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>宗教もしくは倫理的な理由から肉を避ける人々の存在宗教にしろ倫理にしろ内心でしょ。自身の価値観に照らして決めればいいのに。
書いてあるものを食べてもいいタイプと、書いてないものは食べちゃダメなタイプに分かれるんですよね。もともと培養元の豚とかはOKなのに培養はNGとするところもありそう。
それも含めて教義ごとに好きに決めたら良いだけですよね他人がどうこう言う話でもないですから勿論、強要されたら猛反発しますよ
教義に合わせて教団が決めるんじゃなくて、各信者が個人個人で決めればいいんじゃないか。
信仰っていうのは帰依することですよ自分で決めるのとは対極にあるものですもちろん何に帰依するのか自分で決めることもできるけど、大抵の人は親とかに決められてます
経典に何が書いてあるか一から十まで理解して、常時それを基準に行動を決めるなんて面倒じゃないですか。
そもそもそんな人には宗教なんて必要ないという気もしますね。
だから長いものには巻かれろで、教団の言うとおりにするんじゃないですか?
それがまさにスンニ派とシーア派なわけだ。2分して存在してるよ。
長い動乱の歴史を生き抜いてきたユダヤ人などの話を聞くと、そっちのほうが「楽」なのではないかという気がする。移り変わる複雑な現実にどう対処すべきかを個々人で判断し、そして複数の集団でそれを共有して生きてゆくためには峻厳な原則が要るようだ。少なくとも「長いものに巻かれろ」では不可能。
そう思えるのは今が幸せだからだよ。どうしようもない状況に陥ると頼る先がないと心が保たない。で、どうしようもない状況だと宗教しか縋りつけるモノがないのですよ。
書いてないからいいんじゃないの
宗教と言っても食べてはいけない動物は生理的嫌悪感を伴う風習のような善悪の価値観でしょうし、社会の中で暮らす以上俺がいいと思ったからいいのだ、とはならんでしょう
宗教的権威で飯を食ってる人は聞かれたら真面目に考えないといけないし、ウサギの肉がどーでもいい人でも、どーでもいいことで非常識だと非難されて消耗したくはないでしょう
健康被害を避けるためだとか、社会制度上食用にするのは問題があるとか、善悪より実利上の理由も制定当時は結構あったらしいよ
聖書には「昆虫はイナゴとバッタ以外食うな」って書いてあるから、ほぼ生活の知恵をそのまま口伝にして筆写・活字化されてるわけだな。
イナゴというのはバッタが大量発生する現象をいうのであって、個々はごく普通のバッタだよ。日本ではトノサマバッタだ。他所はしらんが。
> イナゴというのはバッタが大量発生する現象をいうのであって
直翅目・バッタ亜目・イナゴ科のイナゴ亜科 コイナゴ ニンポーイナゴ ハネナガイナゴ チョウセンイナゴ タイワンハネナガイナゴ タイワンコバネイナゴ オガサワライナゴ コバネイナゴ(エゾイナゴ)ツチイナゴ亜科 ツチイナゴセグロイナゴ亜科 セグロイナゴフキバッタ亜科 ミヤマフキバッタ
馬鹿は黙ってろ
生育密度が高くなって群生相になったトノサマバッタが植物を食い荒らす(蝗害)のを生物の種としてのイナゴとは別に災害としてのイナゴと呼ぶことがあるよ。
飛蝗のことだろしかも誤解でつけられた呼び名昆虫の名前の話の時に、現象の呼び名を持ち出すんだからやっぱり馬鹿じゃねーか
豚がダメなのは鶏よりエサ・水の消費に対する肉の量がすくなく、牛・馬のように労務には使えず、非経済だからという説を聞いたときはなるほどって思った。
> 宗教にしろ倫理にしろ内心でしょ。自身の価値観に照らして決めればいいのに。
違う。それはよくある日本人的勘違い。あちらでは、自身の価値観のベースとなるのが宗教。
あちらの宗教では、善悪を判断するのは神。人間ではない。だから自身の価値観に基づき善悪を勝手に判断するのはNG。
だからー、価値観の基準が宗教なんだってば。「Q: 何故肉を食べてはいけないのですか?」「A: 神様がそう決めたから以上」己の価値観で判断するわけじゃないの。自身の価値観で決めればよい、というのは日本人的考え方であって、あちらの人はそういう考え方じゃないの。
そんなステレオタイプな判子人間しかいないと本気で思ってる?
なぜ、「しかいない」なんだ?反論するなら「そんなステレオタイプな判子人間なんて居ない」じゃないと反論として意味ないぞ。「ステレオタイプな判子人間」がいて、宗教指導者の言うがままに価値観を決める人間、てのは世界にかならず一定数いる。そういう人間の存在について論じることを拒否するにはその存在を否定しないと説得力ない
近代的自由人がいる一方、「前近代的」な価値観も存在し、それはどちらが優劣というわけではない、というのが「20世紀ポストモダン哲学」な話だがまさか『「前近代的」な価値観の人間は未開の民で論じる価値無し」とかいう19世紀的な価値観で発言してないですよね?
内心の価値観を誤解ですと否定しといて、個々の内心の差を認めるわけ?何が誤解だったのかもっとはっきり誤解の余地の無いように言えば?
「文化人類学が普及して、文化に優劣などないと認識した結果、学生たちは既存の価値観を根本的に問い返すのをやめてしまった。これでは計算機科学も停滞してしまう」
単に歴史的な棒なだけかも。棒が有ったら振るう人もいれば、しない人もいる。
?
何を言っているの?
宗教って最初から決まっている普遍的な価値基準があると信じている人たちがやっているものだから、自身の価値観で判断しちゃいかんのよ。
自己満足ね縛られる方も結束が保たれるとマゾ的な喜び適当な解釈ぶち上げて縛るのは当然権力的な喜び
肉と命名した時点でだめだろう。○○肉風タンパク質…だめだ肉がついてしまう。肉という文字を使わずに肉の味を思わせる単語が思いつかない。
大豆「畑の肉です、よろしくお願いします」
畑で放し飼いにしておいた家畜の肉でもよさそう
>宗教にしろ倫理にしろ内心でしょ
政治より上位に宗教的な指導者のいる国なんて沢山あるでしょ内心じゃない宗教も多いし、指導者の不興を買ったら死刑になることもあるんですよ
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
なぜ問題になるのか理解できない (スコア:0)
>宗教もしくは倫理的な理由から肉を避ける人々の存在
宗教にしろ倫理にしろ内心でしょ。自身の価値観に照らして決めればいいのに。
Re:なぜ問題になるのか理解できない (スコア:1)
Re: (スコア:0)
書いてあるものを食べてもいいタイプと、書いてないものは食べちゃダメなタイプに分かれるんですよね。
もともと培養元の豚とかはOKなのに培養はNGとするところもありそう。
Re: (スコア:0)
それも含めて教義ごとに好きに決めたら良いだけですよね
他人がどうこう言う話でもないですから
勿論、強要されたら猛反発しますよ
Re:なぜ問題になるのか理解できない (スコア:2)
それも含めて教義ごとに好きに決めたら良いだけですよね
他人がどうこう言う話でもないですから
勿論、強要されたら猛反発しますよ
教義に合わせて教団が決めるんじゃなくて、各信者が個人個人で決めればいいんじゃないか。
Re:なぜ問題になるのか理解できない (スコア:2)
信仰っていうのは帰依することですよ
自分で決めるのとは対極にあるものです
もちろん何に帰依するのか自分で決めることもできるけど、大抵の人は親とかに決められてます
Re: (スコア:0)
経典に何が書いてあるか一から十まで理解して、常時それを基準に行動を決めるなんて面倒じゃないですか。
そもそもそんな人には宗教なんて必要ないという気もしますね。
だから長いものには巻かれろで、教団の言うとおりにするんじゃないですか?
Re: (スコア:0)
それがまさにスンニ派とシーア派なわけだ。2分して存在してるよ。
Re: (スコア:0)
経典に何が書いてあるか一から十まで理解して、常時それを基準に行動を決めるなんて面倒じゃないですか。
長い動乱の歴史を生き抜いてきたユダヤ人などの話を聞くと、そっちのほうが「楽」なのではないかという気がする。
移り変わる複雑な現実にどう対処すべきかを個々人で判断し、そして複数の集団でそれを共有して生きてゆくためには峻厳な原則が要るようだ。
少なくとも「長いものに巻かれろ」では不可能。
Re: (スコア:0)
そう思えるのは今が幸せだからだよ。
どうしようもない状況に陥ると頼る先がないと心が保たない。
で、どうしようもない状況だと宗教しか縋りつけるモノがないのですよ。
Re: (スコア:0)
書いてないからいいんじゃないの
Re: (スコア:0)
宗教と言っても食べてはいけない動物は生理的嫌悪感を伴う風習のような善悪の価値観でしょうし、
社会の中で暮らす以上俺がいいと思ったからいいのだ、とはならんでしょう
宗教的権威で飯を食ってる人は聞かれたら真面目に考えないといけないし、
ウサギの肉がどーでもいい人でも、どーでもいいことで非常識だと非難されて消耗したくはないでしょう
Re: (スコア:0)
健康被害を避けるためだとか、社会制度上食用にするのは問題があるとか、善悪より実利上の理由も制定当時は結構あったらしいよ
Re: (スコア:0)
聖書には「昆虫はイナゴとバッタ以外食うな」って書いてあるから、ほぼ生活の知恵をそのまま口伝にして筆写・活字化されてるわけだな。
Re: (スコア:0)
イナゴというのはバッタが大量発生する現象をいうのであって、個々はごく普通のバッタだよ。
日本ではトノサマバッタだ。他所はしらんが。
Re: (スコア:0)
> イナゴというのはバッタが大量発生する現象をいうのであって
直翅目・バッタ亜目・イナゴ科の
イナゴ亜科
コイナゴ
ニンポーイナゴ
ハネナガイナゴ
チョウセンイナゴ
タイワンハネナガイナゴ
タイワンコバネイナゴ
オガサワライナゴ
コバネイナゴ(エゾイナゴ)
ツチイナゴ亜科
ツチイナゴ
セグロイナゴ亜科
セグロイナゴ
フキバッタ亜科
ミヤマフキバッタ
Re: (スコア:0)
馬鹿は黙ってろ
Re: (スコア:0)
生育密度が高くなって群生相になったトノサマバッタが植物を食い荒らす(蝗害)のを生物の種としてのイナゴとは別に災害としてのイナゴと呼ぶことがあるよ。
Re: (スコア:0)
飛蝗のことだろ
しかも誤解でつけられた呼び名
昆虫の名前の話の時に、現象の呼び名を持ち出すんだからやっぱり馬鹿じゃねーか
Re: (スコア:0)
豚がダメなのは鶏よりエサ・水の消費に対する肉の量がすくなく、
牛・馬のように労務には使えず、非経済だからという説を
聞いたときはなるほどって思った。
Re: (スコア:0)
> 宗教にしろ倫理にしろ内心でしょ。自身の価値観に照らして決めればいいのに。
違う。それはよくある日本人的勘違い。
あちらでは、自身の価値観のベースとなるのが宗教。
あちらの宗教では、善悪を判断するのは神。人間ではない。
だから自身の価値観に基づき善悪を勝手に判断するのはNG。
Re: (スコア:0)
そこで培養ノウサギ肉がノウサギ肉なのかは論理的にでも神学的にでも自由に決めれば良い話。
他人に強要されるものではないし他人に強要するものでもない。
もちろん宗教的権威者に聞いてみるというのでも全然構わないし、宗教的権威者に強要されたものをそのまま受け入れるというのでも全く構わない。お前の中でそう思ってるならな。
Re: (スコア:0)
だからー、価値観の基準が宗教なんだってば。
「Q: 何故肉を食べてはいけないのですか?」「A: 神様がそう決めたから以上」
己の価値観で判断するわけじゃないの。
自身の価値観で決めればよい、というのは日本人的考え方であって、あちらの人はそういう考え方じゃないの。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
そんなステレオタイプな判子人間しかいないと本気で思ってる?
Re: (スコア:0)
そんなステレオタイプな判子人間しかいないと本気で思ってる?
なぜ、「しかいない」なんだ?
反論するなら「そんなステレオタイプな判子人間なんて居ない」じゃないと反論として意味ないぞ。
「ステレオタイプな判子人間」がいて、宗教指導者の言うがままに価値観を決める人間、てのは
世界にかならず一定数いる。
そういう人間の存在について論じることを拒否するにはその存在を否定しないと説得力ない
近代的自由人がいる一方、「前近代的」な価値観も存在し、
それはどちらが優劣というわけではない、というのが「20世紀ポストモダン哲学」な話だが
まさか『「前近代的」な価値観の人間は未開の民で論じる価値無し」とかいう19世紀的な価値観で発言してないですよね?
Re: (スコア:0)
内心の価値観を誤解ですと否定しといて、個々の内心の差を認めるわけ?
何が誤解だったのかもっとはっきり誤解の余地の無いように言えば?
Re:ミンスキーの嘆き (スコア:0)
「文化人類学が普及して、文化に優劣などないと認識した結果、学生たちは既存の価値観を根本的に問い返すのをやめてしまった。
これでは計算機科学も停滞してしまう」
Re: (スコア:0)
単に歴史的な棒なだけかも。棒が有ったら振るう人もいれば、
しない人もいる。
Re: (スコア:0)
?
何を言っているの?
Re: (スコア:0)
宗教って最初から決まっている普遍的な価値基準があると信じている人たちがやっているものだから、自身の価値観で判断しちゃいかんのよ。
Re: (スコア:0)
自己満足ね
縛られる方も結束が保たれるとマゾ的な喜び
適当な解釈ぶち上げて縛るのは当然権力的な喜び
Re: (スコア:0)
肉と命名した時点でだめだろう。○○肉風タンパク質…だめだ肉がついてしまう。
肉という文字を使わずに肉の味を思わせる単語が思いつかない。
Re: (スコア:0)
大豆「畑の肉です、よろしくお願いします」
畑の肉 (スコア:0)
畑で放し飼いにしておいた家畜の肉でもよさそう
Re: (スコア:0)
>宗教にしろ倫理にしろ内心でしょ
政治より上位に宗教的な指導者のいる国なんて沢山あるでしょ
内心じゃない宗教も多いし、指導者の不興を買ったら死刑になることもあるんですよ