2115年の世界ではどんな言語が話されているか 152
ストーリー by headless
言語 部門より
言語 部門より
人類の歴史ではさまざまな言語が生まれ、消えていった。重要性によって発展や衰退が繰り返され、他の地域に広がっていったものもある。100年後の世界では、どのような言語が話されているのだろうか(The Wall Street Journalの記事、
本家/.)。
SFではすべての地球人が単一の言語を使用する世界を描くことも多い。そのため、現在広く使われている英語が将来的に他のすべての言語を絶滅させてしまうのではないかと心配する人もいるが、それは早まった結論だという。英語が広く使われているといっても、英語圏の人以外は日常の行動範囲では現地の言葉を使っており、それを超えた交流が必要な場合に英語を使うに過ぎない。国や文化の多様性が失われない限り、そこで使われる言語もなくなることはないとのこと。ただし、100年後の世界で使われる言語の種類は現在よりも大幅に少なくなり、単純化されていることが予想される。現在はおよそ6,000ある言語が、2115年には600程度に減少している可能性があるという。日本語は残っているとみられるが、使う人々が少ない言語は消滅してしまう可能性がある。ただし、将来はさまざまな言語の「最適化」されたバージョンが生まれ、かなりの多様性が残りつつ、言語の多くが現在よりも学習しやすくなっているだろうとのことだ。
SFではすべての地球人が単一の言語を使用する世界を描くことも多い。そのため、現在広く使われている英語が将来的に他のすべての言語を絶滅させてしまうのではないかと心配する人もいるが、それは早まった結論だという。英語が広く使われているといっても、英語圏の人以外は日常の行動範囲では現地の言葉を使っており、それを超えた交流が必要な場合に英語を使うに過ぎない。国や文化の多様性が失われない限り、そこで使われる言語もなくなることはないとのこと。ただし、100年後の世界で使われる言語の種類は現在よりも大幅に少なくなり、単純化されていることが予想される。現在はおよそ6,000ある言語が、2115年には600程度に減少している可能性があるという。日本語は残っているとみられるが、使う人々が少ない言語は消滅してしまう可能性がある。ただし、将来はさまざまな言語の「最適化」されたバージョンが生まれ、かなりの多様性が残りつつ、言語の多くが現在よりも学習しやすくなっているだろうとのことだ。
言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:2)
例えば日本語では雨や雲、雪、月など自然のものを表す言葉が他言語より多いと聞きます。遊牧の歴史が長いモンゴルでは馬を表す言葉が実に多様だという話も。
普段の暮らしの中で必要があるから表現が生まれてくるのでしょう。科学技術の進歩などによって生活しやすい環境が広く普及するにつれ、生活環境が均一化する。
すると各地固有の状況を気にする必要も減って表現の対象とはならなくなり、言葉の選択基準が「より広く話される言語」という点に収束していくのではないでしょうか。
危機に瀕する言語 [wikipedia.org]によると100万程度の話者を持つ言語は今後100年は残るとあるので日本語も残りそうですが、タレコミにある様に表現はより単純化していそうな気もします。
逆に今からは想像もできないような分野で詳細な表現力を獲得している可能性もありますね。
#例えばこんなの [naver.jp]とか...うーむ、我ながら例が微妙だなぁ。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:3)
昨日TVで見た話だけど、フランスの化粧品メーカーた日本人のテスターを使っている理由が、使用感を表す言葉が豊富だからだとかなんとか。
どういう言葉かっていうと、
すべすべ、もちもち、しっとり 等の言葉。
そのくらいの言葉も無いあちらの感覚ってなんだかよくわかりませんな。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
擬態語が日本語には多く使われています。
それぞれの擬態語について、非日本語話者にはその概念というか感触的なものが、かなり理解しづらいという話です。
(英会話で言葉が出てこなくて、擬態語・擬音語とボディランゲージで説明しようとして、全く通じなかった経験あり。)
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
たとえば「雪の多い地域の言語は、雪の状態を表現する単語が20以上ある」と、どこかで読み齧った覚えがあります
理解できる人にとっては単語一つで、雪の形状、温度、質量、全体量、等々を伝えられる効率の良い言語だけども
雪を知らない地域の人に、その意味全てを伝えるには、翻訳とは別のジャンルの作業が必要なんじゃないかな
#壮大なストーリ。空転するアイディア。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
>たとえば「雪の多い地域の言語は、雪の状態を表現する単語が20以上ある」と、どこかで読み齧った覚えがあります
たぶん、中谷宇吉郎の「雪」だ。
つ青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/52468_49669.html [aozora.gr.jp]
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
同じく青空文庫の『津軽』(太宰治) [aozora.gr.jp]冒頭には
津軽の雪
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
(東奥年鑑より)
ついでに、先人の事績を顕彰する『北越雪譜 [i-apple.jp]』のテクスト電子化も楽しみ。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
でしょうねえ。
冬季降雪期の除雪がほぼ日課な身にはリアルな感覚で共感できるのだけど。
雪かきしないまでも1シーズン徒歩でアウトドアを歩くとそれでも実感できるし、
寒気の緩んでいる日であればゲジャゲジャ雪というオプションもついてくる。
// 屋根の雪降ろしでかた雪/ざらめ雪/こほり雪を身に浴びる人・埋もれる人の事故も季節のイベント扱い。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:2, すばらしい洞察)
>表現はより単純化
肯定的な比ゆ表現が「かわいい」「やばい」に収斂しているように、ですか?
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
(わたし自身は上記2例ともども使わないけど)
ネ申
も追加した方がいいと思います。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
全部「ヤバい」で表現可能です。
# ニュースピークってこんな感じかw
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
いい身分になって女をひっかけるときは
こもよみこもちふくしもよみぶくしもち
くらいは言えないと差別化できないだろう、という検討事項は依然残るのでしょうか?
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:1)
女をひっかけるのははやみもこみち、まで読んだ。
Re:言語というより環境が均一化していくのでは (スコア:2)
意味のない複雑さは消える方向、というのもありますね。
たとえば、日本語では動詞の活用の種類(五段活用、上一段活用、カ行変格活用、など)が減る方向にあります。
いわゆる「ら抜き言葉」もその流れの一環と捉えることもできます。
意味がないわけではないのです。元々はきちんと意味があった区別なのに、時代と共に、その区別が失われていったりした結果、一見「例外」に見える現象が発生するのです。
言語の文法は事前に設計されたものではないために、日常的な運用で、どうしても矛盾が生じてしまいます。その時に話者(集団)が無意識に矛盾を訂正しようとします。例えば「れる・られる」は「受け身」で、「える」は「可能」と使い分けた方が論理的だよね、と感じ、現在は可能を表す表現に「ら抜き言葉」が普及しつつあるのです。ところが、ある矛盾を解消すると、玉突き効果で別の矛盾が発生してしまいます。ちょうどタンスの引き出しを思い切り閉めると、別の引き出しが飛び出すようにです。これ(=「類推」)が言語が常に変化していく原因だと考えられています。
翻訳こんにゃく (スコア:2)
あと100年もしたら,自動翻訳が普通に実現していると思います
各自好きな言語を話し,あとはコンピュータが自動翻訳する世界です
自動翻訳はSFの世界では随分前からあったアイデアで
どらえもんの翻訳こんにゃくでさえ30年ぐらい前に登場した話です
しかし現在では
iPhoneのSiriのような音声認識(音声をテキストに変換している),
WindowsとかOS X付属の音声合成機能(テキストを音声に変換している)
excite とか googleのテキスト間の自動翻訳サービス
が既にあり,誰でも使える時代です
またボーカロイドのような音声を変化させる技術があるように,
今後は感情とかニュアンス的なものも合成&認識出来るようになるはずです
これらを組み合わせれば100年も待たなくても
スマホ的なデバイスで自動翻訳が実現されるように思います.
そうなると可能性の一つとしては,100年後の言語は
スマホ的なデバイスの存在が前提になっていて
それらデバイスに最適化された言語に変化しているかも知れません.
たとえば,デバイスに認識されやすい単語や言い回しがよく利用され,
認識されにくい物はどんどん廃れていく感じです
自動翻訳の限界 (スコア:2)
「状況を読む」能力が求められます。
たとえば私がよく例にするのは、
1. I'll take care of him.
2. 女性があなたに "Would you go out with me?"
3. Open the window
これらは翻訳を行う何かが発言者が持っている知識と、現在おかれた状況を正確に共有しないと、文法こそ中学レベルですが、
正確に訳すことはできません。なので「自動翻訳機なんて100年たっても無理なんだよ。今すぐ勉強しようよ」と説明してます。
翻訳機が我々の知識や思念を読み取れるならあなたの言語を理解しない外国人に自分の思念を伝えるのは出来るでしょうけど、ここにはもはや「翻訳」の過程は入りません。
Re:自動翻訳の限界 (スコア:2)
何で例文が全部英語なんだ?日本語でいいじゃん。
例えば「押すなよ、絶対押すなよ!」とか。
Re:自動翻訳の限界 (スコア:3)
でもそれも結局は嫌は嫌と訳すべきで、嫌を好きと訳すべきではないケースでしかない。
その通りだと思います。(現状の)自動翻訳の場合は “take care of him” も「彼の面倒を見る」とだけ訳せば良い。「彼を消す」とか「彼を殺る」という転義はコンテキストを理解しいてる人間ならば自ずから導き出せるはずなので、(現状では)コンテキスト判断は人間に任すべきです。怖いのは自動翻訳が勝手に話者の意図を忖度して「彼を消す」とか(誤)訳してしまう場合です。これは、利用者は誤訳なのか正しいのか運用時には判断できません。だから、自動翻訳は「直訳」だと割切って使うべきだし、それ以上を(当面は)すべきではないと考えます。(Google 翻訳が使い物にならないのは、直訳に徹せず、実力もないのに中途半端に意訳しようとしてしまっているからです。)
「当面は」と書いたのは、将来(30年後か、100年後か、200年後か?)自動翻訳の能力が十分高性能になって、コンテキストもきちんと理解した上で翻訳できるようになった場合には、その時にはやはり自然な訳の方がいいに決まっているからです。
元コメの例文もそう。通訳は直訳すればいいだけ。
「通訳」の場合には多いに異論があります。私は通訳の経験があります。(英語ではありません。)同時通訳もこなします。政財界の要人の通訳や外交交渉の通訳も務めていました。なぜ過去形で話すかというと、現在は、公的機関の通訳依頼は全て競争入札が義務付けられるようになったので、仕事が入らなくなってしまっているからです。現在の通訳の競争入札の仕組みでは「A氏はベテランで非常に優秀だが、その分、料金が高い。B氏は素人だけれども料金が安い」といった状況の場合「では、この通訳は重要だから高くてもベテランのA氏に頼むことにしよう」とは絶対になりません。1日5万円とか8万円の通訳と1日5千の通訳の候補がいた場合には 100 % 5千円の通訳に決まります。「通訳の能力は全て同じだ」という前提の上に成り立っている制度です。
(国賓を迎えた晩餐会の場合、東京での宮中晩餐会の場合も仕出し業者は競争入札になるので、一番安い業者に自動的に決まってしまい、国賓に「一番美味しい料理を食べてもらうことができない」仕組みになっているそうです。これは絶対におかしいよ、と某副大臣が怒り狂っておりました。)
なお、ついでに一般に知られていないことをバラしてしまいますが(別に国家機密ではありません。単に知られていないだけです)。外国から賓客が来日した場合、慣例として「天皇」・「首相」・「外相」の通訳は外務省の外交官が通訳に当たります。原則として民間人は通訳ができません。外務省という役所のメンツの問題のようです。財務大臣とか、他の大臣、経団連等の財界の要人等の通訳は、外務省が通訳を手配する外郭団体を介して民間人の通訳を雇います。これまた外務省のメンツの問題なので、他の役所や民間の要人の通訳には外務省の外交官は派遣しないのです。身分が違う、というわけです。
ところが、外交官が通訳をすると何が問題かといえば、実は多くの場合、通訳がきちんとできないのです。プロじゃありませんから。(いや、実はプロだってだめなんです。サイマルのような有名な通訳派遣会社の英語の通訳がフリーズしてしまい、仕方なく、その場に居合わせた、英語が全くできない自分が助け船を出したことも何度もありました。)つまり、日本では天皇と首相と外相は、制度的に外国の要人ときちんとした意志疎通ができないようになっているということです。ですから、午前中に外相と会談し、昼食は財界人と一緒に取り、そこに外相も出席したりすることになると、外国の要人と日本の政府要人の間で「先ほど、これこれこういう話になりましたが...」と話の続きが始まると、「え? そんなことは言っていませんが?」となり、混乱することは日常茶飯事です。
経験的に日本の外交官は(と言うか、日本人のほとんどは)西洋人のジョークが理解できません。彼らはジョークの部分は黙って何も訳しません。何が面白いのか理解できないから、どう訳していいのかわからないからです。(ジョークを言った方は日本側の通訳が一切黙ったままなのでびっくりします。)私はジョークは即興で訳しますが、どうしても瞬時に訳せないジョークの場合には「すみません。今、こちらはジョークをおっしゃったのですが、日本語には訳せないジョークなので、申し訳ありませんが、笑ってやってください」と言います。そんなことを言うと日本側はドッと笑うので、外国人側はジョークが通じたと座が和みます。
このような人間と人間との通訳の場合には機械的な直訳はまずい場合があります。よくある場面ですが、外国人が日本人に(あるいは日本人が外国人に)お世辞を言おうとするのですが、それをそのまま訳すと相手の文化では侮辱に当たる場合が結構あるのです。(意味的にはそれでいいのですが、本当に例えば助詞の微妙な使い分けなどによって意味が正反対に取れるような場合がよくあるのです。)経験的に日本の通訳の 99 % は私情を入れずに通訳します。つまり機械的に通訳するのです。だからお世辞を言われた方は、最初は「なんで自分がそんなことを言われなきゃならないのだ?」と困惑します。お世辞を言っている方はニコニコしているのですが(だって相手を褒めているわけですから)、どうも相手の反応が芳しくない。そこで、どんどん褒めます。聞いている方は侮辱がどんどんエスカレートしていきます。だんだんと我満の限界に達します。困ったことに正式の会談の場合には、双方に専属の通訳が付きますので、こちらは、相手の通訳を聞きながら「あわわわわ...」と思っていても介入することはできません。また、通訳同士、相手のメンツを潰したくないということもあります。(通訳は原則として母語から異言語に行われます。理由は、訳す大本をきちんと理解していないと正確に訳せないからです。)侮辱され続け、我慢の限界に来た方が、ルールを破って「あの人は本当は何と言っているのか、あなたが訳してくれ!」と言われることがありますが、「実は、これこれ、こうおっしゃっています」と、相手がこの方を褒めていることが伝わるように訳すと、「なるほど。やっぱり。この人があんなことを言うはずがないんだからおかしいと思っていたよ」と納得されます。
通訳のやり方は、通訳によって色々考え方があると思いますが、私の方針は、元の文章が「どっちとも取れる」二義的なものならば、聞いている方にもはっきりと「どっちとも取れる」のだとわかるように訳します。元の発言者が教養がない場合には、その話者は教養がないのだとということが伝わるように訳し分けます。褒めているときには、褒めていることが、皮肉を言っているときには、皮肉を言っていることが伝わるように、すべてメリハリを効かせて訳すようにしています。一部の通訳の方からは「あの人は言葉通りに正確に訳していない」と批判されることもあります。逆に、クライアントの方からはあの人でないとダメだと頼られる場合も多々あります。
と言う分けで、機械翻訳と通訳は役割が違うので、通訳は直訳では済まされないという話でした。
Re:自動翻訳の限界 (スコア:1)
状況は人間に読ませればよくて機械は直訳すれば良い
Re:自動翻訳の限界 (スコア:1)
>直訳すれば良い
それは1970年代の議論。
セマンティクスが分からないと正確に訳せないことが分かり、
状況によっては正反対の訳になってしまうことが分かったため、
80~90年代、一次 人工知能・自動翻訳研究が停滞したことがあります。
Re:自動翻訳の限界 (スコア:1)
そうそう。
「ガゾバ ガマラガセット ヌンネリトレチッタ」は
「ガソのヌンナがマガラセってきやがったぜ」と訳すべきで
「彼の第12足の第3関節にある尖突部の先にある赤光器官がかすかに青みを帯びてきた、つまりヒトで言うところの”とても腹が立っておりじっとしていられない”という表現です」とSiriに喋られても時間が掛かって掛かって仕方ないですよね。
#そういう話じゃない
Re:自動翻訳の限界 (スコア:1)
激しく同意。
「実現すると思います!(きり)」と言ってる人って、プログラミング経験ないでしょ。
>>何で例文が全部英語なんだ?日本語でいいじゃん。
日本人にとって例外は韓国語だけかな。
日本語と韓国語なら文法が酷似しているから。
意味解析とか抜きで翻訳しても意味が通じるそうな。
あれならもうすぐ自動翻訳でなんとかなるかもしれない。
Re:自動翻訳の限界 (スコア:2)
モンゴル語も文法が日本語に非常によく似ています。それこそ逐語訳で済んでしまうくらい。
モンゴル語、トルコ語(アルタイ語族)、ハンガリー語、エストニア語、フィンランド語、サーミ語(ウラル語族)、朝鮮語(孤立言語)、日本語(日琉語族)等は類型論的に(系統論的にではありません!)非常によく酷似していますので、互いに習得は簡単です。
昔、北朝鮮のハンガリー大使館で文化担当官をしていた方に聞いた話ですが、ある北朝鮮の人が「日本語が帝国主義的だから嫌いだ」と言ったのだそうです。彼は「日本が帝国主義だというのならわかるが、日本語が帝国主義だというのはどういうことか?」と訊ね返したところ、その北朝鮮の人は「日本はかつて朝鮮を植民地化したときに朝鮮語を禁じて、日本語を強制した。しかし、日本語はあまりにも簡単過ぎたので、朝鮮人は皆、日本語を覚えてしまった。だから簡単な日本語は許せない」と答えたのだとか...。
ちなみに、日本人の英語下手は世界中の笑いものになっていますが、これははなはだ不公平です。英米人の話す日本語も日本人が話す英語程度に下手くそです。ただ、なぜか日本語が下手でも問題にはされない。それは現代が英語の世界支配の時代だからに過ぎません。
では、日本人は本当に外国語が下手かと言えば、そんなことはないのであって、例えば西洋の言語でも(周囲のドイツ人やフランス人たちからは「難し過ぎて、悪魔の言語だ!」と罵られている)ハンガリー語やフィンランド語などは、日本人はスイスイ覚えて、ハンガリー人たちからは「天才だ!」と絶賛されますし、同様に、日本人は西洋人は日本語が難しくて、下手だと信じているのですが、日本語を話すハンガリー人に遭遇すると「あなたは天才だ!」と感動します。実は、日本人もハンガリー人も天才なんかじゃないのです。言語が類型論的に同じなので、互いに超簡単なのに過ぎないのです。「ああ、イタリア人がスペイン語を学ぶって、こんな感じなのか」と理解できるようになります。(実際には日本語とハンガリー語は系統論的には繋がっていないので、イタリア人がスペイン語を学ぶよりは難しいのですが。)つまり、日本人は外国語を習得する能力がないのではなく、英語が類型論的に日本語からは遠過ぎて、習得するのが困難なだけなのですね。(ちなみに、類型論的には英語も中国語も同じ孤立語ですので、彼らは互いの言語を簡単に学習します。面白いことに英語も中国語も他の言語と比べると音韻論的に特殊で、他の言語にはない音がたくさん見られます。[ɹ] とか [ɚ] とか。どちらも基本的には単音節言語だし、イントネーション[声調]が意味の区別に重要な役割を果たしています。)
Re:自動翻訳の限界 (スコア:1)
日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2, 参考になる)
他界した祖父や祖母が話していた純粋な方言はすでに聞かなくなり
いまは地方に残る叔父や叔母が強く訛った言葉を話しています。
アラサー・アラフォーの従妹は地方で育ったためバイリンガルですが、訛りが軽く残り方言が理解できます。
それより若い親戚は地方で育っていて訛りは雰囲気しか再現できず、方言も理解できない状況です。
あくまで上記は東北に祖がある我が家の一例ですが、方言に限らず文化面でも急速な均一化を感じます。
純粋な方言(という表現は語弊があるかもしれませんが)を聞いた世代がいなくなると
軽い訛りや文化的な保護を除いて、一部メジャー以外が未来で残るのは難しいような気がします。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
関西だと、関西弁の中での大阪弁、神戸弁、京都弁といった細かな境界が薄れてきていて、
「関西共通語」と呼ばれる方言に変化してきていますね。
こんな研究結果もあります。
http://hdl.handle.net/11094/4150 [handle.net]
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:1)
共通化しているのは事実なのでしょうが、私の世代(30代)では、まだ一応多少の差異はありますね。
京都「きいひん」
大阪「けえへん」
神戸「こうへん」
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)を受け入れる障害になっているのだとしたら
言語学的には「正しい言葉」等と言うものは存在しません。「誤用法」すら存在しません。「規範文法」とか「学校文法」というものは「言語学」からはある意味、異質な存在です。理由は簡単。
① 言語は方言も含めてそれぞれが等価で完璧な体系である。
② 「文法」は現実に存在する言語現象から、能力に限界のある言語学者が「帰納的」に推論する「仮説」に過ぎない。
③ 言語はダイナミックに変化を続けていくので、帰納された文法もダイナミックに変化し続ける。
④ 帰納的に作られた文法(仮説)にそぐわない言語現象に遭遇した場合に、言語学者は、「現実」が間違っているという指摘はせず、その一見矛盾するように見える言語現象も包括できるように自分が仮定した文法の方を修正する。
ものだからです。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
ここで問題にしているのは「特定の言語が普遍的な価値を表現する能力を持っているかどうか」だから。
そんなことは不可能だと言うのが最初から言語学の結論ですから。
例えば、日本語の「ワニ」は英語では、crocodile、alligator、cayman、gavial と、少なくとも4つの単語と一致させられます。これは、「英語では、ワニに当たる動物を日本語のように“ワニ”と抽象的に捉える能力が欠けている」とも言えますし、「日本語には、crocodile、alligator、cayman、gavial を区別する能力が欠けている」とも言えます。つまり、言語の比較は常にプラスマイナス・ゼロになります。「長所」は同時に「短所」であり、「短所」は同時に「長所」なのです。
ちなみに、Google 翻訳が役に立たないのは、メタ言語(仲介言語)に英語を用いているからであり、文法的な機能を語順で表現する孤立語の英語は、単語自体が持っている情報量が非常に少ないため[=普遍的な価値を表現する能力を持っていないため]、英語を介してある言語から別の言語に翻訳するときに、可能性が無限に近く広がってしまうからです。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:1)
> 正しい言葉・価値観・文化(主に都市部から)
ちょっとさすがにそれは見逃せない発言ですね。大阪や名古屋等で使われている言葉を正しいと言っているようには思えないので、おそらく都市部というのは東京のことを言っているのでしょうが、都市部の言葉その他を「正しい」だなんてそんな大それたことをよくもまあ言えるもんです(まあ、それをやったのが明治政府を中心とした人たちなわけですが)。
東京なんて地方出身者の集まりみたいなもんですから、地方と言葉・価値観・文化が全く違って正しいということはなく、むしろ地方から輸入さえしている部分もあるのですよ。
もっと言えば「ローカルで一般的価値の乏しい文化(中略)受け入れる障害になっている」という仮定もよくわかりませんね。件の文化が一体何を指すのかわかりませんし、そもそも障害になるものかどうか。どちらかというと日本人は過去の例から新しいモノは柔軟に吸収しようとする方ですし、それは地方においても変わらないわけで。
まあ、方言がこの先生きのこるかどうかは確かにわからないところではあります。関西弁あたりなら残ってそうだけど、他は世代交代とともに薄れていくでしょうね。私自身、祖父母の言葉を聞く程度ならまだ大丈夫ですが、それよりも前の世代は厳しくなってきているので……。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:1)
東京の湾岸エリアでは、電線が地中化しているのと、比較的広い公園があるために、
今の時期は結構毎日親子で凧揚げしてるのを見られます。
一方、最近中核市となった市の外れで50年台の少年時代を過ごした私は子供のこと凧揚げしたことないですね。
周辺でもほとんど見かけませんでした。
なんていうか、こういうのは地域性が大きいので一概に言うのは難しそうです。
Re:日本の多様な方言は、100年後にどこまで残っているか (スコア:2)
祖父母世代同士の話す津軽弁は父母世代には半分程度しか、我々世代には断片的にしかわからない
1970年代の話です。ヨーロッパ留学中、津軽三味線の山田千里が突然やって来て、一介の学生の自分に「コンサートをやりたいので手伝ってくれ」と頼まれて慌てたことがありました。しかし、このとき、山田千里さんが話しかけてくる日本語(弘前の方でした)が、本当に一言もわかりませんでした。「本当に津軽弁って、何を言ってるかわからないんだ!」と感動しました。(専攻が言語学だったもので。)
祖父母世代同士の会話してるところに通りかかったフランス人留学生が、フランス語会話してると勘違いして会話に参加しようとして
でもちゃんと聞くとやっぱり津軽弁なので理解できずおろおろしてたw
1980年代の話です。外国のロックグループの通訳の仕事をしたときに、帰りが深夜になったので、レコード会社の方が自宅までタクシーで送ってくださいました。我々夫婦は後部座席で話しており、レコード会社の方は助手席に乗っていました。翌日、「いやぁ、あの後、運転手さんから、『後ろのお2人さん、何を話しているかさっぱりわかんなかったけど、津軽かどこかの方なんですかね?』って訊かれちゃったよ」と笑っておりました。運転手さんとは我々夫婦、双方とも普通に日本語でやりとりしていたので、運転手さんは彼とは我々は共通語で話し、自分たちの間では方言で話していたと誤解したようです。
マイクロチップを埋め込んで (スコア:2)
お正月なので初夢風にしてみました。
最近は象形文字の利用が増えたよね。 (スコア:2)
絵文字という形で。
これはITのおかげで書く手間がないからかな。
あと、近年の文字のコード化による管理は、誤字や脱字や自作等で新しい文字が広まるような発生を減らしたかもね。
ITで交流範囲が広まったおかげで方言や近い言語は統合されていくのだろうな。
あと、名詞や単語単位で外来語として他言語から流入されることで、異なる言語の文法だけど同じ単語を用いる場面も増えたね。
ITのおかげで名前空間が世界規模になったのだろうね。
大きく異なる文法はどうなんだろう・・・。最終的にはまじりあって一つになるのかな。
すべての地球人が単一の言語を使用する世界を描くことも多い (スコア:0)
それは単に http://srad.jp/story/14/12/22/1848240/ [srad.jp] の現象の表れでは。
地球どころか異星人や異世界人だって(申し訳程度に万能翻訳機や翻訳魔法が出てくるくらいで)同じ言葉話すし。人でないもの(ということになってるけど内面的には着ぐるみ/特殊メイクコスプレにすぎないもの)まで同じ言葉を話すことも珍しくないな。
一方プログラミング言語は (スコア:0)
プログラミング言語に関しては、統一される気配はないというか、
日替わりメニューのように新しいのがどんどん出てきますよね。
自然言語とは何が違ってるんでしょうね。
# バベルの塔を何度も作っては壊されてるのか…
Re:一方プログラミング言語は (スコア:1)
作るのも広めるのも遥かに簡単だからでしょう。
情報科学の偉大なる成果ですよ。
クソみたいな言語をぽんぽん作り捨てに出来る位、
言語の設計・製作のコストが下がったということなのですから。
Re:一方プログラミング言語は (スコア:1)
>自然言語だと、必須となる基本的な単語などが多くてそうは行かない。
スペイン語とポルトガル語なんて、相当容易に習得できますが。
まあ、VisualC を C の一部だと思うかどうかと同じで、「違う言語」の定義次第の気もします。
Re:一方プログラミング言語は (スコア:2)
それって自然言語における慣用句とかに近いんじゃないでしょうか。
(慣用句と言っちゃうと一般的な書き方のほうに話が言っちゃいそうですけど)
文化抜きに(自然)言語を語れないように、プログラミング言語もライブラリという文化抜きに文法や単語(予約後)だけ語っても不十分、というか。
Re:一方プログラミング言語は (スコア:1)
百年の言語 --- The Hundred-Year Language [practical-scheme.net]
Re:一方プログラミング言語は (スコア:1)
>自然言語とは何が違ってるんでしょうね。
一つあるのは、「会話相手に理解させる必要がどれだけあるか」の差ですかね。
プログラミング言語は真の会話相手である機械に分からせなきゃ意味がない存在ですが、自然言語は「俺の言うことが分からないなら帰れ」というシチュも有り得るのが大きな違いだと思います。
予想: 100年後に残る言語はたった一つ (スコア:0)
0111001101000110001011000011100110101101110011
# 人類?ああそんなものも居たね。
Re:予想: 100年後に残る言語はたった一つ (スコア:1)
化学物質によるやり取りになっているかも。
Re:予想: 100年後に残る言語はたった一つ (スコア:2)
VB6に進化するとか
Re:予想: 100年後に残る言語はたった一つ (スコア:1)
言語の拡散は退化の歴史。(音的に。)
母音と子音の数は、源流のアフリカ中央部ではすごく多いのだけど、日本語では母音が5,沖縄では4とも言われ、ミクロネシアかどこかの太平洋群島部では3にまで減少している。(子音も減少している。日本語の子音はかなり少ない方。)
これは、複数の言語が接触した結果、単純な方向に丸まったせいだとか言われているね。
だから、究極は母音が2個、もしかしたら1個かもしれない。(さすがにあり得なさそうだし、子音と組み合わさるから2値ではないが。)
では言語が退化したのかというと、そうではなく、複雑性は別の方法で担保している。
例えば日本語の場合、基本的に母音と子音を1個ずつのペアとし、組み合わせの長さを一定長に保つ。
つまり、1音を固定長とし、一定のクロックと同期せて高速に送信するという方法で高密度の伝送をしている。
これが中国語になると、周波数変調を採用して音の高低に意味を持たせている。
日本語でも音の高低(イントネーション)に意味があったが、これは徐々になくなりつつあるかもね。
方言がマスメディアにより混合した結果、音の高低よりも前後の文脈により意味を把握するようになった。
その結果、今度は単語の言い換えなどにより記号の衝突(同音異義語)を避ける方向に進化するだろうね。
というわけで、もし、将来、完全2値の言語になったとしても、超高速伝送にするなどで情報量は確保されるんでしょうね。
※2値言語(音声)を利用するようになるシチュエーションってどんなのだろね。
※S/Nが極端に悪い環境とかかねぇ…。でも周波数方向に多値化しそうだから、音声以外の通信かな。足踏み通信とか?
Re:予想: 100年後に残る言語はたった一つ (スコア:2)
言語の拡散は退化の歴史。(音的に。)
初耳です。どなたの主張ですか?
母音と子音の数は、源流のアフリカ中央部ではすごく多いのだけど、日本語では母音が5,沖縄では4とも言われ、ミクロネシアかどこかの太平洋群島部では3にまで減少している。(子音も減少している。日本語の子音はかなり少ない方。)
人類の源流はアフリカだとされていますが、現在地球上で話されている言語の起源は全くわかっておりません。
なお、言語学的に世界の言語の音素数が減少する傾向にある等と言う理論は寡聞にして聞いたことがありません。世界の言語を歴史的に追っていくと、音素の数は時代と共に増えたり、減ったりしています。類型論的にも膠着語から孤立語に、あるいは、屈折語に、さらに屈折語や孤立語から膠着語に、等のように、流転(循環)しているようです。
なお、日本語の音韻は開音節だと信じられていますが、それは日本語がモラ (mŏra)[拍]言語であり、ローマ字表記も開音節として記述されるからに過ぎず、現実に発音される日本語は /i/、/u/ 等の母音の無声化等が進行しており、実はスラヴ語並に子音連続のある言語になってしまっています。日本語がローマ字表記になれば、必ずや「発音通りに書いてみよう!」とする輩が登場し、あっと言う間に日本語が開音節言語であるという虚構は崩壊してしまうでしょう。現在の日本語は仮名文字を使うことによって、かろうじて、開音節言語であるという虚構が維持できているのです。
これは、複数の言語が接触した結果、単純な方向に丸まったせいだとか言われているね。
誰がそんなことを言っていますか? 確かに、(本当のことはわかりませんが)英語や中国語のように大量の異民族が流入してきた言語の場合は活用や曲用などの後尾や格変化形の差異が理解されず、本来屈折語や膠着語として形態素で文法的な機能を説明していたのが役に立たなくなり、後尾や活用形が捨て去られ、裸の単語を並べる語順によってのみ文法的な機能を表現するような言語(孤立語)になったという主張は聞いたことがあります。その主張は何となく説得力があるような気もしますので、そうかも知れないとは私も思いますが、これまた言語学的には証明された定説ではありません。
だから、究極は母音が2個、もしかしたら1個かもしれない。(さすがにあり得なさそうだし、子音と組み合わさるから2値ではないが。)
「普遍文法」的には母音はどの言語でも最低3つは必用であり、それらの母音は /a/、/i/、/u/ であるとされています。カフカス諸語に属するアブハズ語に母音が2つ (/a/、/ə/) しかない、いや母音は音素としては実は1つ (/ə/) しか存在せず、実際に発音される複数の母音は単に /ə/ の異音(ヴァリエーション)にしか過ぎないという主張もありますが、母音が1つ、ないし2つという言語の存在はにわかには信じられないという意見も強く、まだ決着は付いていません。いずれにせよ、この言語だけを除けば、世界の全ての言語は母音は3つ以上存在しています。(盧論上は、もし母音が2つしかない言語が存在するとすれば、弁別的特徴による対立から、それは /a/ と /i/ で、母音が1つの言語が存在するとすれば、それは /ə/ となると考えられます。)
で、この母音の数の多少は言語の進化とは全く無関係だと考えられています。時代によって増えたり、減ったりしています。
では言語が退化したのかというと、そうではなく、複雑性は別の方法で担保している。
言語は「変化」するだけで、「進化」も「退化」もしません。
例えば日本語の場合、基本的に母音と子音を1個ずつのペアとし、組み合わせの長さを一定長に保つ。
つまり、1音を固定長とし、一定のクロックと同期せて高速に送信するという方法で高密度の伝送をしている。
日本語は「モラ言語」(英語などは「音節言語」。フィンランド語やギリシア語はモラ言語)で、しかも子音の数が極端に少なく、かつ、必ず開音節にしなければならないという(無駄な)制限があるために、情報伝達の効率が悪くなります。さらに、文法を論理的な部品(形態素)の組み合わせで表現するという「膠着語」であるために、さらに非効率になっています。(例えば孤立語である英語の must [məsd̥; ˈmʌst] は1音節ですが、膠着語の日本語では -a nakere ba nara nai と9音節にもなってしまいます。膠着語は論理的で応用が利き、学習しやすいのですが、語長が異常に長くなってしまうという欠点を持っています。)そのために、日本語や朝鮮語、モンゴル語、ハンガリー語等は、母音が多いのにも関らず、イタリア語のように音楽的に響かず、単位時間内に伝えられ
Re:予想: 100年後に残る言語はたった一つ (スコア:1)
>>すでに一部のコンピュータは01でなく4進や8進、16進で処理してますよ。
は正しいですが
>>量子コンピュータが実現すれば、限りなくアナログ(連続値)計算になりますし。
は間違っています。
量子コンピュータの計算に状態空間の連続性は関係ないです。
また、連続な状態空間上の実用的な量子コンピュータはデコヒーレンスの問題からいってかなり難しいと思います。
Re:逆に (スコア:1)
「アイツラと違う言葉を使うことがカッコイイ」「違う言葉を使う利点がある(例えば暗号化やよそ者発見の道具として)」という要望があれば、新規言語が産まれたり、平易化や他言語との統合を否定する力になりますね。
ただそういう価値観が強ければ強いほど、その言語が他者に知られる機会が減るので、統計上カウントされにくくなるのが難しいところ。
Re:言語は話している人がいるから絶滅しない、わけではない (スコア:2)
#日本では、文字すらないアイヌ語は、絶滅危惧言語です。
アイヌ語を母語とする人々はすでに絶滅しており、「アイヌ語を流暢に話す」と主張している (?) 方々もすでに10名を切っているようなので(現実には、もう何十年も使ったことがないため[=アイヌ語で話し相手がいない!]実際に会話ができるかどうかは極めて怪しい)、非常に残念ながらアイヌ語はすでに絶滅したと言っても差し支えないと思います。ただ、現実にはそう断言してしまうことが政治的に問題とされるので、そう宣言されていないだけでしょう。
以前、NHKのニュースでアイヌ人の子供らのアイヌ語の弁論大会を聞きました。私はアイヌ語はできませんが、明らかに日本人が英語をカタカナで発音しているようで、「あ、この子らは、もう母語は日本語なんだ」と、聞いていて悲しくなりました。
一昨年の夏、沖縄の読谷村(ヨミタンソン)で開催された「第19回島くとぅば語やびら大会」に参加してきましたが、1人、離島出身の高校生男子のスピーチが(何を言っているのかわかりませんでしたが)、明らかに「母語」だとわかる程度で、他の小学生や若者たちの琉球語は、やはりカタカナで外国語を読み上げているという感じで、もはや沖縄でも琉球方言は絶滅し掛かっているのだということを実感しました。
青森出身の若者と話をしても、共通語の発音は訛ってはいるものの、もう年配者の津軽弁は全くわからないとのことでした。
残念ながら、日本では方言はもはや救うことはできないのだと思われます。明治以降、それまで存在しなかった「日本」という国民国家と、それを構成する「日本人」という民族を人為的に作るために明治政府が方言の駆逐を急いだことと、戦後のマスコミの急速な発達の結果なのだと思います。
欧州でも、20世紀までは1つの国家に千年以上も少数民族が自分たちの民族文化を維持してきていましたが、交通と通信が発達し、マスメディアが発達した結果、数十年で急速に同化が進んでいます。残念ですね。
Re:言語は話している人がいるから絶滅しない、わけではない (スコア:1)
批判の意図はまるでなく、思い出したことを深く考えないで書き連ねるだけなのでご不興でしたらあらかじめお詫びします。
>「おじいちゃんが入れ歯を外して発音したようなオランダ語」
現代のUKの英語と古い時代に分化したオーストラリア英語にも似た言い方で特徴を描写されていたなあ。どっちが本家かという力関係もあるんだろうと思う。
// 記憶をたどると「風邪ひきの人がタバコをくわえたまま口をあまりはっきりあけないで」だったか<オーストラリア英語
国家観抜きにしてそれを言ったらオランダ語だって低地ドイツ語と極論できるわけで。
Re:言語は話している人がいるから絶滅しない、わけではない (スコア:1)
ワロン語を含むオック語でより影響力の強いフランス語
フランドル語を含む低地ドイツ語でより影響力の強いオランダ語
に今よりずっと似通ったものに変貌するのが自然な帰結だと思います。
関係者がそれをフランス語/オランダ語と呼ぶか呼ばないは政治的な話。
// フラマン語ではなくフランドル語という呼び方は初めて目にしましたがそれは話の枝葉