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「知識の外部記憶化」なんてご大層な単語を上げている人もいるけど、これは昔からあったことで、文字と書籍の時代には「詰ん読」と呼ばれていたものです。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
一方(フレームの元:-1) (スコア:1, 興味深い)
ということになっていそうで恐いんだが。
自分で考えることを放棄し、「ぐぐればなんでも答が見つかる」と思ってる
人のなんと多い事よ。
#そしてそういう人に限って、スパゲッティプログラム製造機だったりする罠。orz
Re:逆もまた真なり? (スコア:3, 興味深い)
むしろ、知識の外部記憶化に成功した結果、
情報の取捨、論理の組み立てなど知能の強化に集中できるかもしれないと思えます。
知識を埋め込むことが教育と思われていた時代ではなくなったわけで、
教育のリソースやテストの質も、記憶することから思考することへ重心をおけそう。
#AIの進化で知能の外部化もそのうち可能になるのかもしれませんけど。
#ある事象の結論を簡単にググれるほど検索が進化していない今だからこそ
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
知識が外部記憶化されることを前提としたコンパクトなオツムにならないか不安です。
よく考えるためには脳みそに知識を詰め込む技術というか、思考を組み立てるための部品を
脳内に大量に展開する能力も必要だと思います。
外部化がイカンってんじゃなくて、どっちか一辺倒にならないように気をつけるべきかと。
Re:逆もまた真なり? (スコア:2)
「知識の外部記憶化」なんてご大層な単語を上げている人もいるけど、これは昔からあった
ことで、文字と書籍の時代には「詰ん読」と呼ばれていたものです。
>>よく考えるためには脳みそに知識を詰め込む技術というか、思考を組み立てる
>>ための部品を脳内に大量に展開する能力も必要だと思います。
「詰ん読」がなぜいけないのかは説明するまでもないでしょう。多くの本を買って詰んで
あるだけで満足する人は全く成長せず、いつまでも初心者のままでした。これは今も昔も
変わりません。変わったのは道具だけ。
「ぐぐる」ことは、まるで全ての人が膨大な百科事典を個人所有できるような環境を
実現したけれど、ほとんどの人は「詰ん読」だけで満足し、それを理解し、利用できる
ようにはなっていません。
以前であれば、「詰ん読専門の人は、簡単な内容を質問しても答えられない」という
ことで、初心者にも容易に区別できました。しかし今では質問に答えるだけなら
「詰ん読」専門の人でも「ぐぐる」ことで答を得ることができます。そしてその答
のほとんどは正しいでしょう。つまりは「参考書の丸写し」なのだから。これにより、
まるで膨大な知識をもっているかのように振る舞うことはできます。
ですが彼らは、その内容については全く理解していないし、その答が間違っていても
真実に辿り着く術も知らないし、類似の問題に対する答を得る方法も知らないのです。
さらには、自分にその能力が欠けていることにも気付いてない人が多いようです。
プログラミングで失敗が多いのも、そう考えると不思議ではありません。ネットに
転がっている「サンプルコード」は、ほとんど常に単なるサンプルに過ぎず、その
ままでは不完全です。ほとんどの場合に置いて、単なるサンプルを使えるコードに
書き換えていく作業が必要です。ですが、彼らにはそのコードを理解することも、
修整することも、適切に利用することもできないのです。
Re:逆もまた真なり? (スコア:1)