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変なところにコメントつけてすみません。。。
その昔、大学(の基礎科目)で「高校で教えられた化学の結合は正確なものではない」と言われ確率論と波動関数の説明をされたところで私の化学人生は残念ながら終わってしまった
あなたは私ですか(笑)。波動関数が何かの説明もそこそこに計算から入っていってしまって訳分からないまま化学人生が終わってしまう場面が瞼の裏にとてもリアルに映し出されます。量子力学の導入って、それまで高校で習ってきた物理の概念、人生経験のすべてを完全にひっくり返されるものすごい大事件のはずなのに、化学屋さんはなぜあんなにスラリと流して「受け入れるべきもの、
そこを通過できるのって、意味もわかるしそれの数式での表現もわかる、もしくは意味なんぞ気にせず数式だけ機械的に解くことに耐えられる、という人なんじゃなかろうか。意味を気にしはするけど、それと数式の対応が理解できない人はそこで躓く、とか。#自分のこと。
もしくは意味なんぞ気にせず数式だけ機械的に解くことに耐えられる、という人なんじゃなかろうか。
なんてネガティブな表現なんだ。
実際、言わせてもらえば、新しい概念を稚拙なりでも理解して受け入れて進むことが出来る能力が求められます。ようするに適応力。すべてを理解しないと一歩も進めないようだと、世の中何も出来ません。学問もそう。むしろ、全体のごく一部だけを理解して進めなくてはいけないのが、学問なり社会の実情です。
理解の程度が低くてもその範囲内で理解して、嘘でもインチキでも自分なりにかみ砕いて理解して、そして次の理解のステップを積み重ねていくのが大切です。理解、学習、研究とは取捨選択の積み重ねです。その取捨選択の「選び方」がその人の才能なりセンスだと思ってます。捨て方が大切。理解の段階を進めるにはこれが必ず求められます。
中学・高校までの学習は良くも悪くも初等教育として考え抜かれたステップバイステップでの学習なので、そういう適応力が求められることはありませんがね。その意味で、中学・高校の学習のルーチンに染まりきってしまうとなかなか大学教育や実際の学問の荒波に耐えられなくなる。もっとも、耐える必要もありませんが。耐えたい人だけが耐えれば良い。それが大学での学問。
とにかく、「これはもっと難しいことなんだ、もっと深い概念なんだ」「だから判るまで進めない」と一歩も進めないのが一番最悪です。壁にぶち当たったときに壁を突破する方法は一つではありません。とりあえず先に進む事が出来るのも重要な才能です。
学習の過程においてはそいう判らないけど進むというストレスが常につきまといます。自分の学習の方向性が間違っているかもしれないというストレス。有限の時間で成果を上げなくてはいけないストレス。
無論、目的と好みに応じて必要とする理解の段階が異なりますし、大学でしたら教育の過程で求められる理解のレベルと目的と自分の目的が合致してないことも多々あると思います。そして、研究室でも指導教官との目的意識の差なども。
とにかく、手持ちの札で最高の仕事をしましょう。それしかありません。壁に対して正面から突破できないのならば、別の方向から壁を越えるべきですし、振り返ればあとで判るようになります。山に登る理由もが分からなくても、理由も無く機械的に何度も山を登っていればそのうちに山に登るのにも慣れて、視野が広がって山の景色のすばらしさに気がつくことも出来るようになります。山に登る理由を考えるのはその後でも良いのです。
わからなくてもとりあえず進んでみて振り返って眺めると理解できるってこともあるのでその時点で完璧にわからなくても次に進んでみるのも大切だと思う。
そこを通過できるのって、意味もわかるしそれの数式での表現もわかる、もしくは意味なんぞ気にせず数式だけ機械的に解くことに耐えられる、という人なんじゃなかろうか。
小学校の、分数の割り算の計算を思い出してみてください。自分は後者だったから躓かなかったなあ。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
波動関数(おふとぴ) (スコア:5, 興味深い)
変なところにコメントつけてすみません。。。
あなたは私ですか(笑)。
波動関数が何かの説明もそこそこに計算から入っていってしまって
訳分からないまま化学人生が終わってしまう場面が瞼の裏にとてもリアルに映し出されます。
量子力学の導入って、それまで高校で習ってきた物理の概念、人生経験のすべてを
完全にひっくり返されるものすごい大事件のはずなのに、
化学屋さんはなぜあんなにスラリと流して「受け入れるべきもの、
Re:波動関数(おふとぴ) (スコア:0)
そこを通過できるのって、意味もわかるしそれの数式での表現もわかる、もしくは意味なんぞ気にせず数式だけ機械的に解くことに耐えられる、という人なんじゃなかろうか。
意味を気にしはするけど、それと数式の対応が理解できない人はそこで躓く、とか。
#自分のこと。
Re:波動関数(おふとぴ) (スコア:1)
なんてネガティブな表現なんだ。
実際、言わせてもらえば、新しい概念を稚拙なりでも理解して受け入れて進むことが出来る能力が求められます。ようするに適応力。すべてを理解しないと一歩も進めないようだと、世の中何も出来ません。学問もそう。むしろ、全体のごく一部だけを理解して進めなくてはいけないのが、学問なり社会の実情です。
理解の程度が低くてもその範囲内で理解して、嘘でもインチキでも自分なりにかみ砕いて理解して、そして次の理解のステップを積み重ねていくのが大切です。理解、学習、研究とは取捨選択の積み重ねです。その取捨選択の「選び方」がその人の才能なりセンスだと思ってます。
捨て方が大切。理解の段階を進めるにはこれが必ず求められます。
中学・高校までの学習は良くも悪くも初等教育として考え抜かれたステップバイステップでの学習なので、そういう適応力が求められることはありませんがね。その意味で、中学・高校の学習のルーチンに染まりきってしまうとなかなか大学教育や実際の学問の荒波に耐えられなくなる。もっとも、耐える必要もありませんが。耐えたい人だけが耐えれば良い。それが大学での学問。
とにかく、「これはもっと難しいことなんだ、もっと深い概念なんだ」「だから判るまで進めない」と一歩も進めないのが一番最悪です。壁にぶち当たったときに壁を突破する方法は一つではありません。とりあえず先に進む事が出来るのも重要な才能です。
学習の過程においてはそいう判らないけど進むというストレスが常につきまといます。自分の学習の方向性が間違っているかもしれないというストレス。有限の時間で成果を上げなくてはいけないストレス。
無論、目的と好みに応じて必要とする理解の段階が異なりますし、大学でしたら教育の過程で求められる理解のレベルと目的と自分の目的が合致してないことも多々あると思います。そして、研究室でも指導教官との目的意識の差なども。
とにかく、手持ちの札で最高の仕事をしましょう。それしかありません。壁に対して正面から突破できないのならば、別の方向から壁を越えるべきですし、振り返ればあとで判るようになります。山に登る理由もが分からなくても、理由も無く機械的に何度も山を登っていればそのうちに山に登るのにも慣れて、視野が広がって山の景色のすばらしさに気がつくことも出来るようになります。山に登る理由を考えるのはその後でも良いのです。
Re: (スコア:0)
わからなくてもとりあえず進んでみて
振り返って眺めると理解できるってこともあるので
その時点で完璧にわからなくても次に進んでみるのも大切だと思う。
Re: (スコア:0)
そこを通過できるのって、意味もわかるしそれの数式での表現もわかる、もしくは意味なんぞ気にせず数式だけ機械的に解くことに耐えられる、という人なんじゃなかろうか。
小学校の、分数の割り算の計算を思い出してみてください。
自分は後者だったから躓かなかったなあ。