アカウント名:
パスワード:
信頼ベースの属人的で形式的な判定もできない査読ってシステムは到底科学的には思えないんだが。科学自体が科学的根拠のない判定手段を経て成立してるならそれは信用できるのか?いわゆる研究倫理とかかなり性善説ベースで作られているように思えるが、政府やいたずらや言論規制といった攻撃からの耐性がないならそもそも結果を信用する理由はあるのか?
というわけで査読なんかやめて片っ端から公開した方がいいと思う。査読的なのは論文へのコメントとして添付する感じで。一定ポイント以上の論文だけ事実上存在するとみなされるならそんなには変わらないけど、各自で基準で判断できるのは便利だし査読者に対する評価もやりやすい。査読有り無しの二つ、最近はそれに加え信用できない偽科学誌みたいな三つってのはおおざっぱすぎ。
あと、英語が良いという科学的根拠はあるのか?実名制は匿名やID制より勝るという科学的根拠はあるのか?
ついでに21世紀においては少なくともいくつかの分野で自然言語ベースの論文なんてのをやめるべきじゃないか。具体的には数学。定理証明なんかは定理検証システムに通過するようにコンパイルされたものを自動的に受け付けるシステムにした方が良い。もちろん意義とかそういう話は既存の論文でやるべきだけど。しないのは大変だからなだけな気もするが。
他には「フェイクニュース」でも思う事だが「偽論文」ってのは何だろう。内容がいい加減でも体裁が論文なら論文でいいんじゃないか。フェイクニュースだってニュースじゃないってのは古い以外ないだろう。別に巷のニュースだってほとんどは検証不能なんだし。関係者によればみたいに。
>英語が良いという科学的根拠
英語で書かないと読める人の数が減る。特に日本語の論文は日本人でさえ読まない。
合理性のかけらもないな。単に人気だからというだけじゃないか。まぁ言語が最適でないから内容が誤りとは結論できないから些事かもしれないが。
科学用言語のシフトについては、スラドで一度議論ずみ。一回全部の米読んでみな。ノイズも多いけど今のスラド記事についてくるコメント群よりは面白いぜ。
/.J に聞け: 21 世紀の科学技術の公用語に、中国語はなるだろうか? [science.srad.jp]
17-20世紀の科学言語史観としてはこれ [srad.jp]がわかりやすい
もっと辿れば、「ほとんどの研究者はある程度ラテン語の読み書きができるはずで、ならラテン語でいいじゃない」という長い時代があり、「ほとんどの研究者はある程度独・仏語の少なくとも一つが読み書きできるはずで、なら独・仏語でいいじゃない」という(分野によるけど)短い時代(たとえば、物理でも20世紀前半あたりまでは独語に勢いはあった:ナチスがつぶした)があった。だけれども、WWII後、英語一色になった
科学技術のスポンサー足りうる覇権国家の言語に論文の言語が従うということ。事実、WWII以降の東欧では英語ではなくロシア語が論文や著作の第一言語だったし。中華国家が米国や英語圏国家から覇権を奪って科学技術のスポンサーになったらみんな喜んで中国語で科学を語りだしたりしないか、てのが最初のリンクのSF的妄想。#sradのコメントの結論は「ありえねー(@2012年)」今だとどうなのかな
デカルト(17C)とか、一般人が読むことも重視してフランス語で書いたりしたわけですなオイラー、ガウス(18C)くらいになるとドイツ語フランス語で書くのも当たり前になっていてぜんぜん短い時代ではない(オイラー自身はラテン語を好んだようだが相手に合わせて独仏語で書いた模様)哲学は英独仏が本場なので経験論をはじめ英語の本や論文はたくさんありましたし、覇権国家成立、産業革命(19C)で科学の本場だったということを忘れていいかげんなことを書いてはいけません
ラテン語の時代に比較して仏独が短い、って言っているのだが…比較表現が苦手なお方?
イスラム科学の時代も長いのですが、なぜ含めないのでしょうバカが屁理屈をこねると無知をさらすいい例です
>合理性のかけらもないな。
そりゃそうだ。単に一番多くの研究者が読めるってだけで使ってるんだから。それこそ自動翻訳が十分なレベルなら別に何語で書かれていてもよくなるだろうし。
あなたにとって何を持って合理としているか知らんが読める人が多いってのは非常に合理的だと私は思うのだが。研究成果を報告するために論文を発表するのだから。
査読システムに問題があるってのは同意するが、しないよりした方が良い、他に良いシステムが存在しないってのが現状じゃないかなぁ・・・。なんとかしてほしいよね。
例えばより明晰・論理的な言語があるなら長期的視野で見れば早い内に切り替えるべきだよね。切り替えコストは一度きりで、最適でない言語を使い続ける事によるコストは毎年発生しつづけるんだから。日常での使いやすさとかもコストとして考えての話だが。
あるいは学習コストが英語より低い言語(エスペラントとか?)があって、非英語圏と英語圏での学習コストの合計が、非英語圏の英語学習コストを下回るなら当然英語は最適ではないよね。仮にそのような言語が存在したとしても現状では最適化が機能しない事になる。
まぁ英語も査読も仕方ないからそうしてるってのは別にいいん
「ぼくのかんがえたさいきょうのかがく」感が半端ない
これから先人類がどの言語を共通言語として用いるのが良いかの議論ならともかく、現在、どの言語を用いて論文投稿すれば人類により貢献できるか、という点が重要です。エスペラント語で投稿して一体誰が読めるんですか?議論の筋がずれていると思います。
このスレッド、科学と合理という別物がごっちゃになってるのがすごく気になる。例えば、将棋の対局でどっちかが不利な状況の時、勝ち負けに拘らずその局面の最善手を指そうとするのが科学的には合理的な指し手だと思う。しかし、それが人対人の対局で、勝ち負けに拘る必要があるなら、人は間違えるという前提で、最善手ではなく人(相手)が間違えやすい手を指すという事もまた合理的な指し手だという事ができると思う。合理性というのは、前提によって変わるという事。
とりあえず、科学的に見て良い言語があったとしても、長
ナイーブ
過剰な期待があるよな民主主義と同じでそこそこ機能しているし他に案もないだけの話ネットの影響でいくらか変わるだろうが、木は今までのものを捨てなきゃいけないと思い込んでいて、この手の思い込みは社会にとってかなり有害なんだよ
中学二年生なんだから許してやれよ
数学の場合を中心に述べるが。
>信頼ベースの属人的で形式的な判定もできない査読ってシステムは到底科学的には思えないんだが。科学的であるべきなのは論文(に書かれている結果とそれを導く根拠)であるべきであって、関連することを何でも科学的(ってなんだ?)に出来るわけないでしょ。科学的な組織運営ってなんだ?寝てたら証明のアイデアを思いつくのは科学的?
>科学自体が科学的根拠のない判定手段を経て成立してるならそれは信用できるのか?出版された論文が正しいなんて思ってないよ。だからこそ、根拠となるデータを明示し、結果を導くためにど
あ、サーベイ論文もありなら、日本語の査読付き雑誌はあるか。
要は大量のノイズがあって、検証が客観的に行える場合に有効って話ね。当然その過程で有用なものが切り捨てられるという事は起こりうる。数学の場合はそれはその内再発見されるとして無視すればいいかもしれないが、社会科学などでは成立しない。ある種の主張を全てゴミ扱いするような査読者が発生しうるし、査読論文で評価されるならいずれ全ての査読者がそういう人間になるという事が起き得る(フェミニズム等で起きているなどと時折言われる)。ゴミが通過した場合は比較的容易に検証可能だが、ゴミでないものが(複数の査読者に)切り捨てられた場合の検証は容易ではない。政治家
>上でも述べたが、検証は時間がかかる。それこそ、全部公開した上で、検証したい人間が検証すればいいのでは?
>100本全部間違っているかもしれないのに正しい論文にあたるまで検証しつづけないとならないのか?自分が100本やりたきゃやれ、そもそも今ですら間違いだらけなんだから。
逆に「デタラメを通す査読者(つまり通す通さない自体がデタラメ)なんだから、落とした論文の方が正しい」可能性だって高いと思うがね。
最低限、査読者そのものの評価制度だけでも必要だろう。
すそ野の数が膨大だからその足きりとしての一次審査、二次審査としての書面規定チェックやら査読やらなんで、科学的信頼性はなんというかオマケくらいの認識の方がいいよ。「今」の段階で送られてきたもの全部掲載しろ、見たい奴が全部自分で確認しろよ、だと、結局「査読グループ」みたいなのができて今の雑誌の役割を担う必要が出てくるよ。
で、だ。今後、ってことであれば、査読の役割をAIが担うという意味で「査読不要」になってくる可能性は高いだろうね。そのAIの性質が雑誌ごとに違う、みたいな感じで。(医学に精通したAIと哲学に精通したAIと、その両方にほどほど精通したAIと、まだ発展途上のAIと、がいる”雑誌”業界になるわけだ)別に個人の信念に基づき査読しろとかではなく技術上のもっともらしさの話だから、AIに乗っ取られて雑務が減る方が万々歳だろう。
>「査読グループ」論文誌の査読者がデタラメしかしない以上、そっちの方がマシだろ。
自分のコミュニティの中の方がまだ信頼できるだろうに
だからその「自分のコミュニティ」が担うのが無理だから外部に頼むことになるだろうって話だよ。「数が多すぎて自分らのリソースでは調べてられない」から「誰かがやってるものに乗っかる必要が出てくる」ってこと。「来たもの全部のせる世界」がどんだけひどいことになるか分からないわけじゃないだろ。論文誌をつぶして選別グループ個別に作ろうぜ、って、それは新聞社つぶして全員がそれぞれライターがTwitterに書いたコメント読もうぜって言ってるようなもんだぞ。せめてある程度まとまった考えで選別されたニュースサイト読む方がマシだろ。たとえ偏ってようとなんだろうと、個別に読むよりはマシだ。比較対照を間違えるなよ。>というわけで査読なんかやめて片っ端から公開した方がいいと思う。との比較の話だからな。
>程度まとまった考えで選別されたニュースサイト読む方がニュースは最低限、「間違いない最初の事実」があるからな。考え方が偏ってようと。
論文の場合、それすらない。新聞社のニュースサイトにフェイクニュースが識者の補償つきで乗ってるようなもんだ。>現状のデタラメ査読論文誌。事実すらないのが平気で乗るのだから。
>選別グループ個別に作ろうぜそのうち、査読グループ自体に横のつながり出来て、信頼できる査読グループとできないグループに自分の中で分かれるさ。
>一次審査、二次審査としての書面規定チェックやら査読やらなんでそもそもそれが全く機能してないって話だろうに。
一晩寝て、元々の話のズレてる点に一つ気づいたんだが、こちらは論文の内容の信頼性を一旦棚にあげて関係ないクソとかをより分けるレベルからなんとかするのも雑誌とかの「外部の者」の役割だというテイで話してるんだが、そちらは「科学的信頼性が担保できない」という話を通り越して「クソすらより分けられないクズどもだ」になってるんだよな。別に科学的信頼性の話をしなくたっていい、何かのコンテストだってコンペだってアンケートだって、レギュレーションも読めないバカも応募してくるんだから、「来たもの全部とりあえず出す」なんてのはマイナーどころしかやれない
結局、「とにかく現状はダメ、自分の考えた方法が良い」っていうだけの意見なわけね。>現状のデタラメ査読論文誌がどの分野にどの程度あるのか把握もせずに、全ての分野の全ての論文雑誌がデタラメとか思い込んで攻撃しまくるのは迷惑。
>>一次審査、二次審査としての書面規定チェックやら査読やらなんで>そもそもそれが全く機能してないって話だろうに。機能してない雑誌もあるかも知れないが、そうでない雑誌もある。もちろん分野にもよるかもしれない。
そんなに自分の考えた方法がすごく有用って思うなら、システム作ってみれば?現状<<<<<<新システムって客観的にわかるような状態なら、出版社に持ち込めば使ってもらえるだろうし、普及もするでしょ。
どこにぶら下げようと思ったがここに。小保方さんの時も議論になったが、論文の出来というか信憑性を担保するのが・誰が査読したか・誰の弟子か書いたか・どこの所属かみたいなバックボーンで判断するわけ。そういう属人的な形式に頼らざる得ないのは、最先端とか世界初みたいな学問ほど門外漢には意味不明だから。とあるニッチな分野の話だが、第一人者Aの弟子の論文の査読が廻り廻ってAのところに来た。当然Aは査読できないが、狭い業界だとちゃんと査読できるのがその研究室だけみたいなこともある。ちなみにその論文は似たような分野の学者が査読したが、第一人者ほどの査読力はない。ニッチ学問あるある。そもそも嘘論文でもクソ論文でも長期的にはあまり問題ない。「誰も引用しない論文」として業界にハブられるから。今だって体裁が論文なら論文だぞ。ただ権威ある雑誌の誌面に限りがあるから厳選してるだけ。その方法が査読。クソ論文ばっか載せると雑誌の権威が落ちるからやっぱり査読は必要。
既に沢山のコメントが付いているけれど
>到底科学的には思えない1:そもそも査読は科学じゃない、様々な妥協の産物。
>片っ端から公開2:XX学会全国大会の予稿集みたいなものなら来る者拒まずだよ。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
査読って科学的か? (スコア:0)
信頼ベースの属人的で形式的な判定もできない査読ってシステムは到底科学的には思えないんだが。
科学自体が科学的根拠のない判定手段を経て成立してるならそれは信用できるのか?
いわゆる研究倫理とかかなり性善説ベースで作られているように思えるが、政府やいたずらや言論規制といった攻撃からの耐性がないならそもそも結果を信用する理由はあるのか?
というわけで査読なんかやめて片っ端から公開した方がいいと思う。
査読的なのは論文へのコメントとして添付する感じで。
一定ポイント以上の論文だけ事実上存在するとみなされるならそんなには変わらないけど、各自で基準で判断できるのは便利だし査読者に対する評価もやりやすい。
査読有り無しの二つ、最近はそれに加え信用できない偽科学誌みたいな三つってのはおおざっぱすぎ。
あと、
英語が良いという科学的根拠はあるのか?
実名制は匿名やID制より勝るという科学的根拠はあるのか?
ついでに21世紀においては少なくともいくつかの分野で自然言語ベースの論文なんてのをやめるべきじゃないか。
具体的には数学。
定理証明なんかは定理検証システムに通過するようにコンパイルされたものを自動的に受け付けるシステムにした方が良い。
もちろん意義とかそういう話は既存の論文でやるべきだけど。
しないのは大変だからなだけな気もするが。
他には「フェイクニュース」でも思う事だが「偽論文」ってのは何だろう。
内容がいい加減でも体裁が論文なら論文でいいんじゃないか。
フェイクニュースだってニュースじゃないってのは古い以外ないだろう。
別に巷のニュースだってほとんどは検証不能なんだし。関係者によればみたいに。
Re: (スコア:0)
>英語が良いという科学的根拠
英語で書かないと読める人の数が減る。特に日本語の論文は日本人でさえ読まない。
Re: (スコア:0)
合理性のかけらもないな。
単に人気だからというだけじゃないか。
まぁ言語が最適でないから内容が誤りとは結論できないから些事かもしれないが。
Re:査読って科学的か? (スコア:1)
科学用言語のシフトについては、スラドで一度議論ずみ。一回全部の米読んでみな。ノイズも多いけど今のスラド記事についてくるコメント群よりは面白いぜ。
/.J に聞け: 21 世紀の科学技術の公用語に、中国語はなるだろうか? [science.srad.jp]
17-20世紀の科学言語史観としてはこれ [srad.jp]がわかりやすい
もっと辿れば、
「ほとんどの研究者はある程度ラテン語の読み書きができるはずで、ならラテン語でいいじゃない」
という長い時代があり、
「ほとんどの研究者はある程度独・仏語の少なくとも一つが読み書きできるはずで、なら独・仏語でいいじゃない」
という(分野によるけど)短い時代(たとえば、物理でも20世紀前半あたりまでは独語に勢いはあった:ナチスがつぶした)があった。
だけれども、WWII後、英語一色になった
科学技術のスポンサー足りうる覇権国家の言語に論文の言語が従うということ。
事実、WWII以降の東欧では英語ではなくロシア語が論文や著作の第一言語だったし。
中華国家が米国や英語圏国家から覇権を奪って科学技術のスポンサーになったらみんな喜んで中国語で科学を語りだしたりしないか、てのが最初のリンクのSF的妄想。
#sradのコメントの結論は「ありえねー(@2012年)」今だとどうなのかな
Re: (スコア:0)
デカルト(17C)とか、一般人が読むことも重視してフランス語で書いたりしたわけですな
オイラー、ガウス(18C)くらいになるとドイツ語フランス語で書くのも当たり前になっていてぜんぜん短い時代ではない
(オイラー自身はラテン語を好んだようだが相手に合わせて独仏語で書いた模様)
哲学は英独仏が本場なので経験論をはじめ英語の本や論文はたくさんありましたし、覇権国家成立、産業革命(19C)で科学の本場だったということを忘れていいかげんなことを書いてはいけません
Re: (スコア:0)
ラテン語の時代に比較して仏独が短い、って言っているのだが…
比較表現が苦手なお方?
Re: (スコア:0)
イスラム科学の時代も長いのですが、なぜ含めないのでしょう
バカが屁理屈をこねると無知をさらすいい例です
Re: (スコア:0)
>合理性のかけらもないな。
そりゃそうだ。単に一番多くの研究者が読めるってだけで使ってるんだから。
それこそ自動翻訳が十分なレベルなら別に何語で書かれていてもよくなるだろうし。
Re: (スコア:0)
あなたにとって何を持って合理としているか知らんが
読める人が多いってのは非常に合理的だと私は思うのだが。
研究成果を報告するために論文を発表するのだから。
査読システムに問題があるってのは同意するが、
しないよりした方が良い、他に良いシステムが存在しないってのが現状じゃないかなぁ・・・。
なんとかしてほしいよね。
Re: (スコア:0)
例えばより明晰・論理的な言語があるなら長期的視野で見れば早い内に切り替えるべきだよね。
切り替えコストは一度きりで、最適でない言語を使い続ける事によるコストは毎年発生しつづけるんだから。
日常での使いやすさとかもコストとして考えての話だが。
あるいは学習コストが英語より低い言語(エスペラントとか?)があって、非英語圏と英語圏での学習コストの合計が、非英語圏の英語学習コストを下回るなら当然英語は最適ではないよね。
仮にそのような言語が存在したとしても現状では最適化が機能しない事になる。
まぁ英語も査読も仕方ないからそうしてるってのは別にいいん
Re: (スコア:0)
「ぼくのかんがえたさいきょうのかがく」感が半端ない
Re: (スコア:0)
これから先人類がどの言語を共通言語として用いるのが良いかの議論ならともかく、
現在、どの言語を用いて論文投稿すれば人類により貢献できるか、という点が重要です。
エスペラント語で投稿して一体誰が読めるんですか?議論の筋がずれていると思います。
Re: (スコア:0)
このスレッド、科学と合理という別物がごっちゃになってるのがすごく気になる。
例えば、将棋の対局でどっちかが不利な状況の時、
勝ち負けに拘らずその局面の最善手を指そうとするのが科学的には合理的な指し手だと思う。
しかし、それが人対人の対局で、勝ち負けに拘る必要があるなら、
人は間違えるという前提で、最善手ではなく人(相手)が間違えやすい手を指すという事も
また合理的な指し手だという事ができると思う。
合理性というのは、前提によって変わるという事。
とりあえず、科学的に見て良い言語があったとしても、長
Re: (スコア:0)
ナイーブ
Re: (スコア:0)
過剰な期待があるよな
民主主義と同じでそこそこ機能しているし他に案もないだけの話
ネットの影響でいくらか変わるだろうが、木は今までのものを捨てなきゃいけないと思い込んでいて、この手の思い込みは社会にとってかなり有害なんだよ
Re: (スコア:0)
中学二年生なんだから許してやれよ
Re: (スコア:0)
そんなシステムが糞なのはここ見れば明らかだろ…
Re: (スコア:0)
数学の場合を中心に述べるが。
>信頼ベースの属人的で形式的な判定もできない査読ってシステムは到底科学的には思えないんだが。
科学的であるべきなのは論文(に書かれている結果とそれを導く根拠)であるべきであって、関連することを何でも科学的(ってなんだ?)に出来るわけないでしょ。
科学的な組織運営ってなんだ?
寝てたら証明のアイデアを思いつくのは科学的?
>科学自体が科学的根拠のない判定手段を経て成立してるならそれは信用できるのか?
出版された論文が正しいなんて思ってないよ。だからこそ、根拠となるデータを明示し、結果を導くためにど
Re: (スコア:0)
あ、サーベイ論文もありなら、日本語の査読付き雑誌はあるか。
Re: (スコア:0)
要は大量のノイズがあって、検証が客観的に行える場合に有効って話ね。
当然その過程で有用なものが切り捨てられるという事は起こりうる。
数学の場合はそれはその内再発見されるとして無視すればいいかもしれないが、社会科学などでは成立しない。
ある種の主張を全てゴミ扱いするような査読者が発生しうるし、査読論文で評価されるならいずれ全ての査読者がそういう人間になるという事が起き得る(フェミニズム等で起きているなどと時折言われる)。
ゴミが通過した場合は比較的容易に検証可能だが、ゴミでないものが(複数の査読者に)切り捨てられた場合の検証は容易ではない。
政治家
Re: (スコア:0)
>上でも述べたが、検証は時間がかかる。
それこそ、全部公開した上で、検証したい人間が検証すればいいのでは?
>100本全部間違っているかもしれないのに正しい論文にあたるまで検証しつづけないとならないのか?
自分が100本やりたきゃやれ、そもそも今ですら間違いだらけなんだから。
逆に「デタラメを通す査読者(つまり通す通さない自体がデタラメ)なんだから、落とした論文の方が正しい」
可能性だって高いと思うがね。
最低限、査読者そのものの評価制度だけでも必要だろう。
Re:査読って科学的か? (スコア:1)
すそ野の数が膨大だからその足きりとしての一次審査、二次審査としての書面規定チェックやら査読やらなんで、
科学的信頼性はなんというかオマケくらいの認識の方がいいよ。
「今」の段階で送られてきたもの全部掲載しろ、見たい奴が全部自分で確認しろよ、だと、結局「査読グループ」みたいなのができて今の雑誌の役割を担う必要が出てくるよ。
で、だ。
今後、ってことであれば、査読の役割をAIが担うという意味で「査読不要」になってくる可能性は高いだろうね。
そのAIの性質が雑誌ごとに違う、みたいな感じで。
(医学に精通したAIと哲学に精通したAIと、その両方にほどほど精通したAIと、まだ発展途上のAIと、がいる”雑誌”業界になるわけだ)
別に個人の信念に基づき査読しろとかではなく技術上のもっともらしさの話だから、AIに乗っ取られて雑務が減る方が万々歳だろう。
Re: (スコア:0)
>「査読グループ」
論文誌の査読者がデタラメしかしない以上、そっちの方がマシだろ。
自分のコミュニティの中の方がまだ信頼できるだろうに
Re:査読って科学的か? (スコア:1)
だからその「自分のコミュニティ」が担うのが無理だから外部に頼むことになるだろうって話だよ。
「数が多すぎて自分らのリソースでは調べてられない」から「誰かがやってるものに乗っかる必要が出てくる」ってこと。
「来たもの全部のせる世界」がどんだけひどいことになるか分からないわけじゃないだろ。
論文誌をつぶして選別グループ個別に作ろうぜ、って、それは新聞社つぶして全員がそれぞれライターがTwitterに書いたコメント読もうぜって言ってるようなもんだぞ。
せめてある程度まとまった考えで選別されたニュースサイト読む方がマシだろ。たとえ偏ってようとなんだろうと、個別に読むよりはマシだ。
比較対照を間違えるなよ。
>というわけで査読なんかやめて片っ端から公開した方がいいと思う。
との比較の話だからな。
Re: (スコア:0)
>程度まとまった考えで選別されたニュースサイト読む方が
ニュースは最低限、「間違いない最初の事実」があるからな。考え方が偏ってようと。
論文の場合、それすらない。新聞社のニュースサイトにフェイクニュースが識者の補償つきで乗ってるようなもんだ。>現状のデタラメ査読論文誌。
事実すらないのが平気で乗るのだから。
>選別グループ個別に作ろうぜ
そのうち、査読グループ自体に横のつながり出来て、信頼できる査読グループとできないグループに自分の中で分かれるさ。
>一次審査、二次審査としての書面規定チェックやら査読やらなんで
そもそもそれが全く機能してないって話だろうに。
Re: (スコア:0)
一晩寝て、元々の話のズレてる点に一つ気づいたんだが、
こちらは論文の内容の信頼性を一旦棚にあげて関係ないクソとかをより分けるレベルからなんとかするのも雑誌とかの「外部の者」の役割だというテイで話してるんだが、
そちらは「科学的信頼性が担保できない」という話を通り越して「クソすらより分けられないクズどもだ」になってるんだよな。
別に科学的信頼性の話をしなくたっていい、何かのコンテストだってコンペだってアンケートだって、レギュレーションも読めないバカも応募してくるんだから、「来たもの全部とりあえず出す」なんてのはマイナーどころしかやれない
Re: (スコア:0)
結局、「とにかく現状はダメ、自分の考えた方法が良い」っていうだけの意見なわけね。
>現状のデタラメ査読論文誌
がどの分野にどの程度あるのか把握もせずに、全ての分野の全ての論文雑誌がデタラメとか思い込んで攻撃しまくるのは迷惑。
>>一次審査、二次審査としての書面規定チェックやら査読やらなんで
>そもそもそれが全く機能してないって話だろうに。
機能してない雑誌もあるかも知れないが、そうでない雑誌もある。もちろん分野にもよるかもしれない。
そんなに自分の考えた方法がすごく有用って思うなら、システム作ってみれば?
現状<<<<<<新システム
って客観的にわかるような状態なら、出版社に持ち込めば使ってもらえるだろうし、普及もするでしょ。
Re: (スコア:0)
どこにぶら下げようと思ったがここに。
小保方さんの時も議論になったが、論文の出来というか信憑性を担保するのが
・誰が査読したか
・誰の弟子か書いたか
・どこの所属か
みたいなバックボーンで判断するわけ。
そういう属人的な形式に頼らざる得ないのは、最先端とか世界初みたいな学問ほど門外漢には意味不明だから。
とあるニッチな分野の話だが、第一人者Aの弟子の論文の査読が廻り廻ってAのところに来た。
当然Aは査読できないが、狭い業界だとちゃんと査読できるのがその研究室だけみたいなこともある。
ちなみにその論文は似たような分野の学者が査読したが、第一人者ほどの査読力はない。ニッチ学問あるある。
そもそも嘘論文でもクソ論文でも長期的にはあまり問題ない。「誰も引用しない論文」として業界にハブられるから。
今だって体裁が論文なら論文だぞ。ただ権威ある雑誌の誌面に限りがあるから厳選してるだけ。その方法が査読。
クソ論文ばっか載せると雑誌の権威が落ちるからやっぱり査読は必要。
Re: (スコア:0)
既に沢山のコメントが付いているけれど
>到底科学的には思えない
1:そもそも査読は科学じゃない、様々な妥協の産物。
>片っ端から公開
2:XX学会全国大会の予稿集みたいなものなら来る者拒まずだよ。