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「全国どこも同じです」「なんなら全世界的に同じです」という検査結果の雨を降らせて黙らせたい。
放射能被害を避けたい人々に対して、原発事故の初期から「福島差別」と言う言葉を投げかけて罵倒する人達が出ていましたし、それは、一部の学者や社会運動家が扇動した側面が相当ある。結果、放射能被害を避ける行動自体が福島差別と非難される「空気」が出来てしまった訳です。「食べて応援」にしてもそうなんですが、放射能汚染を受けた食糧を流通から排除していくというのが、国民を護るということですし、汚染を受けた土地からは早期に強制移住させて、移住先でコミュニティを構築する。と言うのが当然の人道的対処な訳ですよ。放射能や放射線が人体のみなら
あらゆるリスクを度外視して放射線だけに100%の安全を求めるから放射脳と馬鹿にされる。自分が人道的と思っていながら差別的な恫喝を叫ぶあたり本当に救いようがないなあと思う。
ソ連は、チェルノブィリ事故の直後に、周辺の町の十数万の住民を強制疎開させ、最終的に四十万の住民が疎開させられました。 [japanese-page.kiev.ua]
これに近いような対応を、日本政府や福島県が取っていれば、文句は少なかったと思いますよ。しかし、できなかった。というより、日本の官僚システムに起因する問題から、やらなかった。当時の内閣は、強制疎開も視野に入れた動きをしていましたが、霞が関や福島県庁の側は半ばサボタージュをして、放射能被害を見て見ぬふりしていた。と言うのが、福島第一原発の初動であったと記憶しています。
私は、あの時の経緯をCIS諸国の事故後の対応と比較して、なんとも人を見殺しにしているなと思う訳ですよ。汚染隠蔽を唯々諾々と受け入れて立ち上がろうとすらしない、福島県民や宮城県民のありようも含めて、余りに情けない。
住んだ街や土地に拘って、汚染をなかったことにして、除染などというまやかしを用いて、実際には汚染を放置する動きを唯々諾々と受け入れ、社会や政治のケアもろくすっぽ無いままに野垂れ死なせることが、本当に、「人道的」なんですか?汚染をなかったことにするのや過小評価して、ツケを専ら住民に支払わせたり、宮城県のように、汚染のあるないに拘らず、被災地を積極的に大企業や海千山千の山師連中の植民地に組み換え、貧困以外の選択肢を奪うことの何処が、人道的なんですか?
汚染をきちんと諸外国の前例に基づいて評価し、汚染から人を排除し、汚染の恐怖から解放する事こそが、人道的であって、その事を差別と言い換えることの不道徳さこそが非人道的そのものではないのですか?
と言う話です、私がしてるのは。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:2)
「全国どこも同じです」「なんなら全世界的に同じです」
という検査結果の雨を降らせて黙らせたい。
福島差別と言って放射能被害を隠蔽する人々(Re:福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:0)
放射能被害を避けたい人々に対して、原発事故の初期から「福島差別」と言う言葉を投げかけて罵倒する人達が出ていましたし、それは、一部の学者や社会運動家が扇動した側面が相当ある。
結果、放射能被害を避ける行動自体が福島差別と非難される「空気」が出来てしまった訳です。
「食べて応援」にしてもそうなんですが、放射能汚染を受けた食糧を流通から排除していくというのが、国民を護るということですし、汚染を受けた土地からは早期に強制移住させて、移住先でコミュニティを構築する。と言うのが当然の人道的対処な訳ですよ。
放射能や放射線が人体のみなら
Re:福島差別と言って放射能被害を隠蔽する人々(Re:福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:0)
あらゆるリスクを度外視して放射線だけに100%の安全を求めるから放射脳と馬鹿にされる。自分が人道的と思っていながら差別的な恫喝を叫ぶあたり本当に救いようがないなあと思う。
Re:福島差別と言って放射能被害を隠蔽する人々(Re:福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:1)
ソ連は、チェルノブィリ事故の直後に、周辺の町の十数万の住民を強制疎開させ、最終的に四十万の住民が疎開させられました。 [japanese-page.kiev.ua]
これに近いような対応を、日本政府や福島県が取っていれば、文句は少なかったと思いますよ。しかし、できなかった。というより、日本の官僚システムに起因する問題から、やらなかった。
当時の内閣は、強制疎開も視野に入れた動きをしていましたが、霞が関や福島県庁の側は半ばサボタージュをして、放射能被害を見て見ぬふりしていた。と言うのが、福島第一原発の初動であったと記憶しています。
私は、あの時の経緯をCIS諸国の事故後の対応と比較して、なんとも人を見殺しにしているなと思う訳ですよ。汚染隠蔽を唯々諾々と受け入れて立ち上がろうとすらしない、福島県民や宮城県民のありようも含めて、余りに情けない。
住んだ街や土地に拘って、汚染をなかったことにして、除染などというまやかしを用いて、実際には汚染を放置する動きを唯々諾々と受け入れ、社会や政治のケアもろくすっぽ無いままに野垂れ死なせることが、本当に、「人道的」なんですか?
汚染をなかったことにするのや過小評価して、ツケを専ら住民に支払わせたり、宮城県のように、汚染のあるないに拘らず、被災地を積極的に大企業や海千山千の山師連中の植民地に組み換え、貧困以外の選択肢を奪うことの何処が、人道的なんですか?
汚染をきちんと諸外国の前例に基づいて評価し、汚染から人を排除し、汚染の恐怖から解放する事こそが、人道的であって、その事を差別と言い換えることの不道徳さこそが非人道的そのものではないのですか?
と言う話です、私がしてるのは。