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普通に(その分野では)ちゃんとした内容の論文だったんじゃないかなあ。査読というプロセスが適切に行われたなら、それ自体は問題ないのでは。
その分野に対して批判的で、空虚な論を交わしているだけにしか見えないとしても、そのことを正面から批判すべきでしょう。ただの論文を、後出しじゃんけんで「偽論文だ」って主張して恥をかかせるのは、アンフェアなやり方だし、問題のすり替えに見える。
ジェンダー学がくっだらねえ虚学だという見解には個人的には同意するけども。
空虚な論は一応論になっているけど、今回のは全く空っぽじゃないか。それっぽい複雑な単語をそれっぽくつなぎ合わせて、いかようにも解釈できるような文章を作って論文にしている。すなわち、論じる本人が論旨を把握していないんだよね。
人間は自分が信じていないことをさも信じている風に振る舞うことができるのだから、著者が「これはジェンダー学のパロディのつもりで書いたのだ」と言っただけで、イコールで論文の内容が荒唐無稽ということにはならないでしょ。
それを判断するには論文の内容を吟味するほかなくて、それをするのがまさに査読というプロセスでしょう。
結局今回の行為はジェンダー学が学問として低レベルであることの客観的な証明にはなっていなくて、だた、ちょっと小才の効く人間が、「こんなもの俺にだって書けるぜ」といって論文を書いて見せて、ある学問分野を嘲笑しているだけに見える。
その査読が機能していない、ということの証明として「思わせぶりだが内容が全くない」論文を査読させ、その結果、高評価されてしまった、ということです。
「パロディのつもりで書いた」ことが評価されたのではないんです。査読はパロディを評価するシステムではなく、学術誌はそういったパロディを掲載する場所ではありません。
虚構新聞の記事が現実になってしまった際に、編集がお詫びしていた図を思い出してしまったよ。
# 記事とは無関係なんだが、なぜか連想してしまった
ソーカル事件ないしソーシャルテキスト事件については『「知」の欺瞞』という本が出てるので、要チェックかと。
今回は査読雑誌なので、査読を通るように書いたでしょうね。査読を通って証明されたのは、査読があてにならないという事ですが、一応今回の分野に関して、という限定付で。内容的には無内容だと思われます。そうでないと今回の行為の意味がありませんから。査読を通るように、しかも無内容なように、慎重に調整したんじゃないでしょうか。それが可能である程に、ジェンダー学の強い衒学的性格が証明されたと、私は受け取りました。
査読者はいい迷惑ですが、これを自身の無能の証明と受け取るか、ジェンダー学の常識に準拠しただけと考えるか。後者なら、ジェンダー学の無能が証明された事になる。ところでソーカル事件ではどうやら査読者はいなくて、編集者が当事者でした。
実際どうだったかは検証する必要はあるでしょうが(簡易的にはトカナの記事でも十分でしょう)、それはかなり面倒な作業です。
部外者が無意味だと考えるように用語を選び並べたところ、偶然内部者にとってはは通じる素晴らしい論文になった可能性が…
チンパンジーがシェークスピアを書き上げるようなかんじで
# あーでももうひっこめたのか
ジェンダー論は低レベルなんじゃなくて、イタズラに抽象的で無意味にハイレベルなんだよ。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
「今回の論文は査読を受けて賞賛されている」 (スコア:0)
普通に(その分野では)ちゃんとした内容の論文だったんじゃないかなあ。
査読というプロセスが適切に行われたなら、それ自体は問題ないのでは。
その分野に対して批判的で、空虚な論を交わしているだけにしか見えないとしても、そのことを正面から批判すべきでしょう。
ただの論文を、後出しじゃんけんで「偽論文だ」って主張して恥をかかせるのは、アンフェアなやり方だし、問題のすり替えに見える。
ジェンダー学がくっだらねえ虚学だという見解には個人的には同意するけども。
Re: (スコア:0)
空虚な論は一応論になっているけど、今回のは全く空っぽじゃないか。
それっぽい複雑な単語をそれっぽくつなぎ合わせて、いかようにも解釈できるような
文章を作って論文にしている。すなわち、論じる本人が論旨を把握していないんだよね。
Re:「今回の論文は査読を受けて賞賛されている」 (スコア:0)
人間は自分が信じていないことをさも信じている風に振る舞うことができるのだから、
著者が「これはジェンダー学のパロディのつもりで書いたのだ」と言っただけで、
イコールで論文の内容が荒唐無稽ということにはならないでしょ。
それを判断するには論文の内容を吟味するほかなくて、それをするのがまさに査読というプロセスでしょう。
結局今回の行為はジェンダー学が学問として低レベルであることの客観的な証明にはなっていなくて、
だた、ちょっと小才の効く人間が、「こんなもの俺にだって書けるぜ」といって論文を書いて見せて、
ある学問分野を嘲笑しているだけに見える。
Re:「今回の論文は査読を受けて賞賛されている」 (スコア:2, 興味深い)
その査読が機能していない、ということの証明として
「思わせぶりだが内容が全くない」論文を査読させ、
その結果、高評価されてしまった、ということです。
「パロディのつもりで書いた」ことが評価されたのではないんです。
査読はパロディを評価するシステムではなく、
学術誌はそういったパロディを掲載する場所ではありません。
Re: (スコア:0)
虚構新聞の記事が現実になってしまった際に、編集がお詫びしていた図を思い出してしまったよ。
# 記事とは無関係なんだが、なぜか連想してしまった
王様は裸である (スコア:2)
ソーカル事件ないしソーシャルテキスト事件については『「知」の欺瞞』という本が出てるので、要チェックかと。
今回は査読雑誌なので、査読を通るように書いたでしょうね。査読を通って証明されたのは、査読があてにならないという事ですが、一応今回の分野に関して、という限定付で。内容的には無内容だと思われます。そうでないと今回の行為の意味がありませんから。査読を通るように、しかも無内容なように、慎重に調整したんじゃないでしょうか。それが可能である程に、ジェンダー学の強い衒学的性格が証明されたと、私は受け取りました。
査読者はいい迷惑ですが、これを自身の無能の証明と受け取るか、ジェンダー学の常識に準拠しただけと考えるか。後者なら、ジェンダー学の無能が証明された事になる。
ところでソーカル事件ではどうやら査読者はいなくて、編集者が当事者でした。
実際どうだったかは検証する必要はあるでしょうが(簡易的にはトカナの記事でも十分でしょう)、それはかなり面倒な作業です。
Re:王様は裸である (スコア:2)
部外者が無意味だと考えるように用語を選び並べたところ、
偶然内部者にとってはは通じる素晴らしい論文になった可能性が…
チンパンジーがシェークスピアを書き上げるようなかんじで
# あーでももうひっこめたのか
Re: (スコア:0)
ジェンダー論は低レベルなんじゃなくて、
イタズラに抽象的で無意味にハイレベルなんだよ。