学的では無いよね。科学者に基本は、猜疑心だよ。
派手にやりすぎる連中は、どのみちばれる。重要な発見なら多くの人が追試を試みる。
追試して結果が出ないことを怒っても仕方がない。結果が出ないという追試者の結果を評価すれば済む話。
新しい発見に対する要請が強すぎる体質にも問題がある。
Re:悪意の有無は研究不正の判断基準になり得るのか? (スコア:0)
近年の科学不正の急増をみるに、
性善説に依拠した現在の査読システムが限界にきているかもしれないという点においては、
あなたと同じ考えです。
編集者と数名のエキスパートレフリーでは、論文に不正があるか検知するのは、
リソース的に無理なので性善説の立場を取らざる得ないというのが現状なのかもしれません。
科学者の基本は猜疑心であることもよくわかります。
でもそれはこれまで私にとってどちらかというと、
過去の研究のパラダイムに縛られないという意味での批判精神でした。
それに加えて、発表された論文には何かしらウソが含まれている可能性があり、
すべて疑いの目で見て真実を見抜かなければならないとすると、
もはや一人の研究者の猜疑心程度では太刀打ちできない状況にきているのかなと・・・。
今回、STAP細胞の論文に不自然な点があることを最初に指摘した「PubPeer」のような、
ネットの集合知を利用した査読システムが今後ますます重要になってくるのかもしれません。
個人的には、ジャーナルのpeer reviewによる論文の評価・検証過程もできればオープンにして欲しいと思っています。
論文にウソが蔓延し、無駄な検証に時間が費やされることは、
科学の発展そのものを停滞させることを意味しています。
科学全体としても論文の真贋をより効率的に見極める新たなフレームワークが必要とされる時代が、
今まさにきていると言えるのかもしれませんね。