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アメリカ人には、イギリスやフランス、ドイツなどの人と比べて冒険を好む遺伝子を多く持つ人が多いと聞いたことがあるけど、それは影響しているんでしょうかね。 なんか期待される傾向と逆の政治スタイルになっているような気が・・・。 (アメリカ→自由主義万歳、西欧→社民主義)
> なんか期待される傾向と逆の政治スタイルになっているような気が・・・。
政治的な立場を表す「リベラル」「保守」が、どちらも、矛盾をはらんだ(あるいは、異なる立場を十把一絡げにまとめてしまった)ものだということだと思います。
経済的に自由、小さな政府、自己責任、というのはリベラルではなく保守の立場だとされていますが、経済的自由を使って、新しいアイディアに基づいた新しい産業を生み出したり起業したりというのは、冒険だと言えます。ところが、国の伝統や家族の価値を重んずる考え方も、リベラルではなく保守の立場だとされていますが、これは、文化
政治的立場としてのリベラルと保守は、言葉本来の意味での革新・保守とは関係ありません。
政治的立場としてのリベラルと保守は、国と人間のどちらを大切にするか、といった対立軸で見ると、比較的すっきり理解できると思います。
政治的立場としての保守は、国全体の利益を優先し、そのためなら個人の利益を犠牲にする傾向にあります。経済的自由・新しいアイディアに基づいた新しい産業・起業は、国の経済を富ませるので、奨励します。そのなかで、労働者が過酷な環境で働かされようが、競争に負けた起業家が悲惨なことになろうが、それは国を富ませるという目的から見れば、たいしたことはありません。また、日本について言えば、伝統的価値観といえば、目上の者を敬ったり、物を大切にしたりといったことが挙げられますが、そういう価値観が生きていれば社会は安定して犯罪も減りますし、トップダウンでおこなう企業活動もやりやすく、ひいては国が富みます。その中で労働者が上司から不条理な命令を受けていようが、そんなことは国が富むことに比べればたいしたことありません。
一方、政治的立場としてのリベラルは、その逆です。国は、人がよりよく生きるための道具にすぎません。人を富ませるという目的のために、道具はしっかりしている必要はありますが、道具自身を富ませるなんてことはおかしい。だから国は社会保障などで人の生活の面倒を手厚く見るべきだし、人をしばる伝統は敵視します。その結果国の経済が傾こうが、人が最低限の生活を送ることに比べれば、たいしたことありません。また、人の生活を支える道具としての国を追究した結果、逆に国が強大な権力を持って人を抑圧するなんてことが現実の社会主義国では起こってしまい、理念はともかく実践的には失敗してますね。
またこういうでたらめを…
米国のリバタリアンを見よ
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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
冒険を好む遺伝子 (スコア:1)
アメリカ人には、イギリスやフランス、ドイツなどの人と比べて冒険を好む遺伝子を多く持つ人が多いと聞いたことがあるけど、それは影響しているんでしょうかね。
なんか期待される傾向と逆の政治スタイルになっているような気が・・・。
(アメリカ→自由主義万歳、西欧→社民主義)
Re: (スコア:1)
> なんか期待される傾向と逆の政治スタイルになっているような気が・・・。
政治的な立場を表す「リベラル」「保守」が、どちらも、矛盾をはらんだ(あるいは、異なる立場を十把一絡げにまとめてしまった)ものだということだと思います。
経済的に自由、小さな政府、自己責任、というのはリベラルではなく保守の立場だとされていますが、
経済的自由を使って、新しいアイディアに基づいた新しい産業を生み出したり起業したりというのは、冒険だと言えます。
ところが、国の伝統や家族の価値を重んずる考え方も、リベラルではなく保守の立場だとされていますが、
これは、文化
Re:冒険を好む遺伝子 (スコア:0)
政治的立場としてのリベラルと保守は、言葉本来の意味での革新・保守とは関係ありません。
政治的立場としてのリベラルと保守は、国と人間のどちらを大切にするか、
といった対立軸で見ると、比較的すっきり理解できると思います。
政治的立場としての保守は、国全体の利益を優先し、そのためなら個人の利益を犠牲にする傾向にあります。
経済的自由・新しいアイディアに基づいた新しい産業・起業は、国の経済を富ませるので、奨励します。
そのなかで、労働者が過酷な環境で働かされようが、競争に負けた起業家が悲惨なことになろうが、
それは国を富ませるという目的から見れば、たいしたことはありません。
また、日本について言えば、伝統的価値観といえば、目上の者を敬ったり、物を大切にしたりといった
ことが挙げられますが、そういう価値観が生きていれば社会は安定して犯罪も減りますし、トップダウンで
おこなう企業活動もやりやすく、ひいては国が富みます。その中で労働者が上司から不条理な命令を
受けていようが、そんなことは国が富むことに比べればたいしたことありません。
一方、政治的立場としてのリベラルは、その逆です。国は、人がよりよく生きるための道具にすぎません。
人を富ませるという目的のために、道具はしっかりしている必要はありますが、道具自身を富ませるなんて
ことはおかしい。だから国は社会保障などで人の生活の面倒を手厚く見るべきだし、人をしばる伝統は
敵視します。その結果国の経済が傾こうが、人が最低限の生活を送ることに比べれば、たいしたことありません。
また、人の生活を支える道具としての国を追究した結果、逆に国が強大な権力を持って人を抑圧するなんて
ことが現実の社会主義国では起こってしまい、理念はともかく実践的には失敗してますね。
Re: (スコア:0)
またこういうでたらめを…
米国のリバタリアンを見よ