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「全国どこも同じです」「なんなら全世界的に同じです」という検査結果の雨を降らせて黙らせたい。
放射能被害を避けたい人々に対して、原発事故の初期から「福島差別」と言う言葉を投げかけて罵倒する人達が出ていましたし、それは、一部の学者や社会運動家が扇動した側面が相当ある。結果、放射能被害を避ける行動自体が福島差別と非難される「空気」が出来てしまった訳です。「食べて応援」にしてもそうなんですが、放射能汚染を受けた食糧を流通から排除していくというのが、国民を護るということですし、汚染を受けた土地からは早期に強制移住させて、移住先でコミュニティを構築する。と言うのが当然の人道的対処な訳ですよ。放射能や放射線が人体のみならず社会全体に及ぼす影響を真剣に考えるならば。
ところが、この国は全く正反対を突き進んでしまった。放射能汚染や身体への影響を過小評価する「学者」が現れ、チェルノブィリ事故やそれ以前の原水爆実験の影響を受けた人々の実態を以て「安全寄り」に行動方針を倒した人々を罵倒し、それに呼応して、今で言うネトサポのような人々が、放射能を恐れる人々や歴史から学ぼうとする人々に「放射脳」のレッテルを貼って狂人扱いした。その傍らで、嘆かわしいことに左派の一部ですら、「放射能は怖くない」と言う誤った・歴史を無視した言説の「学者」に取り込まれてしまった。
官邸という意味での政府が、津波被害の対応や原発事故の拡大を抑えるために必死になってる傍らで、環境省や経産省・農水省や福島県は、原発事故に対応するコストを抑えこむために(そして福島県は税収を維持するために)、原発被災者をなるべくその場にいさせるだけではなく、そこで出来た農水産物を国民に対して半強制的に食べさせることを選択したわけです。要は、原発被災者を護るために必要なコストを負担することを嫌がり、今までとこれからが全く変わらないかのようにごまかすことを選択した。
最近、この二年ほど、ネットである程度名のしれてる人の心疾患や脳梗塞などを含めた突然死が異常に増えてるように思えますが、これも、チェルノブィリ事故と似た状況 [windfarm.co.jp]です。要は、ガンだけが放射能の影響ではないのです。我々は、最低でも南東北と関東の住民は、「福島差別」なる恫喝めいた言葉に惑わされ続けるべきではなく、キチンと「あなたのいってる恫喝はいい加減やめろ」と言うひっつ用が出てきてるように思うのです。生き残りたいのならば。
あらゆるリスクを度外視して放射線だけに100%の安全を求めるから放射脳と馬鹿にされる。自分が人道的と思っていながら差別的な恫喝を叫ぶあたり本当に救いようがないなあと思う。
ソ連は、チェルノブィリ事故の直後に、周辺の町の十数万の住民を強制疎開させ、最終的に四十万の住民が疎開させられました。 [japanese-page.kiev.ua]
これに近いような対応を、日本政府や福島県が取っていれば、文句は少なかったと思いますよ。しかし、できなかった。というより、日本の官僚システムに起因する問題から、やらなかった。当時の内閣は、強制疎開も視野に入れた動きをしていましたが、霞が関や福島県庁の側は半ばサボタージュをして、放射能被害を見て見ぬふりしていた。と言うのが、福島第一原発の初動であったと記憶しています。
私は、あの時の経緯をCIS諸国の事故後の対応と比較して、なんとも人を見殺しにしているなと思う訳ですよ。汚染隠蔽を唯々諾々と受け入れて立ち上がろうとすらしない、福島県民や宮城県民のありようも含めて、余りに情けない。
住んだ街や土地に拘って、汚染をなかったことにして、除染などというまやかしを用いて、実際には汚染を放置する動きを唯々諾々と受け入れ、社会や政治のケアもろくすっぽ無いままに野垂れ死なせることが、本当に、「人道的」なんですか?汚染をなかったことにするのや過小評価して、ツケを専ら住民に支払わせたり、宮城県のように、汚染のあるないに拘らず、被災地を積極的に大企業や海千山千の山師連中の植民地に組み換え、貧困以外の選択肢を奪うことの何処が、人道的なんですか?
汚染をきちんと諸外国の前例に基づいて評価し、汚染から人を排除し、汚染の恐怖から解放する事こそが、人道的であって、その事を差別と言い換えることの不道徳さこそが非人道的そのものではないのですか?
と言う話です、私がしてるのは。
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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:2)
「全国どこも同じです」「なんなら全世界的に同じです」
という検査結果の雨を降らせて黙らせたい。
福島差別と言って放射能被害を隠蔽する人々(Re:福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:0)
放射能被害を避けたい人々に対して、原発事故の初期から「福島差別」と言う言葉を投げかけて罵倒する人達が出ていましたし、それは、一部の学者や社会運動家が扇動した側面が相当ある。
結果、放射能被害を避ける行動自体が福島差別と非難される「空気」が出来てしまった訳です。
「食べて応援」にしてもそうなんですが、放射能汚染を受けた食糧を流通から排除していくというのが、国民を護るということですし、汚染を受けた土地からは早期に強制移住させて、移住先でコミュニティを構築する。と言うのが当然の人道的対処な訳ですよ。
放射能や放射線が人体のみならず社会全体に及ぼす影響を真剣に考えるならば。
ところが、この国は全く正反対を突き進んでしまった。放射能汚染や身体への影響を過小評価する「学者」が現れ、チェルノブィリ事故やそれ以前の原水爆実験の影響を受けた人々の実態を以て「安全寄り」に行動方針を倒した人々を罵倒し、それに呼応して、今で言うネトサポのような人々が、放射能を恐れる人々や歴史から学ぼうとする人々に「放射脳」のレッテルを貼って狂人扱いした。
その傍らで、嘆かわしいことに左派の一部ですら、「放射能は怖くない」と言う誤った・歴史を無視した言説の「学者」に取り込まれてしまった。
官邸という意味での政府が、津波被害の対応や原発事故の拡大を抑えるために必死になってる傍らで、環境省や経産省・農水省や福島県は、原発事故に対応するコストを抑えこむために(そして福島県は税収を維持するために)、原発被災者をなるべくその場にいさせるだけではなく、そこで出来た農水産物を国民に対して半強制的に食べさせることを選択したわけです。要は、原発被災者を護るために必要なコストを負担することを嫌がり、今までとこれからが全く変わらないかのようにごまかすことを選択した。
最近、この二年ほど、ネットである程度名のしれてる人の心疾患や脳梗塞などを含めた突然死が異常に増えてるように思えますが、これも、チェルノブィリ事故と似た状況 [windfarm.co.jp]です。要は、ガンだけが放射能の影響ではないのです。
我々は、最低でも南東北と関東の住民は、「福島差別」なる恫喝めいた言葉に惑わされ続けるべきではなく、キチンと「あなたのいってる恫喝はいい加減やめろ」と言うひっつ用が出てきてるように思うのです。生き残りたいのならば。
Re: (スコア:0)
あらゆるリスクを度外視して放射線だけに100%の安全を求めるから放射脳と馬鹿にされる。自分が人道的と思っていながら差別的な恫喝を叫ぶあたり本当に救いようがないなあと思う。
Re:福島差別と言って放射能被害を隠蔽する人々(Re:福島というだけで差別をする人間に対して (スコア:1)
ソ連は、チェルノブィリ事故の直後に、周辺の町の十数万の住民を強制疎開させ、最終的に四十万の住民が疎開させられました。 [japanese-page.kiev.ua]
これに近いような対応を、日本政府や福島県が取っていれば、文句は少なかったと思いますよ。しかし、できなかった。というより、日本の官僚システムに起因する問題から、やらなかった。
当時の内閣は、強制疎開も視野に入れた動きをしていましたが、霞が関や福島県庁の側は半ばサボタージュをして、放射能被害を見て見ぬふりしていた。と言うのが、福島第一原発の初動であったと記憶しています。
私は、あの時の経緯をCIS諸国の事故後の対応と比較して、なんとも人を見殺しにしているなと思う訳ですよ。汚染隠蔽を唯々諾々と受け入れて立ち上がろうとすらしない、福島県民や宮城県民のありようも含めて、余りに情けない。
住んだ街や土地に拘って、汚染をなかったことにして、除染などというまやかしを用いて、実際には汚染を放置する動きを唯々諾々と受け入れ、社会や政治のケアもろくすっぽ無いままに野垂れ死なせることが、本当に、「人道的」なんですか?
汚染をなかったことにするのや過小評価して、ツケを専ら住民に支払わせたり、宮城県のように、汚染のあるないに拘らず、被災地を積極的に大企業や海千山千の山師連中の植民地に組み換え、貧困以外の選択肢を奪うことの何処が、人道的なんですか?
汚染をきちんと諸外国の前例に基づいて評価し、汚染から人を排除し、汚染の恐怖から解放する事こそが、人道的であって、その事を差別と言い換えることの不道徳さこそが非人道的そのものではないのですか?
と言う話です、私がしてるのは。