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同じ人がいなきゃ流行じゃない。
ロラン・バルトのモード論集における重要な指摘のひとつに「モードは言語活動」というのがある。バルトはファッションというよりも、むしろファッション雑誌を研究した人だけど、ファッション雑誌は単にビジュアルのカタログではなくて、すごくメッセージ性があるんだね。つまり、ファッション雑誌の内容は(その筋の人には)かなり少ない言葉、繰り返し現れるキーワードで要約できてしまう。
だから、雑誌に載っている写真をそっくりそのまま自分の体にコピペするのを「ダサい流行」と考えると、雑誌に載っているメッセージを自分のインタープリタで解釈して出力するのが自分らしい、ユニークなスタイルってことになるんだけど、ソースが一緒なんだからバラエティにも限りがあって、ダブってしまう。ともすれば、雑誌のインタープリタだって気づいてたけどあえてやらなかったような「別解」に多くの人が独力でたどり着いてしまう。
だから、現代の渋谷に10世紀の京都で流行っていたような奇抜な服装をする人は現れないし、逆に10世紀の京都には現代の渋谷でよく見かけるような姿もなかった。そりゃ、読んでるファッション雑誌が違うんだから当然だ。ファッション雑誌とは敢えて違う服装をしたのに、同じような恰好になってしまう。そりゃ、読んでるファッション雑誌が同じなんだから当然だ。
しかし、例えば10世紀の京都でシースルーが流行っていた(らしい)ように、要素別でみれば現代の渋谷で見かけるファッションに新規性はないと言えるんじゃないかな。十二単と洋服の違いって、生活習慣の違いってのが大きくて、ファッションの都合だけで現代に十二単を着られる人なんてほぼいないしな。全く違う文脈に基づいているにもかかわらず似通ってしまう辺り、むしろ人間の創造力・想像力の限界を表していると言えるかも。
ここの人には難しいから、アニメでいうと、ツンデレとか絶対領域とかツインテールとかで
> 要素別でみれば
要素別で見ないところが大事なんですけど
フリルとソウビ(薔薇)モチーフと豹柄は一千年前見向きもされていなかったような。
// 自分の目で見てきたわけではありませんが資料を追い方がわるいのかな。
> ここの人には難しいから、アニメでいうと、ツンデレとか絶対領域とかツインテールとかで
何が何に対応しているのかさえ不明で余計にわけわからない。
例えばさ、コスプレAVでよくあるけど、ツインテールだけ切り出してきて安易なツインテキャラを作ったらダサいしバカにされるでしょ
ツインテ萌えになる文脈というのがあってなんとなく共有されてるんだけど、それはけっこう狭かったりするそれはファッション誌もいっしょ
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10世紀の京都にファッション雑誌があったとは知らなんだ。つーか十二単のコスプレくらい現代の渋谷を歩いていてもまったく不思議がない気がするんだが
これ、流行の話だからね。「服装を思いつく」というレベルなら1人でも同じ服装がいれば条件が崩れるけど。ちゃんと流行らせるには、やっぱり和服を取り扱ったファッション雑誌が人口に膾炙する必要がある。
10世紀の京都にはファッション雑誌がなかっただろうけど、逆に言うと今風の流行もなかった。当時の流行はファッション雑誌がない流行なんだから、ファッションのメッセージ性を服そのものから受け取らなければいけない。すると、年ごとのファッションというのは服飾のように(当時としては)複雑な工業製品では成立しない。小物のようなもっと表層的な装身具の流行り廃りがファッションに該当していたんじゃないかな。で、「ファッションは櫛だ」って思っているような人が渋谷で流行っているファッションを身に着けることはできない。それがファッション雑誌の違いってことなんだけど。
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※ただしPHPを除く -- あるAdmin
そもそも (スコア:4, すばらしい洞察)
同じ人がいなきゃ流行じゃない。
the.ACount
Re: (スコア:5, 興味深い)
ここでいう流行に敏感な人(ヒップスター)というのは、流行に反発して人と違う格好をしようとしている人のことで、
そういう人達が、なぜか同じ格好になってしまうのはなぜかということだそうです。
タイトルがミスリードを誘っているような気がします。
Re:そもそも (スコア:0)
ロラン・バルトのモード論集における重要な指摘のひとつに「モードは言語活動」というのがある。バルトはファッションというよりも、むしろファッション雑誌を研究した人だけど、ファッション雑誌は単にビジュアルのカタログではなくて、すごくメッセージ性があるんだね。つまり、ファッション雑誌の内容は(その筋の人には)かなり少ない言葉、繰り返し現れるキーワードで要約できてしまう。
だから、雑誌に載っている写真をそっくりそのまま自分の体にコピペするのを「ダサい流行」と考えると、雑誌に載っているメッセージを自分のインタープリタで解釈して出力するのが自分らしい、ユニークなスタイルってことになるんだけど、ソースが一緒なんだからバラエティにも限りがあって、ダブってしまう。ともすれば、雑誌のインタープリタだって気づいてたけどあえてやらなかったような「別解」に多くの人が独力でたどり着いてしまう。
だから、現代の渋谷に10世紀の京都で流行っていたような奇抜な服装をする人は現れないし、逆に10世紀の京都には現代の渋谷でよく見かけるような姿もなかった。そりゃ、読んでるファッション雑誌が違うんだから当然だ。ファッション雑誌とは敢えて違う服装をしたのに、同じような恰好になってしまう。そりゃ、読んでるファッション雑誌が同じなんだから当然だ。
Re: (スコア:0)
しかし、例えば10世紀の京都でシースルーが流行っていた(らしい)ように、要素別でみれば現代の渋谷で見かけるファッションに新規性はないと言えるんじゃないかな。
十二単と洋服の違いって、生活習慣の違いってのが大きくて、ファッションの都合だけで現代に十二単を着られる人なんてほぼいないしな。
全く違う文脈に基づいているにもかかわらず似通ってしまう辺り、むしろ人間の創造力・想像力の限界を表していると言えるかも。
Re: (スコア:0)
ここの人には難しいから、アニメでいうと、ツンデレとか絶対領域とかツインテールとかで
> 要素別でみれば
要素別で見ないところが大事なんですけど
Re:そもそも (スコア:1)
フリルとソウビ(薔薇)モチーフと豹柄は一千年前見向きもされていなかったような。
// 自分の目で見てきたわけではありませんが資料を追い方がわるいのかな。
Re: (スコア:0)
> ここの人には難しいから、アニメでいうと、ツンデレとか絶対領域とかツインテールとかで
何が何に対応しているのかさえ不明で余計にわけわからない。
Re: (スコア:0)
例えばさ、コスプレAVでよくあるけど、ツインテールだけ切り出してきて安易なツインテキャラを作ったらダサいしバカにされるでしょ
ツインテ萌えになる文脈というのがあってなんとなく共有されてるんだけど、それはけっこう狭かったりする
それはファッション誌もいっしょ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
O 。
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Re: (スコア:0)
10世紀の京都にファッション雑誌があったとは知らなんだ。
つーか十二単のコスプレくらい現代の渋谷を歩いていてもまったく不思議がない気がするんだが
Re: (スコア:0)
これ、流行の話だからね。「服装を思いつく」というレベルなら1人でも同じ服装がいれば条件が崩れるけど。ちゃんと流行らせるには、やっぱり和服を取り扱ったファッション雑誌が人口に膾炙する必要がある。
10世紀の京都にはファッション雑誌がなかっただろうけど、逆に言うと今風の流行もなかった。当時の流行はファッション雑誌がない流行なんだから、ファッションのメッセージ性を服そのものから受け取らなければいけない。すると、年ごとのファッションというのは服飾のように(当時としては)複雑な工業製品では成立しない。小物のようなもっと表層的な装身具の流行り廃りがファッションに該当していたんじゃないかな。で、「ファッションは櫛だ」って思っているような人が渋谷で流行っているファッションを身に着けることはできない。それがファッション雑誌の違いってことなんだけど。