宗教と科学が衝突すると考える科学者は意外にも少ないという調査結果 87
ストーリー by reo
それはそれ、これはこれ 部門より
それはそれ、これはこれ 部門より
danceman 曰く、
ライス大学が米国の主要大学の研究者に対して行った調査の結果、「宗教と科学は常に衝突している」と答えた科学者は 15 % であったとのこと (NETWORK WORLD 記事、本家 /. 記事より) 。
調査の対象となった大学 21 校の自然科学者及び社会科学者 275 名に対しインタビューが行われたが、「宗教と科学は常に衝突している」と答えたのは 15 %、「全く衝突しない」と答えたのが 15 %、そして大半の 70 % が「時々衝突する」と答えたという。
宗教と科学は矛盾するという論争がこれまで多くなされてきたが、今回の調査から科学者らが宗教と科学の両方を、重要な答えを導くための「まっとうな知の技法」と捉えていることが明らかとなった。
どういうタイトルのつけ方? (スコア:2)
> 大半の 70 % が「時々衝突する」と答えた
常にと合わせたら85%は衝突してる派だろ
# ストーリータイトルだけ読んで「キリスト教徒の科学者限定で
# 聞いたとかそういう話か?」と思ったらタイトルが本文と衝突していた件
Re:どういうタイトルのつけ方? (スコア:1)
しかし、常に衝突してるわけではない派も85%なわけです。
以前見解を異にしていたものの今は衝突していない分野もあり、また現在進行形で科学と相容れない部分もあるわけで(でも将来的には建設的な解や合意が見つかるかもしれないのに)、「常に」どちらかという見解を持つ人が30%も居ることの方が、僕には驚きでした。
Re:どういうタイトルのつけ方? (スコア:1)
元記事のタイトルは、Science and Religion Can and Do Mix, Mostly ですからね。
確かに、共存できないと取れるような回答が、30% もあるのは多すぎる気がしますね。
特に米国の主要大学の研究者で、科学を否定する人が15% というのは、調査方法に
問題がありそうな。
(それとも、神学校みたいなものが、主要大学 15% に相当するくらいあるのだろうか)
Re:どういうタイトルのつけ方? (スコア:2)
「宗教と宗教が衝突する」と回答した15%は、宗教家の立場として「(自分たちの立場は)科学と衝突する」と回答したのではなくて、科学者の立場として「宗教と衝突する」と回答したのでは。
その人の分野 (the meaning of life, ways of understanding reality, origins of Earth and how life developed on it) によっては普通に衝突がありそうですし、むしろアメリカでの調査なのに15%とは意外に少ないかな、と感じます。
Re:どういうタイトルのつけ方? (スコア:1)
御免なさい。
> 「全く衝突しない」と答えたのが 15%
というだけで、科学を否定している訳ではないですね。
全く信仰を持ってないから、そもそも衝突はないとか
自分の宗派には、科学と衝突するような教えはないとか
衝突があったら、意識より下のレイヤで処理されるとか
その理由は書かれて無いですね。
逆に「宗教と科学は常に衝突している」にしても、
衝突があったら、どちらを優先するとか、そういう情報はないですね。
Re: (スコア:0)
そうだろうか、衝突しない人はいつも衝突しないし、しばしば衝突する人はそれこそ常に
論争のはざまにいるだけのことだ。
ときどきコリジョンがあると考える人の割合に意味があっても
「常に衝突してるわけではない」という概念には意味が無い。
ヒント (スコア:0)
地域を限定すべきでは? (スコア:2)
今回の調査結果は、アメリカ国民の多くがキリスト教信者であり、聖書に従えば現在の科学は否定されてしまい、
逆に現在の科学に従えば聖書は否定されるという矛盾と長年付き合ってきた結果としての知恵なのかもしれません。
これが別の国、例えばインドなら違う結果になっていたかもしれませんし、日本も同様です。
宗教は国や地域によって色も浸透度もまったく違いますから「科学者」とひとくくりにするのではなく、
この調査結果では「アメリカの科学者」と限定すべきかと。
#ゆかり王国17歳教信者gesaku
Re:地域を限定すべきでは? (スコア:1)
日本人にとっての「無宗教」のニュアンスは「どの宗教にも傾倒してない」だけど
海外(一部なのか一般的なのか詳しくないけど)では「あらゆる宗教に対し反対の立場を取る」というニュアンスがあるらしいです。
ちょっとくだけた日本語で言えば「アンチ宗教」(「宗教アンチ」?)って感じですね。
外国人的には日本人は無宗教なのではなく宗教に対して無節操で信心が非常に浅いだけで、無宗教とは違うと。
実際は他宗教の排斥に積極的じゃないだけでそれぞれが自分なりの宗教観を持ってるのが日本人だと思うんですけどね。
○○教ってわざわざ名付けない自分だけの宗教として。
Re:地域を限定すべきでは? (スコア:1)
公立学校で諸行無常がどうたらとか仏教の基本ドグマを教えるのに何の躊躇いもないんだもの。
問題は、それを絶対的な価値と教えるかどうかだよね。公民的分野の倫理科目なんてのは、宗教に触れないわけにはいかんだろう。
アメリカ大統領が聖書に宣誓するの笑えないくらい政教分離できてない。
いやいや、米国には負けますよ。米国はお札や硬貨一枚一枚に"In God We Trust(我ら神を信ず)"って刻まれてるんだから。
そもそも、政教分離は、国家によって善しとする基準が違うのが当たり前。他国と比べてどうこう言っても無意味じゃないかね。
今回の科学には社会科学を含む (スコア:2)
タイトルの点は注意が必要なのではないかと思います。個人的な感覚として、ただ科学とのみ言われると自然科学を連想しました。
#小学校の頃に読んでいた、学研の科学の影響かも知れませんがw
今回の調査に含まれる社会科学の範囲が不明ですが、Wikipediaの記述 [wikipedia.org]の代表的な学問分野に限定しても、たとえば政治や経済が宗教とは切り離しがたい国が多い以上、衝突しないと考える学者が多くても不思議はないのでは無いでしょうか。
自然科学者と社会科学者で答えの比率の違いを見てみたい物です。
それ以前に、別の方の指摘のようにタイトルの付け方が恣意的というか、ほとんどが時々衝突するという中間の答えに集まってしまっている以上、アンケートが不適切なような気もしますが……
15%、70%、15% (スコア:2)
単純に、正規分布しているだけのようにも見えますが・・・
矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:2)
仏教の思想と自然科学は全く矛盾しません。衝突もしません。
Re:矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:1)
あなたのおっしゃる仏教って、どの仏教のことかしら?
……いや、冗談抜きで、(他の宗教と同じく)仏教も成立時から今までにえらいこと変化&分化してるんで、単に仏教とだけ言われてしまうと議論の俎上にも上らないというか。
Re:矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:2)
Re:矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:1)
>仏教だけにほっとけ
そうか、がっかり。
モデレータは基本役立たずなの気にしてないよ
Re:矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:1)
たしかに仏教も宗派はいろいろですが「絶対神がいない」「創世神話を持っていない」あたりは,とりあえず共通しているかと。
Re:矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:1)
まあ、お釈迦様の仏教なら、「究極の疑問なんて考えるのは無駄」と言ってるし、「良い結果になるなら何を信じても良い」というような事も言ったようだから、科学と矛盾するはずも無いでしょう。
現代でも禅宗は何も信じないんだろうし、浄土宗なら全部お釈迦様まかせで何も考えないんだろうから、矛盾しないような気がするな。
真言宗は多くの宗教を取り込んで色々信じることがありそうだから、科学と矛盾する事があるかもね。
逆に矛盾する多宗教を取り込んでるから、もはや矛盾など気にしないかな?
(「矛盾を気にしない」てのは、どういう扱いになってるんだ?アンケートの不備だな?
the.ACount
Re:矛盾するのはアブラハムの宗教だからでしょ (スコア:1)
>最初は海しかなく、その後陸ができ、日が差して、植物が発生し、動物が存在し、人間が登場という創世記1章に挙げられている創世の順番でさえ、見方によっては面白い。
太陽ができる前に海があったのだろうか?
海しかなかった時期がったのだろうか?
>相反しない解釈も可能ってことを知っている欧米の科学者もいるって話だよ。
解釈が可能ということで科学的なら、ノストラダムスの大予言も
解釈なんだよなぁ。
科学的に合致する部分があるから、科学的か?っつーと、そうでもない。
気違いの妄言にもたまには世間一般でいう科学的な事実と一致することがある。
しかし、気違いが科学的であるとは、言わないってことなんだよね。
NETWORK WORLDの元記事が面白い (スコア:2)
何らかの宗教に属してる科学者と無宗教の科学者は半々だけど、ほぼ全ての科学者がインテリジェントデザイン論に否定的な印象を持っている、とか。
自分を宗教的と評価する科学者ほど、宗教と科学が衝突すると考える度合いは低かった、とか。
全訳する元気はありませんが、15%/70%/15%ってのは調査のほんの一部であってそこだけ取り出してストーリーにするのはもったいない感じです。
「68%の科学者が、自分はある程度spiritualであると考えている」ってのはどう訳せばいいんだろう。「精神的」だと意味不明だし「霊感が強い」はなんか違いそうだし。
Re:NETWORK WORLDの元記事が面白い (スコア:1)
>「68%の科学者が、自分はある程度spiritualであると考えている」ってのはどう訳せばいいんだろう。
宗教に関して問いかけてる文脈だから、spiritualは「宗教的」ってとらえれば良い気がする。
#元々そういう意味も含む語
だからまあ、「68%の科学者は自分自身をある程度は信仰を持った人間だと考えている」とかそういうんで良いんじゃないかな。
Re:NETWORK WORLDの元記事が面白い (スコア:1)
なるほど。
「特定の宗教に属してないけどある程度信仰を持っている」という人が18%くらい居ると考えればいいですかね。
元コメで「無宗教」という言葉を使ったのはまずかったか。しかしなんというか、そういう曖昧な宗教観は日本以外では珍しい様に漠然と思ってましたがそうでもないんですね。
Re:NETWORK WORLDの元記事が面白い (スコア:1)
宗教は神が必須なわけじゃないですからね。
例えば仏教はそもそも神が居ないところから始まってるし。
(ブッダを神とする解釈もあるけど、あれはこの世と繋がりが切れちゃう存在なのだからいずれにせよ「この世に干渉する神」はいない)
#もちろん仏教が発展するにつれ色々出てきてるけどそれはまた別の話
科学と魔術が交差するとき? (スコア:1)
とあるラノベアニメで似たようなのがありましたね
Re:科学と魔術が交差するとき? (スコア:1)
用語の翻訳に難渋しているのではないかと推測。日本語だと当て字にすることで実在の宗教とは似て非なるものなのだということにしてごまかしてるけど、印欧語に翻訳するとどうしても実在する宗派を想起させかねない言葉にしかならなかったりするのでは。そうなると「ウチが過激派ばかりのように描かれている。けしからん」というクレームが出たりすることを恐れているのではと。
Re:科学と魔術が交差するとき? (スコア:1)
タブーとか以前の話では。
バチカンや国教会はこれまでもさんざんフィクションでネタにされているから
ことさら過剰反応するとは思えませんが、失礼だよなあとは思いながら読んでます。
「前政権与党の母体となる某宗教団体の暗部を担う呪法師集団と主人公が超常バト
ルを繰り広げる話」とか出版されたらたぶん学会の人は怒るんじゃないかなと思い
ますが、それを「学会のタブーに触れた」とか言うひとはさすがにいないと思いたい。
Re:科学と魔術が交差するとき? (スコア:1)
さてんさんの出番の数かもしれないよ。
不思議はない。 (スコア:1)
科学的な方法には、科学なりの長所と限界がある。長所は中世暗黒時代からの幕開け以降、多大な利益をもたらしている。
宗教による考え方にも長所と短所がある。そして宗教哲学には、2000年以上にわたって内省し知恵を究めて考え抜かれた論理がある。
知的活動の質としては、双方に上下があるわけではない。とんでもなく頭のいい科学者がいるのと同様に、すばらしい炯眼を持つ宗教者もいる(現在も)。一方で、イタイ宗教者がいるのと同様に、イタイ科学者もいる。科学も宗教も、悲劇的な犠牲者を生むことがある。
…と日々思うけどねぇ。
むしろ科学的だと言うだけで盲信する方が(いわゆる)宗教的と言うか。
Re:不思議はない。 (スコア:2)
相対主義って、何にでも適用できる上に何か主張したような気になれて、便利だよね。
Re:不思議はない。 (スコア:1)
後半は国語の問題であって科学というものの性質の話じゃないだろ
科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:0)
たとえば,なぜ死ぬのか?は解明できるだろうが,
生きている「目的」については科学では「種の保存」以外の答えは得られないのではないだろうか。
だから科学だけが絶対のものとして受け入れるのは論理的でないと言ってみる(汗)
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:1)
「目的」というのは人間の意識によって作られるものなので、それを科学方面に求めてもせんないことだと思いますがね。
宇宙は只そこにあるだけですよ。自分の目的は自分で作り上げてください。
なぜ死ぬのかって、世の中には死なない生物も沢山居るわけで、人間が「死ぬ側」に入っているだけです。
死は宇宙不変の理ではないですよ。
まあエントロピーというものがあるので、この世のすべてのものは究極的には壊れて平坦になっていく定めというのはありますが。
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:1)
直球の答えではないですが、人間原理の変形で、
「たまたま物理定数がうまい具合いになって、地球という惑星がたまたま発生し、人間という有限の寿命と意識を持つ生物がたまたま発生し、その意識の中で「目的」「理由」という概念が発生し共有されるようになった、それが、宇宙の存在「理由」であり、生きる「目的」」
という答え方もある。
(もしどこかで異なる道を歩んでいたら、「理由」とか「目的」とかを問う存在そのものが発生しないので、その設問自体が存在しない)
ぶっちゃけてしまえば、「そうなったんだから仕方ないだろ」
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:1)
科学はそもそも根源的な理由を問う意味での「なぜ?」には答えられません。
より詳細な仕組みを解明できるだけです。
一見答えてるように見えるのは「他の思いつきより”妥当性が高い”から」というのが精一杯で
たいていの場合、あまり科学的ではないのが実情です。
例えば「なぜキリンの首は長いのか」という問いに「高い場所の餌を取ることができるから」というのは真の意味で「科学的な裏付け」は何もありません。
全く異なる理由であのスタイルになっておきながら、たまたま運良く高い場所の餌が食えたから生き残った、のかもしれません。
例え首が長くなった理由が適応進化だろうとキリンの意志だろうと異星人による遺伝子操作であろうと、科学はそのどれも(少なくとも今は)証明できませんし、それはあくまで手段であって理由の説明にはなりません。
本来「なぜ」に答えられるのは宗教と哲学くらいなのです。
(実際は心理学とか精神医学とか脳科学とかも自信満々で答えちゃいそうだけど)
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:4, すばらしい洞察)
18世紀のプロテスタンティズムがどのように資本主義に影響を与えたかを 論じる文脈で、ヴェーバーは有名な論文の注の中で、次のように指摘しています。
ピュウリタン、洗礼派、敬虔派の信徒たちが特愛した学科は物理学であり、 それに次いで、同じ方法でもって行われる諸他の数学的=自然科学的諸学科だった。 つまり、現世の「意味」は、神の啓示の断片的な性格のために(これはカルヴァン派 的思想だ)概念的思索によってはどうしても捉ええないけれども、自然における神の 法則の経験的把捉によってその知識にまで到達しうる、と彼らは信じたのだった。
(マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫 p.250)
ここで示唆されている通り、私は、プロテスタンティズムの(特にカルヴァン派の) 職業的禁欲主義が資本主義の発展を促したように、 プロテスタンティズムの「我々は直接神とつながるのだ」 という世界観、宗教観が科学の発展を促した可能性はあると思います。
プロテスタントに限らずとも、アインシュタインがユダヤ人なのは有名ですが、 彼は「神はサイコロを振らない」といって量子力学に懐疑的でした。 また、宇宙定数の入ったアインシュタイン方程式を解いた、 有名なルメートルという人は、本職は神父です。 この人が導いたルメートル宇宙モデルは、現在の宇宙を最も適切に表現する宇宙モデルですが、 当然、膨張する宇宙像を予測し、アインシュタインは最初はこの解を出したルメートルに 「あなたの物理的見識は忌まわしい」と言ったといいます。
つまり、ある種の人間は、宗教的であるがゆえに物理学を学ばなければならなかったし、 ある場面では理性的思考よりも宗教的直観を信じることすらあった、ということです。 そしてそのようなある意味宗教的な営みの結果、現在の宇宙観が成り立っているのです。
確かに「世界の意味」に直接科学が答えることはありませんが、 動機の部分では、「なぜ」と問う科学と宗教で共通するものがあることは、私は確実だと思いますし、 物理的直観で世界を把握することは、科学者個人レベルでは その答えに近づいているであろうとも思います。
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:2)
そうとは言っていません。 アインシュタインは後に宇宙膨張を示すハッブルの観測結果を受け入れて、 膨張宇宙モデルを受け入れています。
理論(モデル)としての物理学は数学的に整備されたものであるし、 どのモデルが支持されるかは実験、観測が決めていますので、 宗教的な偏見が入り込む余地というのは無いといっていいでしょう。
しかし、科学者がどの分野を研究対象に選ぶかは 科学的直観とともに宗教的直観によって決められている可能性はあり、 どの分野が発達してどの分野が未発達か、という発達度合いの違いが、 宗教的直観との相関として現れている可能性はあります。 つまり、理学の中でも「宇宙とは何か」「生命とは何か」 という、ある意味宗教的な問いを持つものが優先的に研究され、 あまり関係さなさそうな研究は脇に追いやられる、 という可能性はあります。
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:2)
うーん、詭弁ですか。 アインシュタインとルメートルを例に挙げましたが、 この二人は宇宙論に対する貢献が大きく、 宇宙論の成り立ちを考える上でも宗教との関連は興味深いものがあります。 もう少し詳しく見てみましょう。
膨張する宇宙というアイデアは、必然的に、宇宙は過去に戻ると収縮していき、 やがてはある一点から宇宙が始まったという宇宙モデルを想起させます。 いまでこそビッグバン宇宙モデルは人口に膾炙していますが、 当時は、宇宙は定常的であって、過去も未来も変わりが無いというのが、 「物理的」なものの見方であると考えられていました。 アインシュタインもそう考える一人でした。 ルメートルのビッグバン理論に対する反応の文脈で、Wikipediaには次のように書かれています。
ルメートルのこの説は当時の科学界に激しい反応を引き起こした。 エディントンはルメートルの考え方を不愉快だと感じていた。 アインシュタインも彼の理論の正しさに疑いを持っていた。 (アインシュタイン自身の言葉によれば) ルメートルの理論はキリスト教の天地創造の教義を強く連想させ、 物理学の視点からは正当とは認められないものだったからである。 これを発端として、宇宙論と宗教の論争が数十年にわたって続くこととなった。 この論争の中でルメートルは常に科学と信仰を分けて考えるという立場で根本的な役割を果たす存在となった。
( Wikipedia ジョルジュ・ルメートルの項 [wikipedia.org]より引用)
ということで、歴史的な逆説ですが、神父が提唱する「宗教的」と考えられた宇宙モデルが、 現在科学的に正統な宇宙モデルとして受容されていて、 さらにその神父が「科学と信仰を分けて考える」という立場で重要な役割を果たしたのです。 これらをひっくるめて私は「ある意味宗教的な営み」と表現しましたが、 説明不足かつ筆が走った感はあります。
最後の「本来の宗教の目的は何ぞや」という疑問は、私の手には余りますが、 独断で言わせてもらうと、宗教の目的とは 「人間の行動原理(道徳、倫理)を与えるとともに、世界の原理、生命の原理を与える」ですね。 現在は科学が世界の原理、生命の原理を追求する学問になっていますので、 宗教の昔の役割を科学が一部担っているのだと解釈しています。 しかし、宗教は「与える」ものであるのに対して、学問は「問う」ものですから、 根本的な態度の違いはあるかも知れません。 もし大学に、何か与えられるものを貰いに行こうとするのであれば、その勉強は挫折するでしょうね。
Re:科学には恐らく答えられない問題がある (スコア:1)
>たとえば,なぜ死ぬのか?は解明できるだろうが,
テロメアとかそこらへんでの説明があるけどね。
>生きている「目的」については科学では「種の保存」以外の答えは得られないのではないだろうか。
そもそも目的があるのか?という命題についても考察しないとね。
>だから科学だけが絶対のものとして受け入れるのは論理的でないと言ってみる(汗)
完全なものしか受け入れないのであれば、何も受け入れられない。
絶対であるか?よりより完全に近いという論理的科学的説明があって
そこで人はそれを信じるに値するものと判断するんだ。
Re: (スコア:0)
科学的に行くのならまず、「その前提にしてる『目的』なるものが存在するのか否か?」から議論せんと。
#別に目的なんて無くても良いじゃないか!
どっちかというと眼中に無い、では? (スコア:1)
科学者にとっては「真理=今のところ分かっている範囲で最も筋の良い説明」でしかないわけで、 新たな事実が分かれば、それまで知られていた「真理」でもどんどん書き換わっていくわけで。
その立場から宗教を好意的に解釈すると、「当時の科学的知識とは矛盾しないように作られた一連の価値ある教訓・寓話」なので、 その「真理」が新たに知られた事実と矛盾していれば、当然書き換えられてしかるべきは宗教だろう、と、言うように考えるものじゃないかと。
で、アンケート結果としては、「衝突しない」。それは宗教家の考える「衝突しない」象とはずれてるんじゃないでしょうかね。
Re: (スコア:0)
「衝突しない」象
ぞうさんが衝突するのはいやです。
Re:どっちかというと眼中に無い、では? (スコア:1)
やはり象にもプリクラッシュ・セーフティ・システム [e2a.jp]を標準装備でしょうか?
担当の省庁は、農水省? 文科省?
過去にはいろいろあったけど、現代の問題としては (スコア:1)
現在はエセ科学、エセ宗教が結びついたような水伝とかIDみたいなのが、科学、宗教両関係者にとって頭の痛いところでは無いでしょうか。
キリスト教は原則、怪力乱心を語りません (スコア:1)
数ある宗教のうち、キリスト教にピックアップして語るなら
原則怪力乱心を方らない宗教なので、衝突はしないはずですね。
神は物理法則を含めて世界を作ったのだから、科学的手法により物事を研究することは
すなわち神の真理に近づくことに他ならない信仰の形の一つです。むしろ、神が作った完璧な世界に
魔術なんていう反則技は存在しないはずです。すなわちしかるべき科学的方法で観測可能なはず。
なので、科学史的に宗教家兼科学者が多数居るわけです。
ちなみに、物理法則をねじ曲げるような例外は神とその類型に許される奇蹟なので、対象外。
ルールをねじ曲げれるからこそ、奇跡であり、ルールが強固な方が意味が大きいですよね。
逆に、いわゆる魔術的な事を原則とする宗教だと、衝突しやすいかもですね。
※ 例えば、誰でも修行すればカメハメ波が撃てる、という教義があるなら熱力学の法則あたりとぶつかるかと。
ご都合主義 (スコア:2)
物理法則をねじ曲げるような例外は神とその類型に許される奇蹟なので、対象外。
ルールをねじ曲げれるからこそ、奇跡であり、ルールが強固な方が意味が大きいですよね。
と
いわゆる魔術的な事を原則とする宗教だと、衝突しやすいかもですね。
が同じことを立場を変えていっているだけに見えて滑稽。
神とそのお仲間がルール違反してもそれは「奇跡」で例外扱い、お仲間でないと「魔術」扱い。そら衝突しないでしょうよ例外扱いするんだもの。
自己矛盾に気が付かないご都合主義のようだ。
なにをいまさら (スコア:0)
宗教と科学が衝突しないというか、宗教と科学は一致するというのは御木徳一(ひとのみち教団・PL教団初代教祖)が戦前から主張していたことだよ。
Re:なにをいまさら (スコア:1)
17歳教の方々と、科学的な実年齢を示すべきだとする方々において、
たまに衝突がみられますが、これについてその御木徳一さんの見解は
ありますでしょうか?
衝突といっても「おいおい」というツッコミで形式化された衝突ですが...
Re:科学史 (スコア:1)
>ニュートン、デカルト、ライプニッツ、パスカル、ケプラーとか皆、敬虔なキリスト教信者
彼らがキリスト教信者であったから...ということであれば、それを示すといいかな?
簡単にいえば、彼らはパンを食べていたので、パンは科学的であるために必要な食べ物だ..ということにはならんよね。
ユークリッドとかアリストテレスとかプラトンとかアルキメデスとかピタゴラスとかについても、説明があるといいかもしれない。
Re:科学史 (スコア:1)
>彼らは「近代科学」の創始者ではないから説明は不要では?
近代である必要はないんだなぁ。
いつの時代にはじまったか?が必要な理由もない。
たまたま近代を例にしているだけで、それだと愚かにも視野が狭いということを示してあげているわけだ。
Re:こう考えた (スコア:1)
この解釈案外正解かも。
インタビュー式アンケートがどんなだったか判らないけれど、
一流科学者の考えて考え抜いた末の回答を集めたのじゃなく
ある意味上手に「普段の態度」を集計したものだと言われれば
なるほどと思える。