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何が無慈悲で何が慈悲深いかなんて、一概に決め付けられるのでしょうか?
「本論文で使用する『無慈悲』『慈悲深い』と言う用語の定義は下記の通りとする」 と一言書いておけばOKかと。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
無慈悲と慈悲の境界って外から見て分かるのかな? (スコア:1, すばらしい洞察)
慈悲深いがゆえに、一見すると無慈悲とも思えることをする事だってあるでしょうに。
・何もできない無力感がゆえに、ただ、黙って見ていることしかできないこともある。
・死を前にして、ものすごく悲しいのに、つらいのに、みんなと同じ様に泣くこともできず、顔面が凍りつく。何も感じていないかの様に。
・愛するものを奪われたときを想像すると、奪ったやつを冷酷に殺してしまうことまで容易に想像できる。
・昔、愛した娘さんよ、最後に君を突き放したのは、もう二度とつらい思いはさせたくなかったから。
・我が妻、親兄妹×2よ、無関心なふりをしてはいるけど、とても愛していますよ。
でも、本当に自分が慈悲深いのか、無慈悲なのか、愛してもいいのか、愛されていいのか・・・
Re:無慈悲と慈悲の境界って外から見て分かるのかな? (スコア:2, すばらしい洞察)
「本論文で使用する『無慈悲』『慈悲深い』と言う用語の定義は下記の通りとする」
と一言書いておけばOKかと。