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導入部で自然科学の歴史やら、科学をどう考えるかといった章があることが多いですね。で、今でもアメリカ社会ではキリスト教の影響が強いとわかります。。
ちょうど、リサ・ランドール著『宇宙の扉をノックする』を読んでるけど、六分立てのうち第一部はキリスト教と科学について論じてますが、極めつけは、第三章で一例としてあげられる自然を理解するのに自然学ではなくキリスト教の教義を持ち出す「分子生物学の専門教育を受けた」青年俳優でしょう。その青年俳優は、「科学と科学的手法を教える学校を開きたい」という一方、人間の祖先はアダムであってサルではない」、「科学
> ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
むしろ
> 人間の祖先はアダムであってサルではない
これは宗教的思考ではなく疑似科学的思考と言うべきものですし
> 科学も論理も人間の思考の整理法でしかない
こちらは全くその通りで、もし「科学や論理は人間の思考の整理法以上のものである」と主張するのであれば、まさに宗教になってしまいます
要するに、「神が人間を作った」といった文句を形而下で捉えてしまうお頭の弱さは甲乙つけがたいということですね
>ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
創造論者や例に出てくる青年など多くの人は、超越的ではないものも当然宗教の範囲に含むと信じているでしょう。
昔はそっちが普通だったのではないかな。
そもそもそっちのほうが自然です。それとこれとは話が別、と言う制限をつけるのは不自然な話。特に必要でもない時にそれをやると、簡単にダブルスタンダートになってしまいます。
ただ現代は、超越的ではないものの解釈には、科学のほうがよほど信頼できるという話が広まっているので、特に必要があって、それはそれこれはこれ、といわざるを得なくなっている状況でしょう。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
アメリカの科学者の書いた本を読むと (スコア:2)
導入部で自然科学の歴史やら、科学をどう考えるかといった章があることが多いですね。
で、今でもアメリカ社会ではキリスト教の影響が強いとわかります。。
ちょうど、リサ・ランドール著『宇宙の扉をノックする』を読んでるけど、六分立てのうち第一部はキリスト教と科学について論じてますが、極めつけは、第三章で一例としてあげられる自然を理解するのに自然学ではなくキリスト教の教義を持ち出す「分子生物学の専門教育を受けた」青年俳優でしょう。
その青年俳優は、「科学と科学的手法を教える学校を開きたい」という一方、人間の祖先はアダムであってサルではない」、「科学
Re: (スコア:0, 興味深い)
> ランドールは、宗教と科学は適用する対象が違うし、このような宗教的思考と科学的思考は両立しないとも書いてますが。
ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
むしろ
> 人間の祖先はアダムであってサルではない
これは宗教的思考ではなく疑似科学的思考と言うべきものですし
> 科学も論理も人間の思考の整理法でしかない
こちらは全くその通りで、もし「科学や論理は人間の思考の整理法以上のものである」と主張するのであれば、まさに宗教になってしまいます
要するに、「神が人間を作った」といった文句を形而下で捉えてしまうお頭の弱さは甲乙つけがたいということですね
Re:アメリカの科学者の書いた本を読むと (スコア:0)
>ランドールの文を読んだことがないのですが、一般的に宗教は超越的なものを対象としますから、科学とは問題なく両立できます。
創造論者や例に出てくる青年など多くの人は、
超越的ではないものも当然宗教の範囲に含むと信じているでしょう。
昔はそっちが普通だったのではないかな。
そもそもそっちのほうが自然です。
それとこれとは話が別、と言う制限をつけるのは不自然な話。
特に必要でもない時にそれをやると、簡単にダブルスタンダートになってしまいます。
ただ現代は、超越的ではないものの解釈には、
科学のほうがよほど信頼できるという話が広まっているので、
特に必要があって、それはそれこれはこれ、といわざるを得なくなっている状況でしょう。