アカウント名:
パスワード:
望みすぎな気がする。論文とか講演は100%正しくないといけない。みたいな感じで。実際には、論文とか講演は、こういう研究をしてこういう結果が出た、とわたしは主張します、ってだけで、他の人による検討のプロセスがはじまるスタートラインにすぎないと思う。あるいは、検討するまでもないものはスルーされる。そのあたりの実情と、世間の思いこみのズレが大きい気がする。雑誌の発行者が、論文内容を完全にチェックするとなると、義務が大きすぎて、雑誌なんて発行できなくなる。STAP問題のときも、論文やら講演やらの段階で、世の中が多くを期待しすぎて、その分裏切られた気分になってた気がする。
あまりアカデミックな活動をしていない民間企業の研究職の立場から。
STAPの件で世間と認識の差があることを意識するようになりました。
まず「論文」「査読」「学会」の明確な定義はありません。http://www.umin.ac.jp/ac/about-gakkai.htm [umin.ac.jp]文科省の許可とかなしに勝手に名乗ることが可能。フランクなところだとト学会とか。
金を払って自分の意見を載せてもらう広告媒体はあってもいいよね。「ホットペッパーみたいな広告紙」と「学術的な内容を扱っている論文誌」の中間があってもいいしそれが「論文誌」を名乗ることも禁止されていません。
「査読を通す」「論文誌に掲載される」のに裏付けは要らないしよってクオリティーの保証は何ら必要ありません。(特定の論文誌に掲載された場合、ある程度のクオリティがあるだろうと見なされるケースはあります)
研究者が執筆し、研究者が編集委員を務め、研究者が読む同人誌みたいなものです。
同業の研究者に「オレのアイデアどう思う?」と聞いているだけなので信頼度はRFC程度でしょうか。実務で参照されるであろう理科年表とか診断基準とは違います。
(わたしは商用開発にも関わるので研究部門の信頼性の低さはよく知っている)
はい、せんせー「ムー」は論文雑誌にはいりますか
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
論文とか講演とかに (スコア:2, 興味深い)
望みすぎな気がする。論文とか講演は100%正しくないといけない。みたいな感じで。
実際には、論文とか講演は、こういう研究をしてこういう結果が出た、とわたしは主張します、ってだけで、
他の人による検討のプロセスがはじまるスタートラインにすぎないと思う。
あるいは、検討するまでもないものはスルーされる。
そのあたりの実情と、世間の思いこみのズレが大きい気がする。
雑誌の発行者が、論文内容を完全にチェックするとなると、義務が大きすぎて、雑誌なんて発行できなくなる。
STAP問題のときも、論文やら講演やらの段階で、世の中が多くを期待しすぎて、その分裏切られた気分になってた気がする。
Re:論文とか講演とかに (スコア:0)
あまりアカデミックな活動をしていない民間企業の研究職の立場から。
STAPの件で世間と認識の差があることを意識するようになりました。
まず「論文」「査読」「学会」の明確な定義はありません。
http://www.umin.ac.jp/ac/about-gakkai.htm [umin.ac.jp]
文科省の許可とかなしに勝手に名乗ることが可能。
フランクなところだとト学会とか。
金を払って自分の意見を載せてもらう広告媒体はあってもいいよね。
「ホットペッパーみたいな広告紙」と「学術的な内容を扱っている論文誌」の中間があってもいいし
それが「論文誌」を名乗ることも禁止されていません。
「査読を通す」「論文誌に掲載される」のに裏付けは要らないし
よってクオリティーの保証は何ら必要ありません。
(特定の論文誌に掲載された場合、ある程度のクオリティがあるだろうと見なされるケースはあります)
研究者が執筆し、
研究者が編集委員を務め、
研究者が読む同人誌みたいなものです。
同業の研究者に「オレのアイデアどう思う?」と聞いているだけなので
信頼度はRFC程度でしょうか。
実務で参照されるであろう理科年表とか診断基準とは違います。
(わたしは商用開発にも関わるので研究部門の信頼性の低さはよく知っている)
Re: (スコア:0)
はい、せんせー
「ムー」は論文雑誌にはいりますか