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市原は旧国名でいうと上総国の市原郡があった場所、千葉は下総国の千葉郡だから、同じ都道府県になっているのは維新のドサクサが原因で、必然性はほとんどない。廃藩置県が領域名ではなく都市名をベースにしたことの影響をモロにかぶって「千葉の市原」になってるわけだが、有史以来、市原が千葉であるのはほんのわずかな期間にすぎない。
それなのに、長く残りそうな学術用語を「チバ」にしてしまって本当にいいのか。仮称「チバニアンの地層」は平安時代にも存在していたのに、当時はチバではなかったと子供たちに教えるつもりなのか。将来、市原が千葉県の圧政から逃れ独立した時に後悔するようなことにはならないのか。ましてや県ではなく市の税金を使ってまで「チバ」を推すことに市民の理解は得られるのか。千葉が混乱している今なら、イチハラニアンもまだ間に合うのではないか。
良く考えた方がいい。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
市原は千葉でいいのか (スコア:5, おもしろおかしい)
市原は旧国名でいうと上総国の市原郡があった場所、千葉は下総国の千葉郡だから、同じ都道府県になっているのは維新のドサクサが原因で、必然性はほとんどない。廃藩置県が領域名ではなく都市名をベースにしたことの影響をモロにかぶって「千葉の市原」になってるわけだが、有史以来、市原が千葉であるのはほんのわずかな期間にすぎない。
それなのに、長く残りそうな学術用語を「チバ」にしてしまって本当にいいのか。仮称「チバニアンの地層」は平安時代にも存在していたのに、当時はチバではなかったと子供たちに教えるつもりなのか。将来、市原が千葉県の圧政から逃れ独立した時に後悔するようなことにはならないのか。ましてや県ではなく市の税金を使ってまで「チバ」を推すことに市民の理解は得られるのか。千葉が混乱している今なら、イチハラニアンもまだ間に合うのではないか。
良く考えた方がいい。
Re:市原は千葉でいいのか (スコア:2)
更級日記は平安時代中頃に、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって記された回想録です。日記の冒頭部分は、上総国司である父の任期が終わり、上総国府のある市原市から平安京へと帰る場面です。この時が寛仁4年(1020年)であることが分かっており、2020年は菅原孝標女が帰郷して千年の節目に当たります。