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初めて「太陽系外の惑星を公転する衛星」の証拠が見つかる」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward

    この発見にどのような意義があるのかどなたか説明していただけませんか?
    発見された衛星に貴重な鉱物資源でもあると言うのでしょうか?あったところで採掘に行くのは無理ですよね?

    • 地球外生命の確認の件とも共通してるんですが、「どこの星でもおおむね衛星がある」と言うのが確認できるということは、「私達は特別ではない、選ばれた存在ではない」と言う事に繋がるわけですよ。
      それは、価値観の多く・特に宗教に対して大きなインパクトを及ぼしますし、我々が特別でないとしたらどうすべきか。と言う議論に繋がっていく。
      そのことから得られることというのは、間接的にではあれ大きいのではないかと思いますけど。

      • >「どこの星でもおおむね衛星がある」と言うのが確認できる

        太陽系外にたった1個見つかっただけで「どこの星でも」というのは飛躍しすぎで、科学的思考ではない。そもそも惑星をまわる衛星が見つかるのと、ハビタブルゾーンや地球外生命の発見とは何の関係もない。

        >そのことから得られること

        宗教バッシングしたいのかしらんが、何が言いたいのかさっぱり分からない。

        # 今回の主星をケプラー452 [astroarts.co.jp]と勘違いしている人が多そうだ。

        --
        モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
        • 多くのメジャーな宗教(やマイナーな宗教の多く)は、この世界は創造主たる神によって作られ・我々人類や動物植物は、この星にのみ神が与え給うた「奇跡である」と言う前提で教えを行ってきた訳ですよ。
          宗教に限らず、エコロジー運動なんかでも、今は多少毛色が違うのも出てきてますけど、多くがこの「生命が栄える唯一の星・地球」論に依拠してたりします。
          このての人達が、政治の有り様や大衆の有り様におおきな力を持ち続けてて、その事で組み立てられた法律や道徳規範・人々の意識というものが膨大に積み重ねられてきてるのが、我々のいる「地球」と言う星の多くの地域の社会なんだと思います。
          その部分の大前提にある「我々の星は奇跡でも何でもなかった」と言う事が実証されることは、価値観の混乱を産むと同時に、私達人類全体の思考や道徳・視線を何歩か高みに引き上げることができるのではないかと思うんですよ。

          • >部分の大前提にある「我々の星は奇跡でも何でもなかった」と言う事が実証される

            それを実証するには広大な宇宙の中で、地球外生命体の発見を待たなければいけない。

            惑星Keplar-1625bがどのように衛星を持つようになったかは今後の研究で明らかにされるかもしれないが、それが分かったところで、炭素ベースの生命体が文明を築いた、地球の特異性には何ら影響を及ぼさないのだから(太陽系内の他の惑星にも衛星は存在するのを知らないのか)。

            かなり妄想がすぎていることに気づいていないのが、本当に残念だ。

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            モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
            親コメント

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