
豊洲土壌汚染問題の根底にある「ゼロリスク信仰」 206
どこに落ち着くのか 部門より
小池知事が豊洲市場の安全性に疑問を呈したことで市場の移転が延期されたままになっている築地移転問題について、産業技術総合研究所名誉フェローの中西準子氏が書いた『築地移転問題が改めて示した「ゼロリスク」の呪縛』という記事がWedge Infinityに掲載された(Wedge Infinity)。
この記事では、豊洲市場をめぐる報道で盛り土問題をめぐって地下水の水質が分析され、環境基準値を超えるかどうかがしばしば問題視されたため(過去のストーリー)、多くの人が豊洲では地下水を使うと勘違いしたのが混乱の原因となったと説明。さらに土壌中にヒ素やベンゼンが高濃度で見つかったと報道されたことで(maiaの日記)、わけもわからない多くの人が抱く健康リスク不安に拍車をかけることになった。
しかしながら土壌対策汚染法の概要によれば、汚染された土地を再利用する場合、摂取経路が遮断され、きちんと健康リスクの管理さえされていればよい。豊洲市場では地下水を一切使用しないので、法律上は飛散防止だけでよく、地下水の水質を測定する義務もない。また豊洲市場の地下から汚染物質を取り除くことは環境リスクを増すことにほかならない。筆者は豊洲問題の報道から「行政、市民、事業者、マスメディアのどの側にも、環境問題について健康リスクを評価し、そのリスクの大きさに応じて対策を決めるという態度がないと感じる」と書いている。
ただしこれは今に始まったことではなく、過去のBSE問題の全頭検査に始まり、福島県の帰還問題にもつながる話だという。中西氏は2013年9月に開かれた日本学術会議のシンポジウムで、「年間5ミリシーベルト以下の地区なら避難指示を解除すべし」という意見を出したそうだが、それは広島や長崎の研究で導き出されたものだという。多くの人に早く帰還してもらうためには、一定程度の放射線リスクを受容してもらう必要がある。しかしながら国を含めすべての関係者が混乱を引き起こすことを恐れるあまり、多くの人が自宅に帰還できない現実を作ってしまった。年間1ミリシーベルトという非科学的な数字を目指す国主導の除染活動をみた外国人研究者が半分呆れかえり「日本はお金があるから」と言って帰っていく実態を知れば、BSE問題で若齢牛も含む全頭検査をしなかった海外の考え方について、日本政府とは異なることも知り得よう。
ゼロリスクの問題なのか? (スコア:2, すばらしい洞察)
安全の問題は一般人には大概難しくて、自分自身で評価はできない。
従って、マスメディア・機関・学者のいずれかを信用しなければならない。
偶に安全だと言われていたものがそうでないか疑わしいと判明することがある。
特に重大なものは主要な機関全てが安全を保証していたものなので、彼らがその後安全だと太鼓判を押したところで、実際には安全ではなかった問題発覚直前と区別がつかない。
従って、各自の知識が不十分かつ多様な個別判断に依存せざるを得ない。
市場経済は市場・その参加者が自由な判断をすれば良くて、好き嫌いも当然含む。問題ない(福島含め)。
一方、合意形成の場合もいいかもしれないが、時間を掛けて合意をしてきたものが破壊され、決定不能の陥る。誰も望まない状態を維持・選択することになってしまう。
一部の人は、何らかの効果を求めその行為を用い、不安を煽る。
別にゼロリスクを望んでいるわけではなく、信頼できる安全の保証を求めているだけではないか。
本来はなんでも情報を開示・提供すれば理想的な結果に近づくはずですが、それでは済まない場合もあるということでしょうか。
Re:ゼロリスクの問題なのか? (スコア:2, すばらしい洞察)
いつからか、何が原因かは知りませんが、異常に権威や専門家を軽視する傾向があるのが原因だと思いますけどね。
両論併記とかいいますけど、併記するのは同じだけの信頼性のバックグラウンドがある意見だけでよくて、専門家が連名でエビデンスとともに示した意見書と武田邦彦の意見は併記しなくてもいいんです。
それなのに、にわかの野良専門家気取りの意見も、東大教授の意見と対等だと思う人が後を絶たない。
まぁ、タレントのコメンテーターの意見をありがたく聞くのも根は同じ問題じゃないかと。